渡辺昇一氏の「蒋介石」の本の紹介
有名なローマの諺に「ライオンに率いられた羊の群は、羊に率いられたライ
オンの群より秀れている」というのがある。ローマは元来上杉謙信の領地
ぐらいの小さな国だった。
それが絶えず戦争を繰り返しながら大ローマ帝国に成長したのだ。
だから戦争の経験はまことに豊かである。その結論が「リーダーが何より
大切なんだ」ということであった。弱兵でもリーダーがよければ勝てるし、
強兵でもリーダーが駄目なら敗北するのだ。
この諺を思い出すたびに私は蒋介石と日本軍のことを思い出す。
シナ事変(戦後は日中戦争とも言う)が始った時、私は小学校一年生だった。
そして日本が敗戦した昭和二十年には私は旧制中学三年生だった。
八年間以上、物心のつく時期を通じて蒋介石は日本の敵であった。
南京陥落のお祝いの旗行列や堤燈(ちょうちん)行列を見に行った記憶が
ある。
シナ大陸では日本軍は連戦連勝であった。いつも一対十ぐらいの少ない
数の軍隊でも日本軍は強かった。たとえば南京から逃げた蒋介石が次に
首府にした漢口の攻略戦は、日本軍も戦死者約七千人、負傷者
約二万五千人を出す激戦であったが、シナ軍が棄てて逃げた戦死者は
約十九万五千五百人、捕虜約一万二千人、負傷者不明であった。
漢口から蒋介石は更に山奥の重慶に逃げた。日本軍の爆撃機はそこま
での距離は遠いので戦闘機を連れてゆくことができず、はじめのうちソ連製
の戦闘機によく落とされた。しかしゼロ戦の登場で蒋介石の飛行機部隊は
全滅した。南京には汪 兆銘の親日政府が樹立された。
蒋介石は山奥にひっこんで何もできない。
しかし彼は降参しなかった。彼には勝つための「生き筋」が見えていたから
である。その「生き筋」とは――日本にとっては「死に筋」だったのだが――
日本はそのうち、アメリカやイギリスと戦争することになるだろうという
洞察である。
日本にはリーダーがいなかったのだ。シナ事変が始まった時の首相は近衛
文磨であるが、その後、米英と開戦するまでの四年間に、内閣が六回
変わって、七回目に東條大将が首相になって、大東亜戦争の勃発となる。
一年足らずで次から次へと内閣が変わる日本を蒋介石はじっと見ていた。
日本の国の方針に一貫性がなく
ぐらぐらし、しかしますます反アングロ・
サクソン的になり、アメリカを怒らせて
いる。
いな、正確に言えばアメリカやイギリスが蒋介石を支援してくれているので、
日本も反米・反英の方に進まざるをえない。しかし、この方向を転換させる
強力なリーダーがいない。それを蒋介石はしっかり見ていた。
日本の上層部は羊の群のようにまとまりがないのである。戦場の日本軍の
兵士たちはライオンの群だ。シナ軍は蒋介石という一匹のライオンと羊の群
の如く弱い兵士だった。しかし結果はローマの諺の如くになったのである。
この前の戦争中、日本には本当のリーダー、つまり一匹の指導的ライオン
がいなかった例を一つ示すことにしよう。当時ドイツの空軍に使われていた
エンジンはダイムラー、ベンツ社のDB600型系のエンジンである。
これは液冷式でその性能のよさは世界に知られていた。日本の飛行機用
エンジンは空冷式であったから、出力の大きい液冷式のエンジンの技術導入
をする必要があった。当時のドイツは日本の同盟国であるからライセンスを
売ってくれることに同意した。値段は今のお金で十数億円である。
ところが日本の陸軍と海軍は全く連絡し合わず、同じエンジンに対し別々に
同じ金額のライセンス料を払っているのだ。しかもこのライセンスで製造する
会社は、陸軍は川崎航空機、海軍は愛知航空機と別々なのである。
二つのメーカーは図面の検討も説明書の翻訳も別々にやらねばならな
かった。技師やお金の無駄遣いも甚だしい。
結局、このエンジン本来の性能を十分発揮できるものができなかった。
そして陸軍では「飛燕」に使う予定だったが、ついにこのエンジンは完成し
なかった。
これは極端な例だが、外務省と軍部の話が合わず、陸軍と海軍の話
合わず、総合的なリーダーは不在であった。陸軍は海軍はあてにできない
からと言って、陸軍だけで航空母艦や潜水艦の製造に乗り出したのだか
ら話にならない。戦場で戦う日本軍の将兵は、世界一強いライオンたちで
あっても、上層部はまとまらない羊の集団だったのである。
こうして蒋介石は日本に勝つことができた――と言っても戦場で勝ったわ
けではないが、日本の方で米英を敵に廻して負けてしまったのだ。
蒋介石の洞察と、その自分の洞察に対する信念の固さは感服に値する。
しかしその蒋介石も毛沢東に負けて
しまった。それは何故か。
これは蒋介石の責任ではなく、ソ連の
スターリンとアメリカのトルーマン
大統領の差である。
日本の敗戦後、スターリンは毛沢東の共産軍に軍事援助を惜しまなかった。
しかしアメリカは蒋介石に対する軍事援助をやめてしまったのだ。
シナの状況をよく知るウェデマイラー大将の勧告は無視されたからである。
リーダーとしてはスターリンの方がトルーマンより上だったと言えよう。
by渡辺昇一