アゼルバイジャンとアルメニアの区別もあいまいな日本人 | 日本のお姉さん

アゼルバイジャンとアルメニアの区別もあいまいな日本人

アゼルバイジャンも、アルメニア人のアゼル人虐殺を抗議
  バクーに集合した「流亡アゼル・トルコ人世界大会」が

アルメニアのプロパガンダに反撃

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 ワシントンで、アルメニア虐殺謝罪決議をトルコに対してなそうとする動きは

在米アルメニア人組織と、そのロビィ工作によるものだが(3月24日を予定)、

さてワシントンでは、もうひとつ。アルメニア人のアゼルバイジャン人虐殺へ

の抗議行動が、決議上程の前後に開催される。
 この動きをひとつも日本のマスコミが

 伝えない。

 2001年と06年にもバクーで、「世界アゼル人会議」が開催されたが、

世界に散ったアゼル人の団結を謳っただけで閉幕した。
 ところが、ことしの会は、「アルメニアのテロリズムに対抗する」ことが新たに

政治スローガンとして出てきた。

 アリエフ大統領は「“アルメニア人虐殺”なるものは、かれらの内ゲバであり、

その責任を我々に押しつけている」とものすごい内容の演説をしている。
これは1918年にバクーでおきた、アルメニア軍団が、30000人以上の

アゼル人を虐殺したという事件を指す。
1992年の“ハジャリ虐殺”事件では、アゼル人613名が一晩でアルメニア軍

に虐殺された。

 カナダ、日本、ベルギー、ドイツ、スエーデンでは2月26日に「ハジャリ虐殺

追悼記念集会」がもたれ、NYとワシントンでは対アルメニア抗議集会が

開かれた。

 3月9日にはアゼルバイジャンの首都バクーで「アゼルバイジャン・トルコ

流亡組織フォーラム」が開催された。
 アリエフ大統領ほかアゼル閣僚にくわえ、トルコからはエルドガン首相、

キプロスおよびトルコ語をはなす48の国々から代表513名が集合した。
流亡アゼル人は遠くスエーデン、リトアニア、オランダ、ウクライナからも参加。
 
ここでは「アルメニアのプロパガンダである“虐殺”の究明とアルメニアの

ハジャリ虐殺(ナゴルノカラバフにおけるアルメニア軍のアゼル居住民の

虐殺事件)の真相解明を追求する」ことなどが大会宣言として採択された。

 この真の狙いは在米アルメニアロビィへの激甚な反撃である。
 日本はこの動きにもっと注意を払って然るべきだろう。
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(読者の声1) リンドバーグ著・第二次大戦日記に次の記述があります。
要約です。「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名な初の大西洋横断飛行の

チャールズ・A・リンドバーグ氏が従軍した時の日記(記録)

「1944年6月21日(水) 偵察隊の一人が日本兵”捕虜”に煙草と火を与えた。

煙草を吸い始めた途端に 日本兵”捕虜”の頭部に腕が巻きつき喉元が

「一方の耳元から片方の耳元まで 切り裂かれた」のだった。


1944年6月26日(月) ニューギニア戦線で2000人の日本人捕虜を飛行場に

連れて行き 機関銃を乱射して殺害しました。


1944年7月24日(月) そこには1人の日本軍将校と十人~12人の日本兵の

死体が、切り刻まれた 人体だけが見せるような身の毛もよだつ姿勢で

四肢を伸ばしたまま 横たわっていた。

頭蓋骨を覆う僅かな肉片だけが残っている。


1944年8月6日(日) 「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。

日本軍の捕虜を輸送機で南の方に 送らねばならなくなった時のことを

知っているかね?あるパイロットなど 僕にこう言ったものだ・・・。

捕虜を機上から山中に突き落とし ジャップは途中でハラキリをやっちまったと

報告しただけの話さ」
  (或る読者より)


(宮崎正弘のコメント) この記述は有名なものですが、いつしか、日本人は

忘れてしまったようです。怨みに報いるに徳を以てなす、というモラルは

蒋介石ではなく、戦後の日本人が実践したことです。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 3月22日(木曜日)  
通巻第1744号  (3月21日発行)

宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
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http://www.melma.com/backnumber_45206/

(C)有限会社・宮崎正弘事務所 2007 

◎転送自由。ただし転載は出典明示のこと。

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アゼルバイジャンとアルメニアの区別もあいまいな日本人だが、

外国は、侮辱されたら、きちんとやり返すということは分かった。


日本も、外国を見習ってチャイナロビーに対抗して、はっきり日本が

していないことは、していないと、世界に発信するべき。


チャイナの情報戦にやられっぱなしのままで、首相がアメリカに行くのは

変だよ。日本は情報戦をやってないし、金も使ってない。使っているのかも

しれないけど、全然足りない。負けている。


アメリカの新聞は、日本人が反論を載せようとすると、断るそうだ。金を出し

ても、断るのだ。

反日のニュヨーク・タイムズは、全国紙だけど、チャイナに乗っ取られて

いる新聞なのだろう。(ワシントン・タイムズ紙も反日。)

こうなったら、アメリカでどこかの全国紙のメディアを乗っ取って、日本の

イメージを回復させるような活動をしてはどう?

日本人がアゼルバイジャンとアルメニアの事件に無関心なように、アメリカ人

も日本に無関心で、チャイナロビーが感情に訴えたら、直ぐに流されて日本を

憎むようになるようだ。


トルコが昔々アルメニアの村をいくつか、全滅させたのは事実だけど、詳しく

はしらないし、アゼルバイジャンの事件はよく知らない。

だから、どっちを非難したらいいのか、わたしは分からない。
アゼルバイジャンだって、アルメニア人をたくさん殺しているし、どっちも

どっちなのではないかな。わたしは、イスラムが多い国をアメリカが支持した

理由が分からん。広告会社が金をもらって、世界中の感情をコントロール

したという話もある。ミノシェビッチは、悪い人だったのかもしれないけど、

そんなに彼を怒らせた理由は何なの?理由なしに人は怒らないだろう?

どこかで、赦し合わないと、戦争はいつまでも続く。

日本を赦さないチャイナや韓国は、まだ戦争体制にあるということだ。

いつまでも、日本を憎んでいる。日本は、アメリカにお任せして、何もしようと

しない。だら~っと、アメリカにおんぶしているから、金を要求されるのだ。

日本は、アメリカやイギリスや、オーストラリアやオランダにうらみはあるけれど

無かった事のように黙っている。

いつまでもうらんでいると、戦争がまた起きるからだ。

共産党独裁のチャイナと、韓国は、日本軍と直接戦ったワケでもないし、韓国

は、当時は日本の一部で、日本人として行動していたのに、何を被害者面して

日本を攻撃するのだろう。共産党のチャイナも、どんどん奥地に逃げて、

日本軍と戦う紹介石の軍を後ろから攻撃したり、線路や電線や橋を壊して

チャイナをめちゃめちゃにして蒋介石を困らせていて、1、2度日本軍の輸送

部隊を谷に追い込んで襲っただけなのに、

いつまでも国民に日本を憎ませる教育をして、全然友好的ではない。

デモを起こして、国民が興奮して日本の大使館を壊しても、謝りもしない。

弁償もまだだそうだ。

そんな国でも、日本政府は友好的に扱わないといけないと思って異常に

努力している。

でも、戦争気分でいる相手には、もっと文句も言うべきなのではないでしょうか。

核を持っていないから、威圧的に真正面から抗議することも出来ないのかな。

結局、日本は独自で外交がしにくい国なのだ。韓国や北朝鮮に対しても、

説得もできないから、韓国は無視。北朝鮮はアメリカとチャイナに丸投げだ。