12月24日だ~。クリスマス イブの朝だ。
クリスマス イブの朝だ。昨日は夜早く寝てしまい、夜中の2時に起きて
びっくり。22日金曜日がすでに終わっていたから。夜中の2時に猫の
パンナちゃんが家に帰ってから一度も顔を見せに来ていないことに気付き、
心配になって家中探した。犬と違って、猫は呼んでも出てこない。
パンナちゃんは年寄り猫なので、すごく心配だった。無事に押し入れの下に
潜り込んでいるのを見つけ、嬉しくて何度もパンナちゃんに話しかけた。
パンナちゃんは、口の中が口内炎で、痛がっている。全然眠くないので
本を読みながらOJINに送るメールを書き、朝になるのを待って病院に連れて
行った。パンナちゃんにステロイドを打ってもらったらほっとして眠くなった。
その後、朝の10時から寝てしまい、起きたら一時。もう生活がめちゃめちゃに
なっている。まるで、時差ボケ状態。3時から友達の家に行き、6時前に
一緒に教会のクリスマス会に行った。教会のクリスマス会は夜の7時から
だった。クリスマスの聖歌を歌ったり、聖書のメッセージを聞いたり、紅茶や
手作りケーキやお菓子を食べたり、教会の子供のベル演奏をきいたり、
聖書クイズをしたり、教会の婦人たちのクリスマス特別讃美をきいたりした。
最後は部屋を暗くしてキャンドルに火を付けてみんなで「清し この夜」を
歌った。短くなったキャンドルを返して、友達と食事に出かけた。
友達の用事で教会に行く前に、郵便局に行ったりしていたから晩ご飯を食べ
る時間がなかったし、二人とも昼ご飯が遅かったのでちっともお腹がすいて
いなかったからだ。
イカ墨リゾットやピッツァマルガリータやツナペンネやほうれんそうバター炒め
やミネストローネスープを食べたらお腹がいっぱいになった。(どこで食べたか
バレちゃうね。)
地球のどこかには、ご飯をお腹いっぱい食べることができない人々がいると
いうのに、わたしたちは、ご飯を食べきれなくて残している。申し訳ないなと
思いながら、残した物をきっちり包んでもらい、自分の家に寄って猫たちに
ご飯をやってから友達を家に送った。自分の家に帰ったらテレビで「さんま
御殿」の番組をやっていたので、いつもは見ないんだけど、なんとなく見て
しまった。
「今まで彼と過ごして最低のクリスマスは、どんなのだった?」という質問を
さんまが、ゲストの女の子に質問していた。
一人が、「クリスマスの日、朝から彼氏が迎えに来て教会に連れて行か
れた。」と答えている。彼氏が車で迎えに来たのだが、家族全員が車に
乗って来てそのまま教会に連れて行かれたと言う。
彼氏の弟が4,5人いて、下の弟のお遊戯を見せられたと言う。朝の10時に
迎えに来て、終わったら4時だったそうだ。
クリスマスは家族で過ごすからと言ってそのまま家に送り届けられたって
不服そうに言っていた。彼氏と二人だけでデートをするつもりだったらしい。
わたしからすると、まさに正統的なクリスマスの過ごし方だが、その女の子は、
クリスマスには興味が無く、彼氏にだけ興味があったので、不服だったらしい。
彼氏は外国人だったらしい。外国人の彼と教会でクリスマスをするなんて、
めったにできない経験だが、そこの教会はやたらお祈りが長い教会だったら
しい。いろんな教会があるから、楽しいクリスマス会をする教会もあるが、
みんなで、聖書を読んで神さまに感謝のお祈りをして、賛美歌や聖歌を
歌って賑やかながらも、敬虔な雰囲気で過ごすのが本当だ。
どんな教会に行ったのだろう。ブラックの人が多い教会だと迫力あるゴスペル
ミュージックをどんどん歌うだろうし、ペンテコステだと、アーメンとか騒いで
うるさいぐらいらしい。聖書に忠実な教会だと、急に大声を出したり、一人で
外国語(異言?)を語ったりしない。またイエス・キリスト以外の人間を
拝んだりしない。
マリアを拝む教会は、神さまではなく、神さまがイエス・キリストをこの世に
人として出現させるために使われた人間を崇拝することになるから、それは
偶像礼拝だ。マリアや聖人を拝む教会は聖書的ではない。
また、イエス・キリストの血や肉の象徴である、パンやぶどう酒を飲む聖餐式と
いう儀式があるのだが、、「これはわたしが十字架で流す血の象徴です。
わたしを思い出すために、みんなで集まった時に、こういう儀式をしなさい。」
と、イエス・キリストが弟子たちに言われたから、クリスチャンはそれを
行っているが、実際にパンやぶどう酒(またはぶどうジュース)がキリストの
血や肉になるのではない。
パンも同じように、「これはわたしが十字架で裂かれる肉の象徴
です。わたしを思い出すため、このように一つのパンをみんなでわけて食べ
なさい。」と言われた。
人間は、忘れやすい生き物なので、みんなで集まって神さまを礼拝するときに、
そういう風に、実際に食べたり飲んだりしてイエス・キリストが十字架の上で
苦しみを受けられ、その苦しみを見て、父である天の神さまが満足されたこと
を思い出すようにされたのだろう。
人類の罪を赦すためには、神さまは、血を要求される。罪に対する報酬は死
であるし、神さまは罪のある人間を天国に入れることはできない。
ただ罪の全くない神さまのひとり子が、人間の姿を取ってこの世に現れ、
全ての人間の身代わりに十字架の上で苦しみを受けて死ぬなら、神さま
の義は、満足する。「ごめんなさい。」「よし、よし。」では誰も天国に行けない。
必ず、罪の代償は支払わなければならない。
神さまが人間の罪を赦そうと思えば、その罪は、誰かが背負わねばならない。
この世でただひとり、罪の無い神さまのひとり子、
父と子のような関係の「ひとり子の神さま」だけが、人類の罪のつぐないをする
ことができる。聖書の預言のとおりに全てを行ったイエスこそ、その救い主
(キリスト)だった。
テレビ番組「さんま御殿」に出てきた女の子は、クッキーを渡され、「これに
はイエス・キリストの血が入っているんだよ。」と言われたそうだ。
そう言っているだけで、実際は入ってないんだろうなと思って食べたと
言っていた。
さんまは、「当たり前や。そんなクッキーにキリストの血、入っとったら出血多量
で死ぬがな。そういうことにしとるだけや。」と答えていた。
本当は、聖餐式はクリスチャンだけの儀式だから、その女の子はクッキーを
食べてはいけないはずなのに、なんで食べさせたのか疑問だ。
その女の子の行った教会は、聖餐式をぶどう酒入りのクッキーにしており、
しかも実際にぶどう酒がキリストの血に変わると思っている変な教会だった
のだ。パンを食べる時に、それも実際にキリストの肉に変わると思ってありが
たくいただいているのだろう。
カトリックやコプトにそう思いこんでいる教会が多い。いったいどういう教会に
行ったのだろう。
イエス・キリストは「わたしを覚えるために、これをしなさい。」と言われたのだ。
神さまのひとり子がしてくださったことを思い出して、感謝しながら聖餐式を
したらよいのだ。
その女の子は日曜日の朝のクリスマス礼拝に呼ばれたようだ。
わたしの教会は24日の朝はちょうど日曜日なので、クリスマス礼拝をする。
24日や25日がちょうど日曜日でない年は、23日の祝日にクリスマス祝会を
して、次の日曜日に遅れてクリスマス礼拝をする。
25日の夜はクリスチャンは各自、家で神さまに感謝のお祈りをする。
わたしも25日の夜は、個人的に神さまに感謝する。
自分の誕生日前夜も、まじめな気持ちで神さまに感謝をする。
一年の終わりと始めもまじめに感謝のお祈りをする。
友達から今朝届いたクリスマスカードの内容は、わたしの気持ちとぴったり。
以下がカードの内容。すばらしかったので紹介します。
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「しかし、わたしは、主にあって喜び勇み、わたしの救いの神にあって喜ぼう。
わたしの主、神は、わたしの力。わたしの足を牝鹿のようにし、わたしに高い
所を歩ませる。」聖書ハバクク書3章18、19節
イエスさまが私たちを救うために、この世に来てくださったことを、
心から主に感謝し、神さまを褒め称えます。
年々、この世に何の良いこともないこと、私たちの居るべき場所は天である
ことを知らされます。でも、イエスさまが共にいてくださる旅路だから、本当に
安心して歩んでいくことができます。
イエスさまを知らない人生なんて考えられない。イエスさまは私たちにとって、
いのちそのものだよね。神さまを信じて、神さまの子供とされて、日々の
サタン(悪の霊)との戦いを戦ってくださり、いつも私たちを守ってくださる主、
イエス・キリストに心からの感謝をお捧げしています。
クリスマスおめでとう!
お姉さんの猫は元気になりましたか?病気が治るようにお祈りしているよ。
お姉さんも私も、この一年、神さまに守られて感謝だったね。
これからも、イエスさまが日々の生活を守ってくださり、それぞれの場で
神さまのために用いてくださいますように。
神さまの豊かな祝福がありますようにお祈りします。
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もう一枚、これは別の友達から。
「ベツレヘム、エフラテよ。
あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、
あなたのうちからわたしのために、
イスラエルの支配者になる者が出る。聖書ミカ書5章2節」
すてきなクリスマスになりますように!
また、新しい年も主の恵みの中を歩まれますように
祈っています。
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わたしのクリスチャン友だちからのクリスマスカードの内容でした。