漢字を使えば「中国人」?
1.漢字を使えば「中国人」
むかしむかし、洛陽盆地の中心で「中華」を取り巻いて、東夷[とうい]、西戎
[せいじゅう]、南蛮[なんばん]、北狄[ほくてき]とよばれる蛮人たちがいた。
彼らは四夷[しい]や、夷狄[いてき]、蛮夷[ばんい]と呼ばれた。
これらの人々は、漢字で商売をしていた。漢字はひとつの漢字にそれぞれ
意味があるので、読み方がみんなバラバラでも、文字を書けば通じた。
漢字は読む言葉ではなくて書く言葉だ。
漢字は商売用のマークであって、読み方が分からなくても意味は通じる。
出身地に関係なく、漢字を使う集団があちこちに生まれたが、紀元前221年
に秦の始皇帝が漢字の読み方を一文字につきひとつにした。それで中国人
は、話し言葉は違っても、漢字ができる人は中国人ということになった。
ーーー漢字ができない人は読書人ではないから、いくら洛陽盆地の中心に
住んでいても中国人ではなかった。
その影響からか今の「中国人」も、漢字を使っている日本人は中国人の一種
だと思っているらしく、しきりに日本人に対して、漢字を教えてヤッタなどと言
う。日本人は、漢字を日本語の当て字に使っただけで
あって、しまいには日本語に便利なようにひらがな、カタカナを作って
ミックスして使っている。
また「中国人」は、日本は昔は漢字や文化や政治形態まで、全て中国から
習ったなどと平気で言うが、日本の文化は独自の発展をとげた文化である。
政治形態などまったくマネはしていない。
――――天皇を大事にして、ひとつの家族のような気分でまとまっており、
たとえ戦争をしても、天皇は長く続いているし、上の者は殺したが、民衆まで
殺してそっくり民族が入れ替わることなどなかった。
「中国」のように、コロコロ政権が変わり、中の民族まで入れ替わるようなす
さまじい争いが起こってきた場所とは違う。
それに、「中国人」というのは文化上の観念であって、今の人々は、人種的に
は、東夷[とうい]西戎[せいじゅう]南蛮[なんばん]北狄[ほくてき]と呼ばれる
蛮人たちの子孫である。
2.都市に住めば「中国人」
都市は昔、マンガ、「北斗の拳」のように城壁で囲まれていた。その中に住む
のが中国人であり、市民として戸籍を持てば中国人だった。今でも、飛行場で
「進城[口馬]?」とタクシーの運転手さんが言えば、市内に入るのか?という
意味だ。
城壁は、すでに取り払われているが、城の内側が街なのだ。城内に住んだ役員
・兵士・商工業者が中国人であった。今でも、沿岸部の都市に住む中国人だけ
が金持ちになって、農民は相変わらず貧乏なままだが、その名残だろうか。
3.異民族でも、
都市の戸籍に入って夫役と兵役に服せば人種に関係なく中国人。辺境の都市で
も、行き帰りの旅費を出してもらって朝貢に行けば、中国の朝貢国になった。
中国の皇帝とは、いうなれば商売人のトップであった。
昔の農民は、城内に住んで日が昇ると城の外に出かけた。農民は常に搾取され
る対象で、戦争の時は軍隊の食料とされたという歴史がある。民主的な国とは
国民が平均的に豊かになる国だと思うが、富める者から税金を取り、貧しい農
民に回すという発想は今でもなじまないようで、なかなか自国民から税金をと
れずにいるようだ。
外国企業は、税が取りやすいので、わけのわからない税まで取られて儲けが得
られず、困って中国から撤退する企業もあるそうだ。
中国は商売がしやすい洛陽盆地にできた商売の国だ。
全ての富は皇帝の私的財産だ。
過去には、宦官が税を集めて皇帝に差し出していた。皇帝は商売をし、
金融業を営んでいた。
昔から、地方の官僚は政府とは関係なく、一定の税を皇帝に納めたら、
あとは勝手に自力で金を集めてよいことになっていた。今でもその名残が
残っているのだろうか。それを日本語でワイロという。
「中国人」には、権力やチャンスを掴んだらワイロを取るのは当たり前の話
なのだろう。
そのような都市がどんどん増え商業ネットワークが繋がり「中国」となった。
中国人という人種は存在しない。
彼らは、漢字を使う商業ネットワークが広がると、そこを「中国」だというクセ
がある。商業ネットワークに組み込まれたいろいろな民族を「中国」と呼んで
いるわけだ。
秦の始皇帝以前は「中国」と呼べるような国家は無かった。秦の始皇帝以前
から、漢字を使う商業ネットワークは存在した。ただ、秦が戦争に勝って彼ら
を滅ぼして漢字をまとめただけだ。
中国という言葉が使われ出したのは、19世紀から20世紀の始めである。秦
の呼び名として、インド人がチーナと呼び、
┌──────────「引用ここから」
http://snsi-j.jp/boards/sample1/87.html
(マッドマン)さんの記事のみ引用
その下の(長)さんの記事は引用していません。
15世紀末になって、ポルトガルがインドに到着し、そこで東方にチーナとい
う国があることを聞いた。このインド語の「チーナ」がポルトガル人の口から
西ヨーロッパに伝わり、英語の「チャイナ」フランス語の「シーヌ (Chine)」
ドイツ語の「ヒーナ (China)」になった。
1708年、ローマ・カトリック教会のイエズス会に属するシドッティという
イタリア人宣教師が、キリシタン禁制の日本に潜入を企てて、屋久島で逮捕さ
れ、江戸に連れてこられた。新井白石はシドッティを尋問して、聞きだした世
界知識を『采覧異言』という書物に1713年まとめた。
この中で白石は、イタリア語で中国語をいう「チーナ (China)」を漢字で「支
那」と翻訳した。この「支那」は、もともと仏教の経典を中国で翻訳したとき
に、インド語の「チーナ」の音にあてた漢字だったが、白石がこの音訳漢字を
探し出してきて、イタリア語の「チーナ」に当ててから、日本では中国を「支
那」と呼ぶようになった。
19世紀末になって、多数の清国留学生が日本に押し寄せてきた。かれらの大
多数は漢人だったが、かれらは日本で、日本人が、漢とか、唐とか、明とかい
う歴代の王朝の名前に関わらず、漢人の国を「支那」と呼ぶことを知った。当
時は民族主義が生まれつつある時代だったので、清帝国の支配者である満州人
から本来の漢人の国を区別する「支那」という名前は便利だった。
└──────────「引用ここまで」
清国が滅びて中華民国ができたときに、日本は中華民国の申し出を安易に
受けて、自分の国にも中国地方という昔か
らの呼び名があるくせに「世界の中心の国」という
意味の「中国」という漢字を「支那」のかわりに使うことに決めてしまった。
「中国人」は、商業ネットワークに組み込まれたいろいろな民族を「中国」と
呼んでいる。満州でも、漢字を使う大勢の人間が集まって商業が発展した
ので「中国人」の習性で蒋介石は満州も「中国」だと言い出したのかもしれ
ない。
満州人が漢字を使い、支那人が大勢住んでいたというだけで、満州も「中国」
だというわけだ。
しかし当時の日本人としては、日本が満州を侵略したといわれるのは心外
だっただろう。満州はもともと、城壁の北の満州人の故郷の土地であり、
ロシア人が占領していた土地であり、戦争に勝った時の正当な権利として
ロシアから鉄道の権利を受け取ったのだから、当初は日本は別に世界中
から非難はされていなかったのだ。
日本人が支那人に殺されたり、日本製品の不買運動を起こされたり、侮日・
反日運動で日本が受けるべき当然の権利を阻害されていたので、日本の軍
部が暴走したのである。1937年7月の廬溝橋事件は中国のテロ行為だった
と今は分かっているし、日本はテロ対策をとっただけだ。
1937年8月13日に、蒋介石が上海の日本軍民に対して、数十万の兵力を
集めて襲ってきたのは、蒋介石側が仕掛けた戦争だった。中国こそが、日本
に戦争を仕掛けた側であり、日本は被害者側であった。
日本は受け身でいたのに、なぜだか日本が中国を侵略したことになってし
まった。
日本は被害者側であったのに中国に講和を呼びかけたところ、欧米は日本
が仕掛けた戦争だと受け取った。
そうして、日本軍が日本政府を引きずる形で、復讐をかねた反撃に走り、19
37年には、自衛の戦争だった行動が、ついには、1941年12月8日には
日本が先にアメリカに宣戦布告をすることになっていった。
日本は常に中国側の策略に引きずられているのではないか。日本は、上海
総攻撃を受けた側なのだ。それを世界にうまく宣伝しなかったおかげで、
日本だけが悪者になっている。そういう悪いイメージを世界に抱かせようと
「中国」は必死だ。
靖国神社の展示パネルの表示を、アメリカが文句を言う前に、日本人遺族
会代表は一部表現を変えたそうだが、中国がアメリカに「真珠湾攻撃を正当
化してますぜ」と影で工作を始めたかららしい。中国は、さんざん戦争をして
きた国なのであくどい仕事には長けている。
日本は漢字を当て字に使っているし、今では日本企業は自ら中国に飛び
込み、安い人件費や資材を利用して、中国での商業ネットワークにもがっちり
組み込まれている。「中国人」のクセを考えると、それらを理由に日本も中国
の商業ネットワークの一部だから、中国に従うべきだと思われているのかも。
実際、日本に対して憤慨する中国の若者たちも、しきりと「日本は過去には全
てを中国に学んだくせに!」を連発するところをみると、中国人は実際日本を
下に見ているのだと分かる。
最近の「中国」の態度の大きさを考えると、「中国」は大きな勘違いをしてい
るようである。日本と中国は、お互いに利益を得ているのだから、元々ウィン
ウィンの関係なのである。中国が日本の首相の行動を縛るような偉そうな態
度を改めたり、中国人が極端な反日に走るのを止めたり、日本を北朝鮮の
核攻撃から守るのは「中国」の得でもあるはずである。
日本が常任理事国に入ると中国の影が薄くなるのを恐れてか、金に糸目を
つけずにアフリカ諸国を味方に付けて、猛烈に反対してきたが、友好は経済
だけでいいというわけか。
日本の代表が安部氏に代わったら、急に態度が変わったのは、小泉元首相
に振り上げた拳を本当はおろしたかったからか。
先月16日、麻生外相はベトナム・ハノイで李肇星中国外交部長と会談し、日
中共同歴史研究会の発足に合意した。同研究会は2008年末までに
共同研究結果を発表するとのことだ。
日中合同で共通の歴史書を作ろうという話だが、代々、政権を握った者に
都合良く自国の歴史をどんどん操作してきたというクセのある中国に、日本
は堂々と意見を言えるのか。担当者にそんな度胸はあるのか。
是非、ハニートラップや、臓器売買のお誘いや、いろんな誘惑や脅しに負けず
に、事実を事実だと相手に認識させてほしいものだ。
―――今回は中国という呼び名をあえて使いました。
―― 参考資料:
宮崎淳子著「世界史の中の満州帝国」PHP研究所(760円)
読んでみますか? → http://chinachips.fc2web.com/tiny/061127.html