生涯ダイエット中
教会の友人でで難病になった人を訪ねた時に最近太りすぎだと言ったら、
「食べ物がおいしく食べられるということは、素晴らしいことなのよ。」と言わ
れた。
友人は、体の神経がマヒしていく病気で、その時は食べ物はミキサーでどろ
どろにしてストローで飲んでいた。それでも、栄養が十分に摂れないので、胃に
穴を開けてチューブを付け、そこから栄養剤を入れていた。
病院ではなく、自宅で治療中だったが、口もなかなか動かせないので何かを
しゃべっても聞き取りにくくなっていた。
病気が始まったばかりの時に、「最近口がうまく回らない。」と言っていたので、
「どうする?脳の中で何かが起こっているんと違う?体も動かなくなるかもよ?」
と言ったら、「神さまがそれを許されるなら受け入れる。」と、答えていた。
それでも、何カ所か病院に通って、それが難病だと分かった時は、気の強い
友人も病院で泣いたそうだ。牧師さんも一緒に病院につきあって一緒に診断
結果を聞いたそうだが、やっぱり医者から不治の病だと聞かされると動揺して
しまったそうだ。当たり前だろう。人間はいつ死ぬか分からないから何気ない
顔をして生きていられるのだ。もしも、あと何年の命ですと宣告されたら、きっと
それだけで辛くてストレスがきつくて早死にしてしまう人もいるかもしれない。
医者に余命を宣告されても、それでも明るく元気に毎日を過ごす事ができる
人間は、本当にキモが座ったすごい人だと思う。
よほど強くて明るい人でなければ、そういう離れ業はできない。やっぱり神さま
を信じて、たとえ死んでも神さまのおられる場所である天国に行けると分かって
いる人で無いと、不治の病を抱えながらも元気に生きるのは難しい。
でも、作家だと、余命を教えてもらった方が、遣り残した仕事を完成できるから
ありがたいと言う人が多いだろうし、医者だと自分の体を実験に、レポートを
書いたり、後世の人のために体験談を書いたりする人もいる。
病気でも、医者に余命を宣告されていても、一生懸命毎日を大切に生きてい
るブログ友達もいる。そんな友達には申し訳ない話だが、正月が明けたら、
太っていたのでダイエットをすることになった。
おいしく物が食べられることは、本当に素晴らしい事なのだが、太り過ぎると
高血圧や、血管にコレステロールが詰まって心臓病や脳梗塞や、糖尿病
などの病気にかかりやすくなる。細い人よりも病気になる可能性が高くなる。
食べ過ぎるというのは、自分の体に対する罪だと思う。食事制限をしたくなけ
れば運動をするしかない。それで、友達のB子と一緒に晩ごはんの後で歩いた
り、ジムで運動することにした。B子は親戚が肺癌になって手術をしたので恐く
なり、ついに禁煙をすることになった。そうしたらお菓子がやたらおいしく感じら
れるようになり、1ヶ月でぷりぷりに太ってきた。太っている人は、ある日、これ
以上太ってはならないと思い、痩せようと決断しなかったから太っているのだ。
自分の姿が変化していると気が付いて、痩せようと思わないから、そのまま
なのだ。鏡と体重計で、常に自分を見ていないとずっと太ったままになる。
自分のありのままの姿をじっと見て、変えたい!!と願わなければ、いくら
他人が注意してもムダだ。
一生懸命生きるとは、自分を愛することなのではないか?
自分だけを愛するのではなく、聖書に書いてあるように、自分を愛するように、
周りの人を愛すると、他人に対しても自然とマナーのある、節度ある、品位の
ある態度を取れるし、神さまの役に立つ生き方ができるのではないか?
太る体質の人や病気で太っている人もいるわけだから、太っていることが罪な
のではなく、食べすぎで太っているのが、いけない。
昨日はジムのお試しコースに出て、マシーンのベルトの上で15分走って、ぶる
ぶるマシーンで15分揺られて、その後、ピラティスとヨガに参加したら、ふらふ
らになった。あまりの疲れに食欲も無くし、晩ごはんも食べずに寝てしまった。
続けることが大切なのだろうな。B子と二人で2月3月でなんとかしようと励まし
あっている。ジムのロッカーも半年借りたし、やるしかない。新陳代謝も衰えて
いるし、仕事は会社で座っているだけだし、食べても太らなかった年代ではない
のだ。この姿のままで春になるのはイヤだ。
(冬とは思えないほどの暖冬ですが、今ならジャケット類でおなかを隠せる。)