アブラハムとイサク | 日本のお姉さん

アブラハムとイサク

主(創造主である神さま)は、アブラムに仰せられた。

「あなたは、

あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、

わたしが示す地に行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、

あなたを祝福し、

あなたの名を大いなるものとしよう。

あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、

あなたを呪う者をわたしは呪う。

地上のすべての民族は、

あなたによって祝福される。」

聖書 創世記11章1節~3節

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こうして彼らはカナンの地にはいった。(略)


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そのころ、主がアブラムに現れ、そして、「あなたの子孫に、

わたしはこの地を与える。」と仰せられた。(略)


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「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。

私にはまだ子がありません。」(略)

「私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」

と申し上げた。

すると主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。

「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て

来る者が、あなたの跡を継がねばならない。」

そして、彼を外に連れ出して仰せられた。

「さあ、天を見上げなさい。

星を数えることができるなら、それを数えてみなさい。」

さらに仰せられた。

「あなたの子孫はこのようになる。」

彼は主(創造主である神さま)を信じた。

主はそれを彼の義(神さまの前に正しい)と認められた。

また彼に仰せられた。

「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに

与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを

連れ出した主(創造主である神さま)である。」

聖書 創世記15章3節~7節


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アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。

彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。

サライはアブラムに言った。

「ご存じのように、主は私が子どもが産めないようにしておられます。

どうぞ、私の女奴隷のところにおはいりください。

たぶん彼女によって、私は子どもの母親になれるでしょう。」アブラムは

サライの言うことを聞き入れた。(略)

彼はハガルのところにはいった。そして彼女はみごもった。

彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるように

なった。(略)

そこで、サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。


主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を

見つけ、

「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と

尋ねた。(略)

「あなたの女奴隷のもとに帰りなさい。そして彼女のもとで身を低くしなさい。」

また、主の使いは彼女に言った。

「あなたの子孫は、わたしが大いに増やすので、数え切れないほどになる。」

さらに。主の使いは彼女に言った。

「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。

その子をイシュマエルと名付けなさい。

主があなたの苦しみを聞き入れられたから。

彼は野生のロバのような人となり、

その手は全ての人に逆らい、

全ての人の手も彼に逆らう。

彼は全ての兄弟に敵対して住もう。」(略)


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ハガルはアブラムに男の子を産んだ。

アブラムは、ハガルが産んだその男の子をイシュマエルと名付けた。

ハガルがアブラムにイシュマエルを産んだとき、アブラムは

86歳であった。

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アブラムが99歳になったとき、

主はアブラムに現れ、こう仰せられた。

「わたしは全能の神である。

あなたはわたしの前を歩み、全(まった)き者であれ。

わたしは、わたしの契約を、

あなたとあなたとの間に立てる。

わたしは、あなたをおびたたしく増やそう。」

(略)

「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。

あなたは多くの国民の父となる。

あなたの名は、

もうアブラムと呼んではならない。

あなたの名はアブラハムとなる。

わたしが、あなたを多くの国民の

父とするからである。


わたしはあなたの子孫をおびたたしく増やし、あなたを幾つかの国民とする。

あなたから、王たちが出てこよう。


わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、

そしてあなたの後の子孫との間に、代々に渡る永遠の契約として

建てる。

わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。


わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたと

あなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。

わたしは彼らの神となる。」

聖書 創世記 17章1節~8節

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また神はアブラハムに言われた。

「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。

その名はサラとなるからだ。

わたしは彼女を祝福しよう。

確かに彼女によって、わたしはあなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは

彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、

彼女から出てくる。」

アブラハムはひれ伏し笑ったが、心の中で言った。


「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、90歳の女が子を産む

ことができようか。」

そしてアブラハムは神に申し上げた。

「どうかイシュマエルが、あなたのみ前で生きながらえることができます

ように。」

すると神は仰せられた。

「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。

あなたはその子をイサクと名付けなさい。

わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために

永遠の契約とする。

イシュマエルについては、あなたの言うことを聞きいれた。

確かにわたしは彼を祝福し、彼の子孫を増やし、非常に多く増し加えよう。

彼は12人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。

しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、

わたし契約を立てる。」

聖書 創世記17章15節~21節

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主はマムレの木のそばで、アブラハムに現れた。

(略)

彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか?」

それで天幕の中にいます。」と答えた。

するとひとりが言った。

「わたしは来年の今ごろ、かならあなたのところに戻って来ます。

その時、あなたの妻サラには、男の子ができている。」

聖書 創世記18章9節、10節


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主は約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主は

サラになさった。

サラは身ごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、

年老いたアブラハムに男の子を産んだ。

アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子を

イサクと名付けた。

聖書 創世記21章1節~3節


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その子は育って乳離れした。

アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。

そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムのために

産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。

それでアブラハムに言った。

「このはしため(奴隷)を、その子と一緒に追い出してください。

このはしための子は、わたしの子イサクと一緒に跡取りになるべきでは

ありません。」

このことは、自分の子に関することなので、

アブラハムは、非常に悩んだ。

すると神はアブラハムに仰せられた。

「その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではいけません。

サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。

イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。

しかし、はしための子も、

わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」

翌朝早く、アブラハムは、パンと水の革袋を盗って、ハガルに与え、それを

官女の肩に載せ、その子どもと共に彼女を送り出した。それで彼女は

ベエル・シェバの荒野をさまよい歩いた。

(略)

神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。

(略)

神が少年と共におられたので、彼は成長し、荒野に住んで弓を射る者と

なった。こうして彼はバランの荒野に住みついた。

彼の母はエジプトの国から彼のために妻を迎えた。

聖書 創世記21章8節~21節

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神はアブラハムに試練に会わせられた。

(略)

神は仰せられた。

「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、

モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに示す一つの山の上で、

全焼の生け贄(いけにえ)としてイサクを捧げなさい。」


翌朝早く、アブラハムはロバに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとを

一緒に連れて行った。

彼は全焼の生け贄(いけにえ)のための薪を割った。

こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

(略)

そこでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたはここでロバと一緒にここで

待っていなさい。わたしと子どもはあそこに行き、礼拝をして、あなた方の

ところに戻ってきます。」

(略)

イサクは、父アブラハムに話しかけて言った。

「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク。」と答えた。

イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼の生け贄のための羊はどこに

あるのですか?」
アブラハムは答えた。

イサク。神ご自身が全焼の生け贄の羊を備えてくださるのだ。」

こうして二人は一緒に歩き続けた。


二人は神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に

祭壇を築いた。そうして薪を並べ、

自分の子イサクを縛り、

祭壇の上の薪の上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、

刀を盗って

自分の子をほふろうとした。


そのとき、主の使いが天から彼を呼び、

「アブラハム、アブラハム。」と仰せられた。

彼は答えた。「はい。ここにおります。」


み使いは彼に仰せられた。

「あなたの手を、その子に下してはならない。

その子に何もしてはならない。

今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった

あなた、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないで

わたしにささげた。」


アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の

雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の

かわりに、全焼の生け贄として捧げた。


そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・エレ(主が備えてくださる。)と

名付けた。今日でも、「主の山には備えがある。」と言い伝えられている。


それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、仰せられた。

「これは主のみ告げである。

わたしは自分にかけて誓う。

あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかった

から、わたしは確かにおなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、

海辺の砂のように数多く増し加えよう。

そしてあなたの子孫(単数)は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地の全ての国々は祝福を受けるようになる。

あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

聖書 創世記22章1節~18節


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聖書のことばを書き出してみました。

聖書によると、アブラハムとサラは、神さまを信じる人だったので、

神さまに選ばれてウルから出され、カナンの地に行き、そこで、

神さまに将来ここがアブラハムの子孫の土地になるという約束を

いただきました。その時、二人には子供もいなかったので、

きっとぼんやりその約束を聞いていたのだろうと思います。

サラなどは、天幕の影で笑っていたし、アブラハムもそんなに

神さまに信頼している様子もなくて、エジプトで王様をだましたりして

生き延びようと努力する普通の人でした。サラは絶世の美女で、

外見も老けていなかったようです。いくら神さまに子供が生まれると

いう約束をもらっても信じようとせず、奴隷の娘を主人に与えるなど

結構当時の風習に従う人です。そうかと思えば、危険な母子を

追い出したり、なかなか気が強い人です。

アブラハムは、年をとるにつれて、普通ではできない事をされる

神さまのことばを信じる人になり、神さまは約束されたことを必ず

実行されると信じて、言われるとおりに自分のひとり子のイサクを

捧げようとしました。殺して祭壇に載せて焼こうとしたのです。

きっと、殺しても神さまが生き返らせてくださると信じたのだと思います。

でも、神さまには、別の考えがあったのです。

アブラハムを使って、彼の子孫と後世の人間に神さまの預言を

示されたのです。

ひとりしかいない自分の子供を殺すなどという恐ろしい命令を出すなど、

なぜ神さまはアブラハムにそんな辛い経験をさせたのでしょうか?


それは、これから神さまが人間に行う事を伝えるためだったのです。


「主の山には備えがある。」という意味は、神さまがその山の上で

ご自分のひとり子を、人類の罪の犠牲のささげものとするのだと

いう予告だったのです。


それがどんなに大きな犠牲であるのかを、アブラハムと、後世の人間に

示すためだったのです。

神さまは人間の罪の罰を受けるための羊を用意されました。それは、

罪の無い神さまご自身のひとり子である方でした。

神さまのひとり子が、罪のある人間の罪を赦すため、人間の世界に来て

くださいました。

イエス・キリストは何の罪も無い方なのに、十字架にかかり、人類の

罪を身代わりに背負って死なれました。それは、聖書の預言のとおりで

あったし、イエス・キリストもご自身が聖書が預言する神のひとり子だと

普段から宣言していたのです。


イエス・キリストは、山の上に繋がれた神さまが備えられた罪のための

身代わりの羊です。


そして、神さまが罪を赦すための備えは終わりました。

身代わりに罪のない神さまのひとり子が十字架の上で死なれた。

そして、預言のとおりに三日目によみがえって天に帰られた。

それを見た500人以上のキリスト者が、世界に伝えたのがキリスト教です。

聖書どおりに伝えず、マリアや偶像を拝む別な宗教もできましたが、

神さまが言いたいことは一つです。


人間の罪の裁きは、罪の無い神さまのひとり子が身代わりに受けたので

罪の裁きは終わっている。


ただそれを自分のためだと信じる者は、罪が赦され救われるのです。

信じた瞬間から、罪の裁きである地獄から救われ、天国に行けるように

されるのです。


アブラハムは、神さまの約束を信じて、神さまの前に正しい人だと神さまに

認められました。

今の時代は、神さまがあなたの罪を赦すために、すでにひとり子が十字架に

かかり、身代わりに地獄の苦しみを受けて死んでくださっているので、

神さまの約束がそのとおりにされたことを見て信じるだけでよく、

昔よりも信じやすくなっているのです。


そのほかにも神さまは、人間が神さまのことばを信じやすいように、預言者に

多くの預言を書かせておられます。今後の世界がどうなるかに関しても

ちゃんと教えてくれています。

また、この世界の自然界のすばらしさを見ても、神さまが存在されることは

人間はうすうす分かっているし、誰も創造主である神さまを知らないと弁明

できないのだと聖書にはあります。


太陽を拝んだり、自然を拝むのは、それを創られた神さまに対する罪です。

創った方を拝まずに、創られた物を拝むのは、失礼なことです。

また、人間の努力や行いで、神さまに罪を赦してもらおうとする行為もとんで

もないことです。

「ごめんなさい。」と何度ひれふしても、そんな事で犯した罪は消えません。

罪に対する処罰はかならず、あるのです。


その罰を罪のない神さまのひとり子がかわりに引き受けてくださったのです。

それを信じないと、誰も天国にはいけません。


イエス・キリストが犠牲になってくださったことを信じるだけで救われるのだし、

神さまご自身が用意された方法でないと人間は罪の裁きである地獄から

救われないのです。


アブラハムがイサクを捧げようとした、その山でイエス・キリストは十字架に

かかられました。「主の山には備えがある。」のです。