日中の歴史共同研究 | 日本のお姉さん

日中の歴史共同研究

時局心話會 代表 山本 善心

 日中両国の有識者達による「日中歴史共同研究」の初会合が、12月27日
から2日間、北京市の社会科学院で開催された。この共同研究は、日中間
の歴史問題を両国の学識経験者らが議論し、2008年には「成果発表」を行
うというものだ。

 今まで日中間には全くデタラメとみられる「歴史的事実(とされるもの)」が
一人歩きしてきたが、学識経験者らの議論が公開されるのは良いことだ。
これまでは日本が中国を侵略した、という中国側の一方的な歴史観がまか
り通り、あたかも事実であるかのごとく定着してきた。

 つまり、中国側は「事実は一つ、解釈も一つ、被害も一つ」が前提だ。党
独裁体制の中国共産党が主張する政治的歴史観が正当であり、悪いのは
すべて日本だとする考え方にもほころびが見えてきた。

日中の違い埋まるか

 今回の研究会で中国側は座長の社会科学院近代史研究所所長・歩平氏
が「侵略戦争の歴史事実を否定する無責任な言動が両国の共同利益を損
なっており、これが歴史問題を解決できない根本原因だ」と述べている。

 中国側は近現代史を中心に、歴史観を有利に展開すべきだと考えている。
特に「靖国神社」や「A級戦犯」に対する対日世論工作に成功を収めたこと
で、これを明文化する必要があった。ここには安部晋三首相の靖国参拝を
阻止する政治的意図やA級戦犯を悪とする思惑も見え隠れする。

 しかし日中間には政治体制や基本的価値観に決定的な違いがある。日本
は「民主主義と自由、人権、法の支配」に価値観を置き、中国は「独裁と人権
無視、無法体制」が官民一体の常套手段なのだ


お互いの違いを認め、建設的な議論や歴史認識を共有できることなど考えら

れようか。

デタラメな歴史観

 日本側にとっては、近現代史における戦争の大義と事実を国際世論にア
ピールするチャンスだ。
あるいは対中侵略は本当か否か、個々の事実認識
を明確に議論することに共同研究の意義がある。この研究会に“政治的意
図と国民感情”が入れば純粋な共同研究には成り得ないからである。

 今回、中国共産党対外連絡部長の王家瑞氏がしきりに「非政治の枠組で
議論することで、中日関係の基礎を強くすべきだ」と強調(06.2.27毎日)する
のはなぜか。その理由は、余りにもデタラメで行き過ぎた対日歴史観が解
明され、修正と変更が余儀なくされたからであろう
。反日行動の行き過ぎは
中国共産党への不満の裏返しになる、との見方もある。

日韓共同研究の成果

 参考までに、日韓歴史共同研究がどのような成果であったか振り返って
みたい。日韓両国の歴史研究者は3年間にわたる共同研究の成果を発表
した(05.6.10)。「日韓歴史共同研究委員会」では、とくに韓国併合から植民
地支配、日韓国交正常化に至る過程に、2000ページ近く(報告書の半分以
上)を割いた。

 しかし、これら報告書の内容は“歴史的事実”より“歴史認識の違い”と“政
治的主張や国民感情”が浮き彫りになった。韓国側の鄭在貞ソウル市立大
学教授によると「韓国は無理矢理植民地にされた」。日本側は「国際法に準
じて合法的に植民地化した」と見解の違いを強調。
日本側の論文で植民地
時代、ソウルには学校、デパート、インフラが整備され民衆の生活が向上し
たと言えば、韓国側論文は当時日韓貿易が飛躍的に増えたためと主張し、
すれ違いをみせている。

 このように共同研究では近現代史の歴史認識の対立が際立ったものだ
が、議論し公開することでこの違いを両国民が知る意味は大きかった。両国
委員からドイツ・フランスの教科書にならい、日韓共同で教科書の副読本を
作ってはどうかとの意見も出たほどだ。

植民地政策の評価

 韓国では米国で国際政治を学び、韓国人歴史観に警鐘を鳴らす学者・知
識人もいる。
彼等はメディアの集中批判に抹殺されたが、自らの政治理念
や哲学を変えなかった。元高麗大学名誉教授の韓昇助氏や、若手評論家・
金完燮氏がそうだ。韓昇助氏は筆者との対談で「韓国併合はロシア・中国
に占拠・併呑されなかったことが幸いだった」と述べている。
また金完燮氏
は「日本統治時代はわれわれにとって祝福だった」との論文を発表してい
る。

 40年前から筆者は100回以上訪韓しているが、当時の戦争体験者らに植
民地時代について意見を求めたことがある。彼等は「日本の植民地化によ
り食糧の配給が安定し、治安が良くなった」と言い、「民衆を抑圧してきた古
い体制が清算され近代的な文明と公正な法制による統治が実現した」と率
直に当時の様子を回顧した。


 一方、台湾の李登輝氏は「植民地時代の日本教育が台湾に近代観念を
導入した」と述べている。
平成9年の独立50周年にはインド政府から「インド
独立は日本帝国陸軍のおかげ」との声が寄せられた。

日本は自衛のために戦った

 昭和16年(1941年)、フィリピン、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマ

(ビルマ)、シンガポール、マレーシア、インドネシア、パプア・ニューギニア

インド、パキスタン、スリランカ(セイロン)はすべて欧米の植民地であった。
アジアの開放と独立運動が大東亜戦争の大義であり、日本軍はこれらの
国々の独立に貢献した。

 このことは、昭和18年(1943年)、アジア各国が参加した「大東亜会議」が
採択した大東亜宣言の中で謳われている。1993年11月、米国のシアトル
で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)でも「大東亜会議」の存在
を認めた。戦後マッカーサー元帥もアメリカ議会で「日本は自衛のために
戦った」と証言した。

 中国の言うように、大東亜戦争を単純に日本の「侵略戦争」にすり替える
ことは、アジア全体と日本の歴史を歪める。
筆者は30年かけて集めた当時
の貴重なグラビア、証言録などの資料を、弊社の書籍室など二箇所に保存
している。健全な国家と国民は正しい記憶と記録を持つことが肝要だと思う。

誰が戦争を裁くのか

 当時、戦争を行うことは国家固有の権利として国際法で認められていた。
自衛のための戦争なら国連憲章も認めている。
かつてのシナ事変はどうし
て起こったのか。これは盧溝橋事件が発端である。1937年7月7日夜、
溝橋付近で演習中の日本軍が突然銃撃を受けたが、これは完全な中国側
による国際法違反であった。
翌8日早暁、中国軍に反撃し、両軍は交戦に至
ったのである。

 中共が国民党の蒋介石を西安で拉致し、同盟して日本と戦うことを誓わせ
たのが「日中戦争」の始まりであった。
日本軍が国民党軍の挑発に乗り、泥
沼に引きずり込まれたのは全くの不覚といえよう。

 日中戦争の歴史は日清・日露戦争からの続きであり、この問題を解明す
るには明治維新にまで遡ることになる。日中戦争だけが孤立して存在した
わけではなく、日本の全歴史を引きずっているのだ。

戦争断罪は過去と未来を失う

 彼等が日本の戦争責任と歴史の正邪を追及しても、歴史を裁くことは
にしかできない。当時の植民地化も日中戦争も、国際的な力学の中で行
われたものである。

 従って「戦争責任」という言葉を信用できないし、かつての戦争を「悪」と断
罪することは、日本人の歴史と過去は全て悪かったと神に代わって裁くこ
とではなかろうか。つまり自国の戦争の断罪を自ら進んで行うことは先人に
対する侮辱であり、日本の歴史を全否定する暴挙にほかならない。

 日本は全面的な歴史否定によって国民の過去と共に未来をも失った。全
アジアを植民地化し、全アジア人民をあれだけ苦しめたイギリスやフランス
が一度たりとも謝ったことがあるだろうか。
今まで「謝れ」と謝罪要求した国
がないのは、戦争そのものが国際的な力学の上に成り立つゆえんである。

 世界で他国の歴史を「悪」と断定し謝罪要求している国は中国と韓国だけ
である。彼等は歴史を自国の都合で塗り替え、国内事情の解決や国益誘
導のための武器として政治問題化したにすぎない。


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