「オーラの泉」を斬る! | 日本のお姉さん

「オーラの泉」を斬る!

寝る前にコーヒーを飲んだら目がさえて眠れなくなったので、

たまには夜更かしをしようと思いテレビを付けたら「オーラの泉」と

いうオカルト番組をやっていた。ブログのネタになると思ったので、

そのまま観た。再放送かも。


真面目に全部は見ないで家事をしながらだったのだが

美輪明宏は、外見に変化が無いけれど、江原啓之は、なんだか以前

見た時からくらべると、すごく太ってる。

際限なく食べる人なんだという事が分かる。


ゲストは、片岡鶴太郎だった。

美輪明宏は霊媒師ではないと思った。彼は経験豊かな人生を送っている

ので、人を見る目があるだけだと思う。


江原啓之は、多分、テレビに出ていない時はひとりでゲストの過去を

いろいろ調べたり芸能ネタが載っているインターネットのサイトなどで、

芸能人のウワサをチェックしていると思う。

その知識だけで、いろんな事が言えるはず。


どっちにしても霊媒師は、悪の霊と関わる仕事なので、ニセではなかったら

悪霊(あくれい)にとりつかれているはず。他人のオーラが見えると言っている

ので、本当ならすでにとりつかれている。


悪の霊とは、世界の創造主に逆らった天使たちの成れの果てで、神さまの

嫌がることをするのが仕事だ。神さまの嫌がる事とは、人間が自分の創造主

である神さまを信じないで、スムーズに地獄に行くことだ。


人間に自分の存在を教え、自分を崇拝させて、神さまから人間の注意を

そらすのが目的で、日々霊媒師、占い師などを使って人間をかどわかして

いるというわけだ。悪の霊は元、天使であってある程度の超自然的なことは

できる。元天使だから当たり前だ。だから、無くした指輪は、どこの部屋のタンスの

裏だとか、ある人物の過去だとかは、全部知っている。

悪の霊は大勢いるから、それぐらいは分かるのだ。悪魔は悪霊の親分で

神さまに従わないで逆らったので、天使の長から悪魔になったのだ。


だから、悪の霊が江原啓之にとりついているとしたら、片岡鶴太郎の過去ぐら

い全部知っているから、何でも言えるはず。でも、テレビで見るかぎり、

自信なさげにしゃべっているので、適当に言っているだけなのかもしれない。


片岡鶴太郎は、役者でもなく、バラエティ芸人でもなく、絵が好きな半分画家

みたいな中途半端な存在だ。だから彼が日頃、その辺で悩んでいるだろうと

いうのは、わたしでも想像できるし、画家として大成したいし賞も取りたがって

いるだろうというのも、見て取れる。確かに絵は上手い。

それに、芸能人という者は幅広く女性とお付き合いをしているのが普通なので、

ひとりぐらいはどこかの女に、自分の子供を堕胎させている経験があっても

不思議ではない。また、親戚に子供を流産させたり、堕胎経験がある人も

いるかもしれないし、誰もいなくても、女とつきあった経験がある男なら、霊媒

師にあなたと関係のある子供の背後霊が、側に来た時に無邪気になるなどと

言われたら、、過去に自分の子を降ろさせた経験が無くてもひょっとして

こっそりその女が自分の子を堕胎しているかもしれないと考えるものなのでは

ないだろうか。


片岡鶴太郎が、ボクシングに夢中なのは、知っていたようだし、彼の性格から

して、過剰に練習して足腰を痛めていそう。「足腰に気を付けて。」なんて、

わたしでも言える。


それに、片岡鶴太郎が急に子供っぽくはしゃいだり、ブルーになったり

するのは、芸術家タイプの人間ならば、みんな多かれ少なかれ、そんな

部分を持っているから、別に不思議でもなんでもない。

芸術家は感受性が強くて、繊細で、自己中心的で、自己主張が強いのだ。

自己主張が強くなければ、芸術を表現できないだろう?

心の中や頭の中のイメージを、美に触れた時の感動を目で見えるモノとして

表現する技は、普通の人間ではできないことなのだ。


片岡鶴太郎が複雑な性格を持った神経質で難しい人だというのは、あの目を

見たら分かるし、あのほっぺたのへこみぐらいから運動をやりすぎている人

だというのは良くわかる。年齢のわりには頬がこけすぎだ。

ダイエットを頑張りすぎ。ボクシングをやりすぎ。(ボクササイズ?)


その複雑な性格を全て、後ろのいわゆる「背後霊」のせいにするなんて

ずるすぎる。なんでも背後霊のせいにしておけば、「ほお~、、。」って、

日本人は言うではないか。クリスチャンは、背後霊など信じません。

悪の霊がいるのは、ちゃんと信じています。

悪の霊が背後霊のフリをして演技をしているわけ。

ゆうれいも、悪の霊が化けてやって、人間をおどかしているわけ。

その目的は、人間が悪の霊を拝むようになるため。たいてい幽霊を見た人は

急に神社や寺に行ったり、霊媒師をたずねて拝んでもらったりしている。

悪霊崇拝者に変化する。

悪の霊は、とにかく自分を拝んでもらいたがっている。人間が自分の創造主

である神さまを拝まず、他のモノを拝めばそれでいいのだ。

神さま以外の何かを拝む行為は全て悪魔と悪の霊を拝んでいるということ

なのだ。


というわけで、「あなたの前世は芸術家。有名な音楽家です。

みんな見守っているのです。全てのことは、あなたにそれを教えるためで

意味があるのです。

今日、あなたがここに来たのは、それを背後霊が教えるためなのです。」

なんて相手が言って欲しい事を並べれば、いいだけなのだ。誰にでも使える

言葉ではないか。


性格の複雑さや子供っぽさもバックの背後霊が近くに来たから影響された

とか、言われれば、そうなのかなと思ってしまうのが日本人だ。

日本人は偶像崇拝の民族だし、死者は、霊になって子孫を見守ると思って

いるから。

だから、江原啓之は名前を付けるならば、背後霊教というテレビ伝道師だ。


よくもこんな宗教番組を恥ずかしげも無く放送できるもんだ。

テレビで、「パワー フォー リビング」という無料雑誌を宣伝する団体がいたら

びっくりするくせに、こんな宗教丸出しの悪霊番組は平気で観るんだ。


ただし、美輪明宏は、苦労人だし、まともな事をよく言う。変なことも言うが

あのヘアースタイルと色とお洋服で、何を言っても全て許される雰囲気をかもし

だしているので、あの人は何でも言えるのだ。あの人は昔、故三島由紀夫と

仲が良かった人なので、三島由紀夫に免じて、大切にしてあげてもいいかな。

変な事を言う人だが、優しい人らしく、悪いことは言わないようだし、霊媒師の

フリをして人を励ましているだけなのだろう。

しかし、テレビで悪の霊を宣伝しているので、罪は大きいと思う。


もしも松田聖子がゲストなら、最近、大きな変化があったでしょう?とか、

事務所を変わって、背後霊が喜んでいるわよとか、霊感が強いから今まで

やってこれたとか、どこかの子供の霊が側にいるわよとか、捨てられた男の

怨念がまとわりついているから、過去の自分と相手を許してあげなさいとか、

(後悔している様子も無いと思うが、弱みを突く。)娘のさやかを気にしている

だろうから、背後霊がそっとしておきなさいと言っているとか、娘さんの

背後霊も強いから大丈夫ですとか、適当な事を言っておけば

いい。これからまたブレイクするわよ。と励ましておけば、気分が良くなって

本当にブレイクするかもしれない。


と、言うわけで、「オーラの泉」なんて、うつろな目でゲストのナナメ後ろを見て

適当に相手の弱みや不安をつけば誰でもできるということを言いたかったわけ。

事前の調べ物はきちんとする必要はある。

それは「てつこの部屋」でもそうでしょう。

クリスチャンのわたしとしては、、江原啓之は悪霊(あくれい)がとり付いてい

ると見る線は、外したわけではない。悪の霊にとり付かれていなくても、悪の

霊の宣伝をしているわけだから、悪の霊に使われている人だというのは確かだ。


聖書では、自分の創り主である神さまを信じないで、悪の霊に従って生きた人

は、全て悪の霊の陣地にいる者であり、死後は悪の霊の入る地獄に行くのが

定まっていると書いてる。生きている内に、神さまを信じて今までの悪霊崇拝の

罪やその他の罪を神さまに告白して、赦してもらわねば天国にはいけない。


神さまの罪を赦す方法はシンプルだ。

罪は罰されねばならない。

神さまは、罪の無い者に、人間の罪の罰を身代わりに背負わせて罰を与えた。

十字架の上で罪の無い神さまのひとり子が人類の罪の身代わりに地獄の

苦しみを受けて死んで墓に葬られた。聖書の預言に従って三日目によみがえ

り、大勢の目の前で天国に帰られた。それを見た500人以上の人たちと弟子

たちが、世界中に出て行って、この福音を伝えた。

東の孤島、偶像礼拝の国、日本にも福音は伝わっている。


罪が無く、人間を地獄から救おうと思うほどの愛を持っている人などいない。

ただ、神さまのひとり子だけが、それができる方だった。

「神は愛です。」と、聖書には書いてある。神さまは罪を憎まれ、裁きを下す方

だけれども、同時に人間を愛して、天国に入れたいと願っておられる方なのだ。


罪がある人間が罪を赦される方法は、神さまが使わされた救い主が、聖書の

予言に従って、十字架の上で罪の罰を始末してくれたことを、信じることだけ。


この方法以外には、他に天国に行ける道はありませんと、聖書は宣言して

いる。イエス・キリスト(救い主)を信じる者は、罪の裁きである地獄から救わ

れるのですとも、書かれてある。「信じる者は救われる。」というのは聖書の

言葉なのだ。戦後、宣教師が駅前で、この聖書の言葉をマイクで叫んでいた

ので、日本人はそこだけ覚えてしまったらしい。


神さまが、人間を愛しているという証拠がイエス・キリストだ。

ちゃんと、イスラエル人に救い主の預言を書かせて、そのとおりにしてくだ

さったのだ。

預言がなければ、誰が救い主か分からない。ちゃんと信じることができるように、

なっているのだ。あとは、信じるかどうかだ。

悪の霊の存在は信じるのに、神さまの存在を信じないなんて、おかしくないか。

自分の都合の良いことを信じて、宗教心を満足させていては、天国には行け

ない。

神さまに直接「天国に行きたいです。」とか、「イエス・キリストが十字架に

かかったのは、わたしのためだと信じます。」とか、「ありがとうございます。」

など、ちゃんと自分の意見を言わなければならない。心の中で、神さまは

イエス・キリストを遣わしてくれたんだな、イエス・キリストは自分の罪の身代

わりに死んで、三日目によみがえったのだなと信じて、口で「信じます。」と

神さまに言い表して、罪が赦されるのだ。人間の努力で救われるのではない。

神さまがしてくれた事のおかげで、天国に行けるのだ。


悪の霊の作り話を信じて生きるのではなく、神さまを信じて生きる方が生きて

いる間も、神さまの用をすることができて意味があるし、死後に天国に行ける

方が、悪の霊にばかり関心を持って地獄に行くよりいいと思う。