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同年12月12日には、日本海軍機が中国の揚子江に停泊していたアメリカの
砲艦パネー号を撃沈、これによりアメリカ国内の世論は硬化し、アメリカ政府
内部には「戦争にならない範囲で日本に財政、経済上の圧迫を加える各種の
方法をとることが出来る」との強硬意見も出ました。
その後、日本軍による在中国アメリカ人への加害や中国におけるアメリカ権
益の侵害が続き、昭和14年(1939年)7月26日、アメリカは日米通商
航海条約の廃棄を通告しました。この時の日本の外務大臣は、後に駐アメ
リカ大使として日米交渉に携わる野村吉三郎 でした。
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これによると、日本もアメリカに嫌われることをしているのだね。
アメリカも在米日本人の資産を奪ったり、アメリカで生まれた日本人に
アメリカの国籍を与えなかったり結構ずっと昔からイジワルをぶっつづけで
している。元々仲がよくなかったんだ。アメリカは、戦争になる30年も前から
ずっと一貫して日本に対してイジワルだったので、日本政府がアメリカに
宣戦布告したとき、「すっとしました。」と言った日本人も結構いたそうだ。
日本人のクリスチャンも、しょっちゅうアメリカに行って「このままでは、
アメリカは日本の自尊心を痛く傷つけているので、戦争になる。」と
平和運動をしに行っていたのだが、そのかいもなく、日本とアメリカは
戦争になった。実は30年も前から、日米の仲は良くなかったんだね。
日露戦争では、アメリカ人の新聞記者が日本をよく助けてくれたのだが、
どこから仲が悪くなったのだろう。
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「大東亜戦争の遠因を考えれば、
それはアメリカの『対日移民政策』で
あり、近因を考えればアメリカの
『石油禁輸』である」昭和天皇