2月11日は建国記念の日だった。
紀元前660年 『日本書記』によれば神武天皇が即位する。
神武元年正月朔。2月11日が昔の1月1日。昔は紀元節という祝日で
あったが、戦後になって祝日化は廃止された。
1951年ごろから復活の動きが見られ、1957年以降9回の議案提出・廃案を
経て、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」とすることでずっと反対していた
社会党も反対理由を失い妥協、1966年6月25日に、日付を「政令で定める」と
して国民の祝日に追加された。
1966年12月9日に2月11日にしようという案が提出され、同日「建国記念の日
となる日を定める政令」が公布・即日施行された。
建国「記念日」ではなく「記念の日」なのは、史実に基づく建国の日とは関係
なく、“建国されたという事象そのものを記念する日”であるという考えによる
ものである。
以上ウィキペディアから抜粋。
インドネシアの独立広場中央には、高さ137mの独立記念塔がある。
この地下1階に、インドネシアの「三種の神器」(独立宣言書・独立時に掲揚
された国旗・国章)が奉納されています。「第一の神器」は、スカルノ(初代
大統領)とハッタがサインした独立宣言書なのですが、ここに記された日付は
「05年8月17日」。
インドネシアが独立したのは西暦1949年。
なのに、日付に記された年は「05」年。実は、この「05」年は、当時、「昭和」と
共に日本で使われていた「皇紀」(神武天皇の即位した紀元前660年を元年
とする)で、「2605」年が略されたものなのです。
さて皆さん、なぜ、スカルノ等はインドネシア独立宣言書に日本独自の紀年法
である「皇紀」で年月日を記載したのでしょうか?
そこには、インドネシアの独立に深く関わった「日本」の存在があったのです。
続きはこちらで読んでね。
↓
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/indonesia.html
戦争中は、「皇紀」も使われていたらしい。
わたしも、インドネシアの独立を手伝った日本人とスカルノ、ハッタのことを
書いた本を読んでいて、そのことを初めて知った。
学校で習ったかもしれないが、忘れていたのか
最初から習わなかったのか、どちらかだ。
建国記念の日は、なんとなく日本人にはなじみが薄いような気がする。
まじめにお祝いするのが、いけないことのような雰囲気、、、、。
友達の家のお隣のおじいさんは、建国記念の日には、金曜日の晩から
月曜日の夜までずっと旗を揚げている。
そういえば日の丸を掲げる家は少ないなあ。
建国記念の日よりも、バレンタインデーのお祝いを華々しく行うわたしたちだが、
甘~いイベントもいいが、苦~い戦争の話もちゃんと歴史の事実にしたがって
勉強しておかないと、隣の国の巧妙なプロパガンダに毒されて、日本人だけが
悪かったという話になってしまうんじゃないかと、ちと心配。