イエス・キリストはガリラヤのナザレでお生まれになった。 | 日本のお姉さん

イエス・キリストはガリラヤのナザレでお生まれになった。

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日とされているが、実は聖書を


読むと、羊飼いが野宿をする時期であったことが分かるし、ヘロデ王が


全国民に住民登録をさせるために、日本でいうところの本籍地に帰って登録


をするようにという大変な苦労を国民に強いた時期であることが分かる。



また東の国々から博士たちが特別に大きく光る星の出現を見て、救い主誕生


のしるしと捉え、ユダヤの預言の書の伝える王を拝むために国を出たことや、


ヘロデ王がべツレヘムの2歳以下の子供を皆殺しにした時期などを考えると、


イエス・キリストが生まれたのは紀元前3年の5月頃であったと推定される。


紀元前4年頃だという説があるが、詳しい話は今は避けたいと思う。


12月25日がイエス・キリストの誕生日ということになったのは、4世紀に


なってから。この日がローマの太陽神を祭る冬至祭を祝う日だったので、


同じ日をイエス・キリストの生誕を祝う日にしたとされている。その頃のローマは


キリストを救い主と信じることを禁じてクリスチャンを迫害していたのだが、


なぜ、ローマの冬至祭がキリストの生誕を祝う日になったのかは不明。


世間が冬至祭で祝う騒ぎに紛れて、クリスチャンたちが地下のカタコンベで、


キリストの生誕を祝うことにしたのだろうか。


クリスマスツリーは、伝統的にはもみの木が使われる。


もみの木は十字架のように広がっているので、聖なる緑の木と呼ばれ、冬でも


葉を落とさないため、永遠の命の象徴として使われたという説がある。


デンマークのある村では、一本の不思議な木があり、願い事があるとりんごを


吊るして祈りを捧げていたそうだ。北欧では森の木に触ればストレスが癒さ


れるという話があり、実際に今でも木を触るツアーのようなものがあるらしい。


デンマークの不思議な木に捧げもののりんごでいっぱいになったのがクリス


マスツリーの始まりとも言われる。クリスマスツリーは、りんごとろうそくで飾る


のが原則らしい。アメリカに最初のヨーロッパ人が移住を始めたとき、現地の


インディアンがもみの木を礼拝していたので、それに飾り付けをしてイエス・


キリストの誕生を祝ったという説もある。


ひいらぎのリースは、十字架にかかったイエス・キリストのいばらの冠に由来


するという説がある。とげは、キリストの受難の象徴とも言われる。


西洋では、ひいらぎは魔よけの樹ともいわれているので、ひいらぎのリースを


魔よけとしてドアにかけるのだという説もある。


サンタクロースは、クリスマスに食べ物のない貧しい人に財産を分け与えた


聖人、セント・ニコラスがモデルとされる。北欧ではクリスマス前夜に贈り物を


持って、白ひげのおじいさんが子供たちを訪問する。それが今のサンタの原型


とも言われる。赤い服はカトリック教会の司祭の服の色である。


アメリカでは、コカ・コーラの宣伝から、赤い服を着たサンタ・クロースの


イメージが定着した。


クリスマスは、正しくはキリストの生誕を祝う日ではないかもしれないが、


長年、そういうことになっているため、教会ではこの日に天の父である神様が


ひとり子のイエス・キリストを、預言のとおりにダビデの家系である信仰深い


処女を使って、この世に人間として送られたことを記念し、神さまに感謝する


日としている。教会によっては、クリスマス・ツリーやリースなどは、神を知ら


ない異邦人の祭りの象徴であるから、あえて飾らないところもある。


わたしの行っている教会はなるべく聖書に忠実であろうとしているため、


ツリーは飾らないが、別に飾っている教会のことを非難したりもしない。


クリスマスツリーは、アメリカではすでにクリスマスの飾りとして一般化され


ており、日本人はアメリカの文化を取り入れてお祭りの雰囲気を楽しんでいる


だけである。


あえて、日本人の無邪気な楽しみを非難したりしたりはしない。


お父さんが買ってくるケーキを家族で食べたり、特別な料理を食べたり、子供


たちがプレゼントを枕元の靴下に入れてもらう習慣を軽蔑したりはしない。


だが、クリスマスにかこつけて、未婚の男女がホテルに泊まり性的関係を持つ


ような勝手な儀式は非難したい。そんなことをするより早く結婚しろと言いたい。


世界中でクリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日であると認知されている


のであるから、クリスチャンがこの日に特に神さまに感謝をするのは、よいこと


である。聖書では、神さまはイスラエル人に、エジプトを脱出した記念の祭りや


罪を悔い改めて神さまに羊をささげる日など、いろんな記念の祭りを行うように


勧めておられる。人間は忘れやすい生き物なのだ。


記念の日を決めて祝うのは、よいことである。毎日が神さまに感謝する日で


あるのと同じように、特別な日を決めて過ぎた年を感謝し、新しい一年を向か


えて、神さまと共に生きる喜びを神さまに捧げるのは、よいことである。


また、一般にクリスマス・ツリーは礼拝や崇拝の対象とはなっていない。


クリスマスの象徴的な色とされる赤や緑の色も、単なる装飾的な意味しか


持たないので、特に「偶像」だと思う必要は無い。しかし、子供はサンタク


ロースは、プレゼントのお願いをする対象だと思っているので、教会では


サンタ・クロースは、扱わない方がよい。現代のサンタ・クロースは、


子供に夢を与える童話の主人公のようなものである。


サンタクロースの元となった、セント・ニコラスのようにクリスマスは貧しい人


にお金や食べ物などを贈るのが本当なのだ。子供に贈り物を贈るのは、


北欧の習慣が残ったものだろう。


クリスマスが,神さまが罪人を救うために救い主を贈られた記念の日だと


思えば、神さまにその愛の贈り物を感謝し、自分の周りの貧しい人に愛の


贈り物をすることがふさわしいのだと思う。