命の長さ
命の長さは、神さまが決めると思っている。
人には、いろんな最後がある。
会社の男の子は26歳なのに、バイクの事故で死んでしまった。
教会のある婦人は、難病にかかって、体の神経がどんどんダメになっていき、
頭ははっきりしているのに、体の自由が利かなくなって死んでしまった。
本当なら、肺の呼吸機能が落ちて、呼吸器をつけて生きないといけないのだ
けれど、なぜか心臓発作が起きて、その前に死んでしまった。
でも、呼吸器をつけるのはイヤだと本気で言っていたから、それで本人は
満足だと思う。クリスチャンで、イエス・キリストが十字架にかかったのは、
自分の罪を身代わりに背負うためだと信じていたので、今は天国にいる。
事故などであっという間に死ぬ人、変な病気で死ぬ人、ぼけてしまってまとも
な会話もできない状態になって、衰弱して死ぬ人。いろんな死がある。
それは、人間には選べないことなのだと思う。
医学が発達して延命はできても、やっぱり人間はいつか死んでしまう。
だから、人間はいつも死を意識して明日死んでも悔いがないように生きる
べきだ。でも、いつ死ぬか分からないから、今めちゃくちゃをするというのも
人間としての尊厳が無くて空しくなる。息をしていても、生き生きと生きて
いない人もたくさんいる。あんまり罪にまみれて生きていると、空虚な自分
に耐えられなくなり、うつ病になったりするし、うつ病になると自殺したくなる。
罪を犯し続けても、何の良心のかしゃくも覚えない人は犯罪者として裁かれ
る。それでは、クオリティの高い人生とは言えない。他人の自由や金や命を
奪って平気な人間は、健全な社会では排除されて当然ではないか。
人間は、いつ死んでもいいようにしていないといけないけれども、今、自分が
していることに希望やプライドを持てないと元気に生きられないということ
なのだ。
「人はパンだけで生きるのではない。」とは、聖書の言葉だ。
その続きには、「神の口からでるひとつひとつの言葉によって生きるので
ある。」とある。人間には神さまによって与えられる生きる目的が必要なのだ。
聖書は、そのように教えている。それを「使命感」と置き換えてもよい。それは
神さまが自分にこれをさせようとしていると、本人が感じて行動することを意味
するのであって、罪の欲望のままに動く事を生きる目標にしてもよいというこ
とではない。
以前、無料メルマガに凝っていろんなメルマガを注文していた時期があった。
その中に、「夢を目指して頑張れ!やればできる!人生は一度だけ!」などと、
励ましてくれるメルマガがあったのだが、いつも「犯罪者がこれを読んで、
実際に夢を実現しようと行動に移したらどうなるのかな、、、。」と心配になった
ものだ。
やはり、正しい倫理観に立って夢を持ち、その夢を実現しようと頑張らねば
ならないということなのだと思う。正しい倫理観とは、聖書が教える神さまの
愛に基づくものだと思う。
日本人は、昔は武士道が基準だったのかもしれない。
武士道をまとめた人も聖書を参考にしてまとめたという事を本で読んだことが
ある。本来あった日本人の武士の考えをまとめたのだろうが、アメリカの影響も
多少は受けていたようだ。命も仕事も神さまから与えられたものだから、利益
は、神さまに感謝して社会に還元していこうというアメリカ人の考え方は、聖書
の影響を受けているそうだ。
自分の命の長さがどうであれ、人々に害になる夢を実現するのではなく、多く
の人々に愛と喜びを与える夢を実現していくのが正しい事だと思う。
道徳の基準が無い国では、金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に、
病気の人には救済の仕組みが無く、お年寄りや弱者は見捨てられ、人々は
病気やケガや暴行に会う事を日々恐れて貯金に走り、できれば国を捨てて
外国に逃げようとする。外国人になった上で、自国に舞い戻ろうとする。
そんな国では、金持ちの幹部の家に生まれたら、ひたすらラッキー。
貧乏な農民の家に生まれたら、ひたすらアンラッキー。
それだけで一生が決まってしまう。
能力によって、頑張れば夢がかなう国が一番いい。
そして、事故に会う人が少なく、病人も、直ぐケアされて、最後まで面倒を見て
くれる人がいるシステムがあり、みんなが愛されていて困った時に救いの手が
伸ばされるような国が、本当にいい国だと思う。
愛がある国が一番いい。その愛と徳の基準がしっかりしている国が、いい
国になるのだと思う。それでも、悪い人間が支配する国が現実としてあるので、
他国の侵略から自国の人間を守るための軍隊が必要なのだ。
他国を攻めるための軍隊ではない。自分の国の国民を守る軍隊が無いと、
せっかくいいシステムが揃ったいい国を作っても、その実を他国に奪われたら、
自国民が他国の奴隷になるだけではないか。他国を潤すために自国民が
貧困にあえいだり、過労死すのはたまらない。
神さまを信じて、神さまの愛を基準に生きる国民が多い国が実際にあるとしたら
すごいことだが、そういう国は無い。アメリカだってクリスチャンは少ししかいない
そうだ。クリスチャンと言いながら、教会にも行かず、本当にイエス・キリストを
信じていない人が半分以上いるそうだ。
自分がクリスチャンだと思っていても、そうでは無い人がたくさんいるらしい。
アフリカなどの貧困国では平均年齢が40代ぐらいなので、日本人がおばあ
ちゃんが、87歳で死んだと言えば、「そんなに長い間生きれて幸せですね。」
と言われるそうだ。長生きできる人がたくさんいる国は、確かにいい国なのだ。
でも、個別に見てみれば、長く生きていても不平不満ばかり言って、どこに
行っても嫌われているお年よりもいるし、短い人生でも阪本竜馬のように日本を
変えるような事をした人もいる。
人生とは長さではなく、質の問題であることは確かだ。自分の国を愛して、
自分の国を盛り上げるために頑張る人がたくさんいる国がいい国だ。
役人がワイロばかりとって、ヤクザや外国人が暗躍する国では、国民は
ムダに税金ばかり取られてしまう。みんなが自分の国を愛するなら、どんなに
ダメな国もきっとそこそこいい国になると思う。儲けた企業が金を社会に還元し
弱い人々を助けて、餓死して死ぬ人が出ないようにする。病気で治療を受けら
れず、苦しみながら死ぬ人が出ないようにする。どんな企業も個人も正しい
倫理観を持って生きるなら自然と社会は良くなる。政府は企業を躾けなければ
ならない。国民は、裏金で企業や外国にコントロールされるような、自国民に
対する愛が無い政治家を選んではいけない。日本を愛する政治家を選ぼう。
国民に正しい倫理観を植え付けるには教育が必要だし、家族が自分の子供を
しっかり愛を持って躾けないといけないということだ。
人間は罪びとなので、なかなか理想どおりには動かないが、それでも、完全を
目指して努力していくのが人間なのではないか。
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基準を持っていない人は、本屋で聖書を買って読んではどうかと思う。
聖書には生きている間に神さまに出会って罪を赦され天国に行けるように
準備しなさいと書いてある。神さまの愛を信じ、罪を赦された者は人生の
勝利者である。命の長さは関係ない。人間は死後に罪を裁かれる場所に
行ってはいけない。すでに、その罰は神さまのひとり子が十字架にかかって
身代わりに受けたからだ。人は生きている間に神さまの使わした救い主を
信じて、天国に行ける身分になっておかねばならない。それが、世界の創造主
である神さまの願いであると、神は愛であると、聖書には書かれている。
そして人は、生きている間に神さまの愛を他の人に現すために生きていると
書いてある。生きている間は、神さまの素晴らしさを体現していくことを求め
られている。神さまを信じれば、自然とそれが出来るようになっている。
神さまが、それを助けるからだ。