電子新聞の対談2
平成19年新春文化座談会 国家再生と日本文化の発信(下)
家族破壊狙う左翼思想 世界は日本の伝統注目
混迷する価値観 |
共産主義の“残留農薬”が浸透 中西
目立たぬやり方に戦術転換 笠谷
古典的学問で後退する大学 木村
ヤルタ会談の真相直視せよ 木下
――戦後の価値観、思想の変遷をどう見ておられますか。
中西 私は、ちょうど昭和五十年(一九七五年)くらいが大きな境目だったのではないかという気がします。私自身はこのころ、英国に滞在中でその後、帰国しましたが、何か「別の国」になったように感じました。もし日本人が、七〇年代のどこかで方向性の間違いに気付いていたら、日本の精神面の崩れは、ここまでの状態にはならなかったと思います。
帰国した当初、「価値の多様化」という言葉の意味を聞いて驚いたことがあります。これは、自分の価値観をしっかり持っていて、人によって異なる価値観が共存するという意味だと思っていたら、ある同輩が「価値の多様化というのは、いろんな考え方が自分の中にあってよいということ。例えば、妻がいても不倫をする自分を許すことが価値観の多様化なのだ」とか「根無し草のような生活をすることが価値の多様化だ」というのです。
木村 それはおかしいですね。若い人たちから、哲学や文学が失われた証拠でしょう。
中西 それが「しなやかな生き方」だというのです。一見新しく、先進国らしくなったという感じもありますが、二回のオイルショックに見舞われ、大変な対処をする中で経済優先から、さらに土地バブルになり、もう当たり前の見識を失ったのかと思いました。
笠谷 その原因の一つは、全共闘世代の六〇年代での闘争の崩壊という事情があります。あの時は、善きにつけあしきにつけ明確な目標があり、革マルにせよ中核にせよ、マルクス主義に基づく行動をしていました。これに当局が対抗していたわけですが、そういう構造が全部崩壊したのです。
当時の学園紛争は異議申し立ての側面がありました。特に工学部系学生から、倫理性や道徳性、価値観というものを抜きにして、単に経済主義、技術だけでいいのかという疑問が出されました。だから結構、工学部系などから過激派学生が出たものです。
中西 ただ、エスタブリッシュメントや社会の主流を担う人が、そういう危うい変化に対する意識を持たなかった。
――その背景には、何か大きな流れがありそうですが。
木下 それは、押し付けられた憲法問題などとやはり関係すると思います。また、戦後世界を決めた「ヤルタ会談」に臨んだルーズベルト米大統領の側近には、ソ連のスパイのアルジャー・ヒスとか、かなりコミュニストが入っていました。
ヒスはスパイだといわれていましたが、ルーズベルト米大統領はそれでもヒスを登用し続け、国務長官のチーフ補佐官に就けました。ヒスはヤルタ会談にも随行し、ルーズベルトがポーランドをスターリンに譲り渡すようにさせました。共産主義による世界制覇をもくろんでいたソ連のエージェントであるアルジャー・ヒスのような危険な人物が米国にはかなりいましたね。
中西 本当に、あれはとんでもないスパイですね。ヤルタ会談の結果、共産主義が一気に世界に広がり、冷戦で世界が引き裂かれ、人類の自由が脅かされることになります。そこから今の日本がおかしな歩みを強いられることになりました。
木下 そういった流れをある程度解明していかないと、なぜ日本が漂流し、こうなっているのかも歴史的に整理されないまま過ぎてしまいます。特に全共闘世代は、ただ漂流しているかのようですが、実はまだある意図を持ってやっていると思います。
中西 私は、日本はまだ、冷戦の真っただ中にあると思います。中国は共産党一党独裁のまま経済・軍事大国になって世界の超大国を目指すのだと言っています。ロシアもプーチンの独裁で資源大国として、見事に蘇(よみがえ)ろうとしています。イデオロギーのマルクス主義だけはどこかへ置いてきたけれども、実態としては全くそのままKGB国家です。北朝鮮は核保有国になってしまった。いったい冷戦はどっちが勝ったのだと。
木下 そうです。勝ったと思っている西側の方こそ落とし穴がいっぱいあると思います。マルクス主義が敗北したら、今度は「ルソーに帰ろう」とか言いだして詭弁(きべん)を弄(ろう)していますね。
中西 七〇年代まではまだ分かりやすいイデオロギーで騒いでいた左翼たちが、「負けた」と改心したと思っていたのですが全く違いました。現に、冷戦が終わった後の九〇年代に、急激に「ジェンダーフリー」の運動をする人が増えてきました。書いているものをよく読んでいくと、行間に全くのマルクス主義があふれています。これが今、政府や霞ケ関、自民党の中にも入り込んでおり、大変、危険な状況になっています。
笠谷 暴力革命を目指したような形と違って、目に見えないだけに余計始末が悪いですね。
木下 六カ国協議でも、北朝鮮から五カ国協議でいいと言われるまでに、日本は甘く見られているわけです。まさしく冷戦の真っただ中にあって、置いてきぼりを食っている。
中西 日本人の戦後というのは、左派の平和主義ですね。丸山真男は叙勲を受けていないが、大塚久雄は文化勲章をもらっており、著書をよく読むと全くのマルクス主義者です。「天皇制など無くすべきだ」と述べた本を戦後直後に書いた横田喜三郎という人物は最高裁長官になり、勲一等旭日大綬章までもらっている。こういう人が戦後、日本でエスタブリッシュメントの頂点まで行っているのです。
高度成長とか、冷戦に表向き勝利したと言っていますが、思想界にずっと流れているのは戦前の三二テーゼあたりから戦中、戦後と連なっているものです。私はこれを「マルクス主義の残留農薬」と言っています。
木村 ある自治体が、男女共同参画社会の関連予算を消化するため、講演を依頼してきました。「このテーマでは人が集まらないので何を話してもよいですから」というのです。私はエッセーの話などをしてきましたが、国民は皆分かっているのです。
木下 今、せっかく若くて保守的な総理が出てきているわけですので、そういった点を総括して、新しい、きちんとした保守の創造をしていければよいのですが……。
中西 ですから、戦後のレジームからの脱却ということをやろうとしていると思います。教育基本法改正は実現し、憲法改正もかなり実現可能性が出てきているので、オープンな議論を行って、これまで気付きにくかった日本の安全保障の中でも重要な、情報、インテリジェンスの分野に対処し、日本人の「心の安全保障」に取り組むべきです。
木村 モノ中心で心の問題がおろそかになったということですが、京都大学では、文学部はちゃんと文学をやっていますか。
笠谷 今どきの流行は「国際」「情報」「環境」というもので、こういったラベルで看板を付け替えていかないと予算が回ってこないという事情があります。このため、まず民俗学は崩壊状態で学科の名称から消えつつあり、史学科も古代、中世など伝統的な歴史の区分けでの研究が難しくなっています。
見栄えの良いラベルと評価受けの良い外向けのメニューはあれこれと並べ立てられていますが、内容はそれに反比例して空疎になっているようです。今の大学は、評価書作りと、その対策に追われて、実際の研究時間が絶望的なまでに切り詰められてしまっているというのが実情です。
木村 大学では手を付けなくなった、いろいろな伝統文化、古典、史学などは生涯学習の場に移っています。そういう中で五十代のおばさんたちに、素晴らしい研究をする人たちが出てきています。「生涯学習社会への移行」も臨教審の答申なのですが、学校でもきちんと教えてもらわないと困ります。
和風への再評価 |
武道の興隆警戒したGHQ 中西――どうも、エスタブリッシュメントに入り込んだ社会主義勢力が、巧妙に思想をコントロールしていて、本当の価値を論じにくい環境に持っていっているとの印象を受けますが。
無視できぬ技術文明の影響 木村
オペラ座歌舞伎公演に期待 笠谷
団欒の場を狭めた公団基準 木下
中西 一九二〇年から三〇年代に「ソフトな先進国型革命路線」ということを左翼が言いだしています。フリーセックスをも認めるマルクーゼや家族の絆を壊すフランクフルト学派の人たちが、ナチズムに追われたりして大挙、アメリカに行きます。日本の大学でも冷戦後、家族や伝統、国家観・歴史観などのキッチリしたものを全部壊してゆくのが学問の進歩ととらえており、「しなやかに」は意識的な狙いがあったとさえ思われます。
木下 社会党と自民党の連立政権ができたころから、巧妙に「男女共同参画」として入ってきており、今は「男女平等」を前面に出して「ジェンダーフリー」などという過激な社会運動をしていますが、そういう意図を感じますね。
木村 イデオロギーだけでなく、技術文明が家族を解体している面も忘れてはならないですね。
中西 その影響は大いにありますが、日本の場合に欧米と比べ家族の崩壊があまりに早過ぎはしないかと。最近、若い世代の価値観調査を見ると、日本は家族に対してネガティブな評価をする率が、イギリスやドイツよりはるかに高いのですね。
木村 「どんなことがあっても親の面倒を見るか」というアンケート調査で、一番低いのは日本です。
笠谷 日本の社会の中で「家族の団欒(だんらん)」というものが絶えて久しいのではないか、という気もします。
木村 日本人は「以心伝心」とか、「親の後ろ姿で教える」とかいう文化を引きずっています。昔は、食べ物でも着る物でも手作りし、それを着せることによって親の心は伝わったのです。今は、手作りのものがなくなって、伝えるのが難しくなっています。
木下 「家族の団欒」は重要ですね。戦後、左翼系の戸田正三京都大学教授は一九四九年四月五日付朝日新聞(大阪)で、「一夫二児制論」と題して日本の出生率を下げて七千万人の適正人口を実現せよと主張しています。「日本人の家族の理想は、父母に男の子・女の子一人ずつでよい」という内容です。この影響で住宅公団の基準が3DKという狭小サイズになったといわれています。だから一般的に家族がそろって団欒する場所が確保されなくなってきているのです。
笠谷 もう一つは、家族からお父さんがどんどん排除される傾向があります。最近の旅行会社のプランは母娘向けが主流です。
木下 父性の復権が必要ですね。そのためには「武士道」で、これをちゃんとしたい。私は以前、学生時代に剣道をやっていたのですが、スポーツ化したら日本の武道は駄目になります。柔道の「かけ逃げ」は本来の柔道の精神とは程遠いものです。剣道も昔は、左胴をパーンと奇麗に打っても、一本にならないのです。なぜなら、剣道は「道徳」の世界です。こちら(左側)に武士は脇差しを差しており、いくら左胴を斬(き)っても短い刀があるから斬れないので一本にならないという考えが昔はありました。そういうところから、いい伝統や道徳を学んだのです。
中西 GHQ(連合国軍総司令部)も、武道にものすごく神経質になりました。各道場を回り、『武道塾の監視文書』という資料が、一年で二、三十センチの厚さになったとあります。これをワシントンにまで届けるなど、武士道精神の復活をよほど警戒していた節があります。
笠谷 伝統の根を断ち切るという根本方針があったのでしょう、伝統は天皇制と結び付くと。実際あの当時は、天皇陛下のために死ぬための武士道、死ぬのが忠義だということが瀰漫(びまん)していました。
木下 間違った教え方ですね。真意を理解していない。
笠谷 それは全然真意ではないのです。今日の観点でもう一度、正しくとらえ直すことが伝統の意味です。
木下 先生が書かれておられますように、昔の武士は、殿様の発言に、もし間違ったことがあったとならば、身を挺(てい)してそれを諫言(かんげん)するということがあったと。
笠谷 武士道、忠義といっても時代によって違い、一様には言えないところがあります。十七世紀は絶対型の忠義観が主流です。十八世紀になると、三度諫(いさ)めても聞き入れてくれない暴虐の殿様であったら、それは強制的に辞めてもらい、その廃位は正当行為であるというふうになってきますね。
しかも徳川吉宗などの将軍家も、この武士道を支持するのです。その意味で十八世紀というのは非常に高い道徳的レベルを達成しました。西洋の政治思想の影響など何もなしに、フランス革命よりも早く独自につくり上げました。これがまた、明治以降、変質するのですけれど。
――武士道も、ハリウッドが『ラスト・サムライ』で取り上げたりするようになっていますが。
中西 私は団塊の世代ですが、われわれが大きくなってきた時代は、伝統芸能である『何々座』が無くなったというようなニュースばっかりでした。だからいずれ、伝統的なものはすべて廃れていくのだなという感覚になってしまいました。
笠谷 その流れを変えたのが歌舞伎ですね。最近、初めてパリのオペラ座が歌舞伎の公演を受け入れたのです。この三月に市川団十郎の公演が行われるのですが、全席、既に予約で売り切れの盛況ぶりです。日本からの追っかけもいるなど、若い女の子にも人気があります。
実利主義の風潮の中で育った団塊の世代が日本の社会を支配してきた中で、伝統文化はどんどん軽視されましたが、今後また若者を中心に復興していくと思います。若い世代には「和み」の感覚へのこだわりを通して、和風文化への根強い志向性が感じ取れます。私はこの若い世代に大いに期待しているのですよ。
木村 英国病といわれた時代のイギリスを肌で感じた者としては、「あのイギリスだって再生したのだから日本だって」と思います。
――お話のような歴史観、価値観に立って言論を行っていけば、国家再生を果たし、よい文化を発信していけると思います。どうもありがとうございました。http://www.worldtimes.co.jp/special2/zadankai2007/070103.html
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この対談を読むかぎり、良さそうな電子新聞だと思う。