パニック&のんびり
朝起きたら9時だった。しまった。ゴミ収集車はすでに来た後か!?
急いで窓から確認。みんな正月明けのひさしぶりのゴミの日だから
おもいっきり捨ててる。てんこもりになってる。まだ、ゴミ収集車は来て
いない!必死でゴミ袋を表に出す。
去年はゴミの日が終わってから、大掃除をしたから、掃除でできたゴミ袋が
たくさんベランダに置いてあったのだ。ゴミの内容はほとんどちらし、
無料の雑誌、請求書、DMなどだ。後で読もうと思って捨てずに置いていた
ものが溜まってきたのだ。街でもらったポケットティッシュもたくさんあちこち
から出てきた。外側のビニールを外してまとめて袋に入れて、それに霧吹きで
水をかけて床ふきをした。結構役に立った。
古本屋で買った戦争に関する本もかなりの数になった。ぼちぼち買うのを
やめて読まないと、もっと増えそう。
これでは友達のママと同じになってしまう。友達のママは、韓流のドラマを
全部CD-ROMに撮っているのだが、後で観ようと思っているだけで
全部観ていないらしい。どんどん溜まる一方だ。いつ観るんだろう。
でも編集するときに、早送りで観ているそうだ。だから内容はほぼ知っている。
最近は、アメリカのドラマも撮っているので、CD-ROMの数もハンパでは
ない。わたしの古本も、いつ読み終わるのかな。
掃除を手伝ってくれた友達は「戦争の本ばっかりやね。」と言っていた。
「うん。なんで日本はアメリカに嫌われたのかなと思ってさ。」と言うと、
「知らないの?アメリカは、ドイツに反対していて戦争に参加したかったんや。
でも、国民が納得しないから、日本をけしかけて戦争に持っていって、
それでアメリカの国民に戦争をする気にさせたんや。日本が開戦することも、
日本大使館より先に知っていたし、ハワイに攻めて行くかもしれないっていう
のも分かっていたんだけど、わざとハワイに教えなかったし、重要な軍艦は
ちゃんと他の港に移動させて待っていたんやで。」と、結構知っているよう
だった。
それぐらいは、わたしも知っているのだが、もっと当時のアメリカ政府の内部の
話しが知りたいのさ。満州の日本の軍隊の様子などが知りたいんだ。
どうして日本がそこまでアメリカに嫌われたのか、そんなことを知りたいんだ。
日露戦争までは、すごくアメリカは日本に好意的だったのに、どこからそんな
風に、ドイツと戦うために日本をダシにして戦争を始めたのか、知りたいんだ。
シナの国民党のトップの嫁さんが、何度もアメリカで大がかりな講演会を開き、
「アメリカの本当の敵はロシアではなく、日本です!!」と叫んでアメリカ人に
オールスタンディングで拍手喝采を受けたというのは知っている。
そんなに日本軍は悪かったのだろうか。いったい、どんなことをしたというのだ。
そういうことが知りたいんだと、説明をした。
いろんな戦争の体験記などを読むと、日本の一般人は、ほとんど戦争の経過
を知らされていない。みんな何も知らされず、なんとなくアメリカに本土攻撃
されるようになって「負けているんだな、、、。」と思っていただけらしい。
軍隊の中の人間すらも、戦争の本当の様子を知らされておらず、移動するのも
いきなりで、行き先すらも教えられなかったそうだ。
当時の日本のトップの東条英機すらも、戦争の様子を知らされておらず
東京裁判の時に、始めて知った話しがたくさんあったそうだ。
どうも何でも秘密にしていたようだし、海軍と陸軍どうしもお互いに何でも秘密
にしていて何も知らなかったらしい。同じ武器をドイツから別々に買ったりして
いたそうだ。部材や説明書などを別々に高く買わされていたらしい。
その話しを聞くと、まったく日本人らしいなと思う。軍隊のエリートたちが、今の
官僚たちと同じことをしていたようだ。ようするに、何をしているのか誰も
知らない状態で、海軍と陸軍のプライドとか、天皇陛下の行く先などを考慮し
て、ロシアと戦争するか、アメリカと戦争するか決めたり、ハワイで成功した
軍艦に積んだ戦闘機による攻撃が効果的であったことに学ばず、格好いい
戦艦ばかり作って戦闘機を用意せず、いくら石油の輸送船を護衛するための
護衛船の配備を依頼しても無視していたり、ろくでもない指揮をして、輸送船
をアメリカ軍につぎつぎと攻撃されて撃沈されていたそうだ。
ろくでもない指揮をして、大勢の兵力を失ったり、日本の兵隊が白米のご飯で
栄養失調になって脚気で死んでも、あくまでも白米を食べさせたり、みんな
無計画で無知で、バラバラで統率力がなかったようだ。
ようするに戦争のプロがいなかったのだ。政府の指導なしに勝手に動く軍隊も
いた。日本政府は平和主義であったのだが、シナ人に対して腰がひけていて
シナの国民党にバカにされ、よけい攻撃されることになりどうしようもなかった
そうだ。
日本軍には、山本五十六などの、年配の人で優秀な人はいたのだが、
士官学校を出たばかりのような経験は無いが自信だけはあるような人が
軍隊の指揮をとったので、ろくな事にならなかったそうだ。
戦争を始めることになったのも、海軍が知らないところで、勝手に8人の
陸軍が「戦争は民意です。」などと言って、天皇を脅して決めたそうだ。
天皇は何度もアメリカとの戦争を回避するように言ったのだが、陸軍は
アメリカの様子などから戦争は回避できないと天皇を説得したそうだ。
たしかに、東条英機の東京裁判の時の答弁を読むと、アメリカは日本と戦争
する気に満ちていて、アジアのあちこちで各国の代表と秘密裏に会議を開い
て、日本と戦争すると宣言しているし、機雷を海に沈めて用意したり、議会に
予算をもらって武器の購入を急いだり、兵器の用意を調えて、アジアに
どんどん輸送したり、日本と戦争をするつもりが丸見えだったようだ。
日本国民には、そういった事は知らされていなかったようだ。東条英機は
いろんな場所から、そういった情報を得る立場にあったし、自衛のために
しかたなく行った戦争であるとはっきりと宣言している。
山本五十六は、アメリカと戦争をしたなら勝つ自信はあるのかと聞かれて
「一年半なら勝てるが、それ以上になると分からない。」と答えた。
陸軍は海軍の軍備がどれぐらいか知らなかったし、同じように海軍も陸軍の
軍備がどのぐらいか知らなかった。それなのに、戦争を決めてしまった。
山本五十六も、今の軍備でアメリカと戦争をしたら負けますとはっきり言え
ない何かがあったのだろう。
一年半の内に戦争に勝っている間に停戦をするようにと、その時に言えない
何かがあったのだろう。そういう日本だったのだろう。
山本五十六は友であった笹川良一に、自分は戦争が始まれば忙しくて軍部に
戦争の停戦の交渉をする時期を指示できないかもしれないので、勝っている
時に、アメリカと有利に停戦の交渉をするように伝えてくれと頼んでいた。
笹川良一は、彼のことばのとおりに、軍部に勝っている時に停戦するように
伝えたが、軍部は笹川良一を無視した。戦争とは、自分の要求をなるべく
通すためにするものであって、日本のプライドを満足させるためとか、日本
人の最後のひとりが死に絶えるまでするものではない。
若くて優秀な若者に、片道のガソリンだけ与えて、特攻隊として使うのは
間違っている。
日露戦争の時は、実際に薩摩藩などに戦争の経験者がいて、ちゃんと戦争の
指揮をとったから勝てたのだそうだ。
今の日本がもし戦争をしたら、また同じようなことが起こる可能性がある。
シナの方が、戦後常に戦争をして領土を拡大させているので、経験者が
健在であり、もともとの民族の残虐性もあるし、神をも信じない共産国なので
日本はかなわないと思う。朝鮮半島が共産化されそうだった時も、シナ人は
まともに武器も持っていない兵隊でもどんどん送り込んできたそうだ。
アメリカ人にすると悪夢のような戦争だったらしい。
シナ人は人民のいのちを大切にしない。大勢いるから1億人死んでもまだ
12億人いるなどと言う。自分は生き残ると思っているので、冷たいことを言う。
日本も若者を特攻隊員にして死なせたけど、特攻隊員は日本が有利に戦争
を終わらせることができるよう、日本のために死ぬつもりで特攻に臨んだの
だから、朝鮮半島に送り込まれたシナ兵とは違う。
どちらも、いのちを粗末にする部分は似ているか、、、。
古本も読まないといけないが、新しい本も読む必要がある。
だらだら過ごす時間は無いのだが、なぜかいつもスケジュールはつめつめ。
たまには猫の日を作って、猫とのんびりすごしたい。
今日は、朝からパソコンが動かなくて、パニックになった。今日中に
メールを送らねばならない場所があるのだ。
B子に電話して「パソコンを貸してほしい。」とお願いすると、「無線が外れて
いるだけちゃうか?いっぺん、見てみ。」と言う。B子の予想は見事に
当たっていた。外れていたものをくっつけたらちゃんと正常に動き出した。
それから安部首相や麻生大臣の仕事ぶりをインターネットで調べたり、
新年のあいさつなどを読んだりした。それからB子の猫ちゃんの手術後の
抜糸に付き合った。
その後、B子のママと一緒に晩ご飯を作り、みんなで晩ご飯を食べた。
みんなで24時間オープンのスーパーに買い物に出かけ、わたしはその
まま家に帰った。帰ると猫たちが大喜び。この正月はほとんど猫をかまって
いない。
今日は、いつもよりのんびり過ごせてよかった。