どうして大人になると一年が短く感じるの? | 日本のお姉さん

どうして大人になると一年が短く感じるの?

12月になると、「ああ。もう一年が終わるね。早いね~。」などと言う人がいる。


大人になるとなぜか、一年が早く過ぎていくように感じる。子供の一年は長い


のに、なぜ大人は時間が過ぎるスピードが加速度がついているように感じるの


だろう?ある本では、それは、子供と大人の頭のバランスに関係していると


書いている。子供の頭が5分の一ぐらいだが、大人になると、人によっては、


頭は8分の一だ。八頭身の人がいた場合の話だが、、、。


それで、脳の割合も小さくなるので、時間の感覚も早くなるということらしい。


また、脳の海馬の中の情報が子供の場合は白紙なので、全ての経験が


新しい経験なので海馬に入れる情報が多い。大人になると、全部経験済みの


出来事が繰り返されるだけなので、海馬に溜め込む新しい経験が少ない。


だから、一年の間に海馬に溜め込まれた新しい事柄が少ないので、


一年が短く感じるという話も雑誌に載っていった。


また、どこかの哲学者か宗教家が、人生は針金をまいてコーンにしたよう


なもので、上にいくほどとがっていて針金の一巻きが小さくなるので、大人に


なればなるほど一年が早くすぐるように感じるのだと言ったとかいう話を読んだ


ことがある。コーンの先っぽが死ぬときらしい。最後の一年はすごく早いという


ことになる。実際は、おじいさんやおばあさんたちは、どう感じているのだろう。



年寄りになると、意外と一年はゆっくり過ぎていくように感じるものなのかも


しれない。または、外国に行くと、現地の人の生活ペースに影響されて、


「ここでは、時間はゆっくり過ぎていく。」なんて、旅の思い出を書いている人


もいる。


地球の回転はずっと同じだろうから、一年が速いというのはただの感覚の


問題で、大人は、記憶に残るようなすごい出来事が少ないので、一年前の


12月のことを昨日のことのように思い出せるのだと思う。


途中に起こった出来事の記憶はすっとんでいて、まるで、一ヶ月前に去年の


12月であったかのように感じるのだと思う。そう思うのは、脳が年をとったと


いう証拠なのではないか。


年をとって頭がちょっと衰えてくると、同じ事を何度も言うし、人が言ったことを


集中して聞いていなかったりして、すぐ物を忘れたりする。


そのくせ、昔のある場面を鮮明に昨日のことのように覚えていたりする。


脳は、心に残った事柄を溜め込んでいて、他の忘れたい出来事や、生きて


いくうえで仕方なく行っているつまらない出来事などは、なるべく記憶したくな


いのかもしれない。記憶の容量というのがだんだん小さくなってきていて、脳は


適当にいらない記憶を捨てているのかもしれない。


忙しくて、脳をひっきりなしに使っている人が、急に物忘れがひどくなるのは、


脳が記憶する能力が限られているためかもしれない。ストレスや栄養失調や


寝不足などで脳が疲労すると、どんどん身近な物事をいらないと判断して


記憶するのを拒否していくのかも。未来に楽しいことがあると、その日を待ち


焦がれるあまりに時間のたつのが遅く感じられることもある。あんまり楽しい


時間を過ごしていると、時間のたつのが早くてあっという間に終わってしまうと


いうこともある。


一年が過ぎるのが早く感じるのは、その一年が平凡であった、何も特に記憶


することもない平和な一年であったということだろうと、最近読んだ雑誌にも


書いてあった。平和というのは、退屈な日々の中にあると思う。平和であると


いうことはすばらしい。平和は無くなってから初めてその良さに気が付くものだ


とも、どこかで読んだ。平和が無くなる前に世界をきな臭くさせている国を


弾圧して平和を維持してもらいたいものだ。


戦争を起こす国は、起こす前から何か兆候のようなものを発しているのだ


と思う。戦争を起こしそうな国が核を持ち、核実験を行ったら、周りの国は


平和をおびやかされるのだから、文句を言うべきだし、何か対策を練るべきだ。


今年、一年が早く過ぎた人は、楽しい出来事を今か今かと待つ経験をしな


かった人。特に記憶に残るような大きな事を経験しなかった人。


日本の社会で、めまぐるしく働かされ、不本意なペースで毎日を生きた人。


脳の海馬に入れる情報が少なかった人。平和で安泰だった人。


去年の12月の思い出が昨日のことのように浮かんだ人。本当はいろいろ


あったのに、その途中経過の思い出が浮かばなかった人。


あるいは、自我というモノが年々はっきりしてきて、自我の芽生えと共に世界


が自分を中心として動いているような錯覚に陥り、それが一年の基準になり、


自分があせって動いた分だけ時間が早く過ぎるように感じられるのかもしれ


ない。だったら、ゆったり過ごす時間を作るべきだ。会社で焦って働いていて


も、家では猫とのんびり過ごすとか、お花に水をやるとか、子供に絵本を読ん


でやるとか、旅行に行ってのんびり過ごしてみるとか、子供や年寄りとゆっくり


しゃべるとか、何かメリハリをつけるといいと思う。


また、新しい経験をして心や脳に刺激を与えることはいいことだと思う。


何にでも興味を持って5歳の子供のようにどんどん知識を吸収していけば、


いつも新しい脳でいれるような気がする。今までの経験と知識だけで生きて


いると一年が短いように感じるのかも。


わたしは何年か前に、必要に駆られて会社の帰りにパソコンの学校に通い、


あるソフトを学ぶことになったのだが、パソコンのパの字も知らない状態で


学校に行ったので、本当に何も知らなくて大変だった。


そんな経験をした一年は本当に長かった。今でも思い出したくないぐらい


大変な時間を過ごした。一年を長く感じたかったらぜひ何かを習うことをお勧


めしたい。歴史の勉強をしていると、自分はまだまだ何も知らないんだと分か


る。読まなければならない本がまだまだいっぱいあるのだと分かってくる。


時間がいくらあっても足りないぐらいだ。でも、今まで知らなかったことを学ぶ


のは楽しい。嫌な事と楽しい事がバランスよく起これば、一年はちょうどいい


長さに感じるのかもしれない。わたしは、年々加速度を増すかのように感じる


時間の経過は、神さまが人間の心に起こさせる焦りの気持ちで、いつか訪れ


る死に対して準備ができているかと考えさせる警告でもあると思っている。


いつか死んでこの体の中に存在する自分が体を離れて、世界と自分の魂の


創造者に出会う時、生きている間に神さまに出会い罪の赦しをもらっていれば


天国に行けるし、そうでなければ当然罪の裁きは自分に返ってくる。


その準備ができていますかという、神さまの声なのだと思う。


人間は生まれた瞬間から死というゴールに向かっての秒読みに入っている


わけだ。その間に人間は神さまを意識して、その前に立って神さまに罪を


赦してもらう瞬間を経験しておかねばならない。毎日何時に礼拝するとか、


断食をするとか、修行を積むとか、よいことをするよう努力するとかの自分の


努力によって罪は赦されるのではなく、神さまの一方的な恵みによる。


神さまが人間の罪を赦したいと考えて、その準備をしたなら、人間はそれを


受け入れるだけで罪からの救いは完了する。


わたしは、神さまは人間の世界に干渉する方だと信じている。


生きている間に神さまに出会い、自分の罪を認め、神さまが罪の裁きを罪の


無い特別な人物に背負わせたと、聖書という預言の書に約束したとおりに


それを実現されたと、その人物は、死んで三日目によみがえり、天に帰られ


それを見た人間たちが世界中にそれを伝えたなら、それは限りなく真実だと


信じる。神さまを信じるとは、神さまの存在と、人格を信じることだ。


神さまならそれぐらいのことはできる、それだけ人間に干渉してくると信じ


ことだ。わたしは、神さまを信じて、聖書を読んだりお祈りしたりする。


そして常にわたしの祈りに干渉してくださっている神さまを実感している。


現実に祈りに答えてくださる神さまの存在を感じるし、必要な言葉を聖書から


読み取ることもでき、神さまがこういう風に語ってくれているんだなと感じる。


良い事や悪い事は、他の人と同じだけ起こるし、それらは全て自分のために


なっていると信じている。いろんな事が起こって今日のわたしがいる。


そして人間は神さまのために生きなければならないし、神さまが自分に与えた


才能を生かして次の世代のためになることを心がけて生きていかねばなら


ないとも思っている。そのために一年は長くもないし、短くもない。


何歳まで生きても、他人に何か役にたつことを残せず死ねば意味が無い。


たった一人にでも、神さまの愛を伝えることができたらいいと思っている。


それと自分が死んでも、神さまの愛と自分の愛を覚えてくれている人間が


いて、その愛を他の誰かに向けてくれる人がいたなら、生きたかいがあったと


言える。


そう思って一年を振り返ると、結構いい年だったなと思う。いっぱい周りから


愛をもらったし、自分も愛を与えた。猫にも愛を与えた。野良猫にもエサを


与えた。人のブログやホームページや本からも、一杯知識をもらった。


それを他人に紹介もした。わたしの脳はまだまだ新しいことを学んでいる


最中だ。日本の平和を守るために、文句もいっぱい書いた。日本人は文句を


いっぱい言って新しい日本を作っていかねばならないと思う。


次の世代が日本で幸せに過ごせるように、頑張らないとね。


一年が短く感じるのは、普通の大人なら当たり前だ。長かった一年というの


はきっと新しい経験をたくさんして苦労した一年だ。


「短かったわ。」と言う人は、一年が平凡で平和で幸せだったのだ。良かったね。