パワーフォーリビングが届いた。 | 日本のお姉さん

パワーフォーリビングが届いた。

神のおことばは、いつまでもすたれることはない。ー聖書ー


あなたには確信がありますか?

死んだら天国に行けますか?その質問こそ、一番人生で重要な質問であり

ながら、自信を持って答えられる人は少ないという困った質問なのです。


100人の人に聞いたら100人が、きっと、「わからない。」「確信は無い。」と

答えることでしょう。

自分の死後がどうなるか、死後にどこにいくのか、いったい自分は死後、

どうなるのか、死んで帰った者はいないので、答えることができる人は

いません。


天国とは、どんなところでしょう?

お花畑がつづくあの世?もう一度、生まれ変わるための待合室?

処女が100人相手をしてくれるセックス三昧の快楽の場所?

この世と同じような場所?いろんな宗教が、いろんな死後の世界を想像して

くれています。しかし、誰が死んでからこの世に戻って死後の世界はこうだった

と、説明できたのでしょうか?一度死にかけて、あわやと言うときに、奇跡的に

息を吹き返した人もいますが、完全に死んだのではなく、仮死状態から

戻っただけだというのが事実です。また、酸欠状態の仮死状態の時に見た

夢は、死後の世界だったとは言えません。柔道でも首を絞められて酸欠状態

のときのいごこちは、死にかけてから息を吹き消した時のいごこちとよく似て

いるそうです。酸欠状態の時に脳が見た幻想は死後の世界とはいえません。


本当に、死後、何があるのかを語れる人は、神さまだけなのではないでしょうか。


神さまを信じていない人でも、天国に行く条件というのは、立派な行いをした人

だろうという想像をします。一生懸命生きて善行を積み、先祖を敬い、善良で

尊敬される人なら、きっと天国に行けると考えるものです。

また、神さまを信じていなくても、「○○さんはきっと天国から見守っていてくれ

るよ。」とか、「天国でまた会おう。」などと、普通の会話で語ったりします。

たとえ、神さまを信じていない人でも、天国に行けるか行けないかは、生前の

行いによって決まるのだろうなと人はなんとなく考えているのです。


さて、死後に何があるのかは、人間を創られた神さましか分からないことです。

聖書には、「わたしが神だ。他にはいない。」と書かれています。

また、「わたしが、このわたしが世界を創ったのだ。」とあります。

「始めに神が天と地とを創造した。」と書かれています。

また、聖書は選ばれた民族、選ばれた預言者が長い時間をかけて書きつづけ

た書物です。預言者が預言をし、それが実現したら神さまの言葉であるとして

大切に保存され、読み継がれていった書物が聖書です。


その聖書は、世界の創造者である神はわたしだと、そして天国と地獄があると

宣言しています。天国に行く方法は、生前の人間の努力や人の願いによらず、

神さまのお恵みによると書いてあります。


天国に行ける永遠のいのちとは、わたしたち人間の行いや、希望によらず、

完全に神さまからのプレゼントなのです。


神さまはタダで、この永遠のいのちを全ての人に与えようとされています。

そのプレゼントとは、神さまのひとり子である、イエス・キリストによる永遠の

いのちです。(聖書のローマ人への手紙6章23節)

「あなたがたは、神さまの寛容(かんよう)のおかげで、イエス・キリストを

信じることによって、救われたのです。しかも、キリストを信じることすらも、

また神さまからの贈り物なのです。

天国へ行くことができるという救いは、わたしたちの良い行いによるのではあ

りません。」(聖書エペソ人への手紙2章8,9節)


良い行いによって天国に行けるのではありません。完全な人はいません。

もしだれかが、「わたしは、完璧に良い人間だ。だからわたしは天国に行ける

のだ。」と言ったなら、ほとんどの人は、なんて傲慢な人なんだろうと思うで

しょう。そうなんです。完璧な人間はいないのです。



聖書は、わたしたち人間が自分の努力によって、天国に行けるということは無いし、

また、努力して天国に行く権利を手に入れる必要も無いと宣言しています。

天国に行ける道は、神さまのひとり子のイエス・キリストが開いてくださったと、

聖書は示してくれています。

どんなに悪い人間でも、誰であっても天国に行く権利は与えられるのです。


聖書にはこう書いてあります。


「モーセが神さまから預かったおきて(律法)を守ることで天国に行ける者は

 いません。その方法で神さまに完璧な正しい人間だと認められようとしても

ムダです。わたしたちが、神さまのおきて(律法)を深く知れば知るほど、

自分が神さまのおきてに従えないということがはっきりするからです。

神さまのおきて(律法)は、わたしたちに自分たちが罪びとであることを

自覚させるためのものなのです。しかし、今や、神さまは、わたしたちに、

天国に行けるただひとつの新しい道を示してくださいました。


その新しい道とは、「善人になるように」とか、神さまのおきて(律法)を守るように

努力するような道ではありません。

(新しい道と言っても、聖書にはこの道に関してはずっと前から旧約聖書に

書かれており、イスラエル人とその子孫に教えられていたものなので、

新しい道とは言えませんが。)


それは、こういうことです。


神さまは「もしあなたが神さまののひとり子のイエス・キリストを信じるなら、

あなたを受け入れあなたを「罪のない者」と宣言する。」と言われます。

(聖書ローマ人への手紙、3章20,から22節)

この方法によって救われるのです。


神さまはあなたの罪、つまりわたしやあなたが犯してきた過ちや、悪い行い、

罪などの罰を、ひとり子のイエス・キリストの上に背負わせました。

イエス・キリストは、あなたの罪の罰を十字架の上で受けるために、父である

神さまの右の座からこの世に来てくださいました。


イエスさまは、わたしたちの罪に対する罰を受けてくださった後、死んでから

三日目に預言のとおりによみがえり、無償の愛の贈り物として、永遠のいのち

を、わたしたちに与えてくださいました。


あなたも、この神さまの贈り物である永遠のいのちを受ける必要があるのです。

あなたの罪が赦されるためには、あなたの罪を身代わりに受けてくださった

イエスさまの救いが必要なのです。

このイエスさまを信じることで、今後永遠にわたって続く、あなたの未来が決ま

るのです。

イエスさまを信じ受け入れるならば、永遠のいのちを神さまからいただくことが

できます。


あなたは死後に天国に行けますか?

天国に行ける永遠のいのちは、イエスさまを信じることによってのみ、手に入れ

ることができます。


では、天国に行けるという確信は、どうやって得ることができますか?

聖書には、イエスさまについて、このように書かれています。


「しかし、イエスさまを受け入れた人はみな、この方から、神の子供となる特権

をいただきました。それには、ただ、この方が救ってくださると信じるだけでよい

のです。」(聖書ヨハネによる福音書1章12節)


あなたはイエスさまを受け入れましたか?

どのようにして受け入れるとよいのでしょうか。

人生を家にたとえてみましょう。聖書の中でイエスさまは、「ごらんなさい。

わたしは、戸の外で門を叩いています。その呼びかけに答えて戸を開けるなら

誰とでも、わたしは中に入り、親しく語り合います。」と言われています。

(聖書黙示録3章20節)


あなたの人生の扉をイエスさまに対して開いてみませんか?

イエスさまに自分の人生に入っていただき、人生を変えていただきたいと思い

ませんか?自分自身の良い行いを信じて頼るのではなく、イエスさまを信頼し

て、全てを任せる気持ちがあるなら、次のように神さまに祈ってください。


「神さま。わたしは、いままで悪いこともしてきましたし、これからもするで

しょう。自分の行いで天国に行くことはできません。


しかし、神さまがわたしを愛してくださり、イエスさまをわたしのために、この世

に送ってくださいました。

イエスさまが十字架の上で死ぬことによって、わたしの過ちや罪の罰が統べて

償(つぐな)われたことを信じます。

今、ここでわたしの今までの、そして死ぬまでの間に犯すであろう全ての罪を

赦してください。そして、天国へ行ける永遠のいのちをください。

わたしのこの祈りを聞き入れて、お約束通りにイエスさまを信じるだけで、

天国に行ける永遠のいのちを与えてくださり、ありがとうございます。

イエスさまによって、お祈りします。アーメン。(本当にそう思いますという意味)」


最後に、聖書のこの言葉を覚えていてください。


「すでに、神のひとり子を信じているあなたがたに、このように書き送るのは、

あなたがたには永遠のいのちがあることを自覚させたいからです。」

{聖書ヨハネによる手紙第一5章11節から13節)


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以上、アーサー S・デモスさんからの手紙でした。

パワーフォーリビングという本に添えてありました。

分かりやすく読めるように、ちょっと日本のお姉さんが変えて書いて

おきました。アーサーさん、いいでしょう?