産経新聞の記事です。
日本人にもなじみの深い文学者の郭沫若氏(1892~1978年)は、北京の中心部にある什刹海近くの四合院(中国の伝統的建築様式)で晩年の15年間を過ごした。清朝の王府(皇族の住居)の一部で、現在は「郭沫若故居」として一般公開されている。
郭沫若氏が健在だった1976年、ある日本人訪中者に同行し訪れたことがあった。国家指導者の私生活がベールに包まれていた時代(今も同じ)で、めったにないチャンスだった。邸内に入った瞬間、別世界にいる錯覚に襲われた。
いや、錯覚ではない。まぎれもなく別世界だった。手入れの行き届いた庭園には蝶が舞い、小鳥がさえずっていた。秘書ら数人の付き人用の部屋や資料室を合わせると十数室あり、応接間は紫檀(したん)の家具と骨董(こっとう)品で飾られていた。文革の喧噪(けんそう)も無縁のようだった。
当時、北京市民の住宅事情は劣悪を極めた。郭氏邸の5分の1もないような古い四合院に数世帯が住み、集合住宅も1戸の平均面積は20平方メートルほど、そこに3世代同居も珍しくなかった。人口増に、住宅建設が全然追いつかなかった。
そうした中で、指導者や高級官僚は、革命後接収した、清朝の皇族や軍閥、高官や資産家の豪邸に住み、もろもろの特権を享受していた。革命直後には、革命や戦争への功労度に応じて、住宅の配分が行われたが、やがてレーニン式の等級制官僚制度が特権付与の基準になった。
郭氏の大邸宅も、犬小屋のような庶民の部屋も、基本的に国家所有であり、当時は個人が不動産を所有することはできなかった。労働者や一般幹部(官僚)の住宅は、単位(職場)が、職位や官位に応じて割り当てるシステムだった。
いわば住宅はすべて官舎であり、退職後も同じ住宅に住む既得権があった。原則的に政治局員以上の要人が居住する中南海ですら、本人が死去した後も遺族が望めば居続けることができた。このシステムは今も変わっていないようだ。
その後、何人かの指導幹部や将軍の自宅を訪問するチャンスに恵まれた。最近では故胡耀邦総書記宅がある。胡氏の死去から間もなく18年になるが、故宮の東側にある四合院には遺族がそのまま住んでいる。
89年の天安門事件で失脚した故趙紫陽総書記の家は、北京の繁華街「王府井」から西に入った胡同(小道)にある。趙氏はここで軟禁生活を送ったが、2年前の死去後も遺族が居続けているのは胡耀邦家と同じである。むろん、トウ小平氏ら長老の遺族も同様だ。そうした特権こそが、一党独裁制維持の基礎なのだ。
しかし一般社会での住宅事情は10年前の住宅改革で一変した。簡単にいえば、住宅の国有制を廃止、私有制に移行する改革だ。単位が管理していた住宅は居住者に払い下げられ、再開発のために退去する場合は、補償金が払われた。それが可能になったのは、新規の住宅を購入したり、賃借したりする収入を得る市民が増えたためだ。
今月開かれた全国人民代表大会で最大の焦点は「物権法」の審議だった。私有財産を国有、公有財産と同等に保護する法案には、公有制を基本にした社会主義の原則に反し、現行憲法にも違反するとの原則派の強い反対を受けてきた。
しかし結果は、法案は圧倒的賛成多数で採択され、10月から施行されることになった。物権法では、例えば住宅については所有権を70年間としているが、延期が可能なため、永久的権利を認めたに等しい。公有経済から私有経済へという改革・開放路線の流れがこれによって加速するだろう。
土地の国有制は変わらない。しかしそれを盾に地方政府が開発業者と結託、土地を強制収用するのは、非常な制約を受けることになった。現在、重慶市で起こっている、ある夫婦が立ち退きを拒否、メディアやネット世論の後押しで、強制撤去ができないでいるのは最新の事例だ。法学者は、物権法施行後には、こうしたケースが頻発すると予測している。
物権法は、個人の権利意識を拡大させ、一党独裁制下での反民主、不合理、不公正な政策はますます挑戦を受けることになるだろう。新左派系の学者らは、物権法は社会主義制度を崩壊させ、民主主義制度への移行をもくろむ自由主義者の陰謀と批判している。
改革・開放という資本主義化によって、金持ち層が生まれ、党の指導者よりはるかに広壮で快適な住宅を手に入れた。一般市民にしても、以前とは比較にならないほど上質の住宅を購入する人が急増している。そうした中で、生活や権利を党が支配する上意下達制度が続くはずがない。物権法の持つ意味は大きい。(北京 伊藤正)
(2007/03/24 10:29)
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070324/chn070324000.htm
以前にも紹介しましたが、産経新聞の記事はまだなので再度、紹介します。
【北京=福島香織】中国重慶市で開発業者の立ち退き要求に飲食店主がたった一軒で抵抗を続けている。業者がこの飲食店の周囲を約9メートルも掘り下げ、地元裁判所も「23日までに立ち退かなければ強制排除してよい」と認めていた。しかし22日になって急に裁判所は強制排除を見合わせる異例の判断を示した。背景に、孤軍奮闘する飲食店主への世論の支持、今年10月に施行される物権法の影響が指摘されているのだが…。
開発業者はショッピングモール建設を予定し、すでに3億元(約45億円)を投資している。ここで飲食店を経営する呉苹さん(49)と夫の楊武さん(51)は業者の嫌がらせで四方の土地がブルドーザーで削られても、残ったわずか220平方メートルの“陸の孤島”の上で立ち退きを拒否。さすがに客は来なくなったが、中国メディアは、一軒だけ釘(くぎ)のように孤立状態になっているため「頑強な釘の家主」の闘争と報じた。
この地域はもともと古い住宅密集地だったが、2003年に再開発が決定。周辺の280戸は水道・電気の停止など業者側の圧力に屈し、昨年10月までに1平方メートル当たり約1万元の補償金で立ち退いた。しかし呉さんらは1平方メートル当たり約13万元の補償金を求めて抵抗を続けている。
重慶市の地元裁判所は業者の求めに応じ3月19日にいったんは飲食店の強制排除を認める判断を示した。しかし呉さん夫婦が体を張って業者に抵抗する姿が世論の共感を集めた。先の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で採択された物権法が私有財産保護を強化しているため、「10月に予定される法施行前の駆け込み的な強制排除」という批判が業者側に向けられた。
立ち退き期限前日に裁判所が見せた方針転換には物権法や世論が影響したとの見方が強い。今回のケースを見ると、物権法施行後は住民側が簡単に立ち退きには応じなくなり、利権絡みで産官癒着の温床になってきた都市再開発に歯止めがかかることも期待されている。
(2007/03/23 23:07)
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070323/chn070323003.htm
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飲食店に嫌がらせをして周りを掘ったチャイナの業者はひどい。
雨が降ったら、崩れそう。