85歳のおじいさんの思い出 | 日本のお姉さん

85歳のおじいさんの思い出

85歳の友達のおじいさんは、ビルマの戦争から帰ってきた人。


口癖は「それでも、わしは日本に帰ってきたで!」だ。


ひどい経験をしたが、自分は日本に帰ってこれた。それが誇りなのだった。


戦友はほとんどビルマで死んだ。


チューゴクジンは、日本の赤十字でもかまわず殺したそうだ。


それが一番いやな思い出らしい。日本軍がロシアが南下してくるらしいという


ウワサにおびえていた頃、ビルマの日本軍は撤退中だった。追ってくる敵と


戦闘を交えながら撤退している現場に、看護婦を何人も連れた赤十字が


やってきた。「あっちには、チューゴク軍がいるから行ったらあかん!」と忠告


したのに、赤十字は、「赤十字は、攻撃されないんですよ。」と言って、けが人の


救助に出かけていった。


次の日岡の上に杭(くい)がささったトラックか荷台か何かがずらっと並んだ。


それぞれの杭(くい)にはなにかがぶらさがっている。


おじいちゃんが見に行ったら、すべてのくいには、昨日の赤十字の看護婦


さん達が全員服を脱がされ素っ裸のまま杭に串刺しになって死んで


いたそうだ。日本兵に対する見せしめのために、そういう展示をしたようだ。


もちろん看護婦さん達は全員、チューゴクジンに強姦されてから殺されたはず。


「チューゴクジンは、そういうことをする民族やからな。」と言うのも、おじいさん


の口癖だ。ビルマでは、ビルマ人と一緒に戦っていた。ある日、爆弾が雨の


ようにドカンドカンと落ちる中、突然、この塹壕はアブナイという気持ちに


なって、ダッシュして隣の壕に逃げたら、今までいた壕に爆弾が落ちた。


そこにいた隊長は、掘り起こしたらひどいありさまで死んでいたそうだ。


おじいちゃんについてきたビルマ人は、いのちが助かったので泣いて喜んだ


そうだ。マラリアや、下痢にも苦しめられた。水は沸騰消毒しないで飲んだら


必ず下痢になったそうだ。チューゴクジンに捕まったら、拷問の末に殺される。


銃で殺してくれたら、幸運な捕虜だったそうだ。だから、チューゴクジンに


捕まって捕虜になったら、必ず拷問されて殺されるので、自ら死ぬ方が


楽だったそうだ。


拷問のしかたも、普通では考えれない方法で詳しく言えないぐらいひどいとか。


おじいちゃんは気むずかしい人で孫にしか心を許さないそうだ。


これは、おじいさんが孫である友達に語った話しのほんの一部です。友人は、


昔の思い出話しで日本とチューゴクが憎しみのスパイラルに陥ったらいけ


ないから、おじいさんには、何も言うなといさめているらしい。


でも、チューゴクジンは、戦争の時に、信じられないぐらい恐いことをしていた


というのは事実だ。友達のおじいさんは、今85歳だから終戦の時は、24歳


ぐらいだったと思う。まさに地獄をくぐり抜けて日本に帰ってきたのだ。


帰ってこなかったら、友達のお母さんも生まれていないし、友達も生まれて


いなかったのだ。おじいさんに直接、話しを聞いてみたいけど、それはどうも


無理みたい。