日本人にとって漢字には、当て字で意味など無い、、、はず。 | 日本のお姉さん

日本人にとって漢字には、当て字で意味など無い、、、はず。

漢字と日本人/高島俊男著(文春新書)

日本語と漢字の出会いは不幸であったという著者の主張はかなり

ショッキングである。日本人の多くは日本語を使ってコミュニケー

ションをしていると思うが、文字を書く上で日本語表記に漢字が

使われている事に疑問を持つ人は少ないだろう。


漢字が支那から伝わったことは知識として知っている人は多いと

思うが、日本語に適していないと考えた

事のあるひとはもっと少ないのでは

ないか

そういう意味では目からうろこが落ちまくる事、請け合いである。

日本語は外国語に比べて劣る言語と考えて歴史上随分と悩んできた

ようだ。日本語の達人である志賀直哉でさえ、日本語を仏語に

変えるべきだと主張していた時代があるぐらいなのである。

国語審議会の愚行の所為で、大きく日本語が乱れた事も詳しく

書かれてある。しかし筆者の言うように、日本語の表記に根付いた

漢字の根は、本当に深く複雑である。

不幸ではあるがこれからも付き合う以外に仕方がないようである。

また、漢字に表されている意味から

日本語を考える愚行について厳しく断罪している

部分はなかなか考えさせられた。僕も日頃から本来漢字から本質的な

日本語の意味なんか無いと主張してきたので、これを読んで更に

意を強くした。例えば聞いた話なのだが、PTAなどでは「子供」と

書かずに「子ども」と書くようにしようという事になっているという

事だ。子供の「供」という漢字が従者という意味につながり、ひい

ては女子供というような差別的な使われ方をする事などからふさわ

しくないという事であるという。まったく馬鹿げた考え方だが、

この事に疑問を持つ人が少ない事に驚いた事がある。

ちょっと考えてみると分かるはずなのだが、本来は文字に差別の意味

などはあるわけが無い。「子供」が差別で「こども」が差別で無いと主

張している人は、自分が馬鹿だと人に教えているような無知な人だ。

子供という言葉に差別の意味があるとしたら、その音そのものに差別の

意味があるという事だ。つまり「こども」とカナで書いて解決する問題

では無い。言葉で話して差別にならない言葉が、漢字で書くと差別に

なるという事はありえない。また、本来的に差別の意味があったとして、

現在も連綿と差別的な要素があると考えるのも行き過ぎである。


そういう意味で「こども」と発音している人は恐らくこの世に存在し

ないだろう(一人ぐらいはひょっとするといるかもしれないが)

勿論そうだとしても差別されたと意識する子供はもっと少ないはずで

ある。なぜなら「こども」という言葉には差別の意味が無いからだ。

何しろもう少し効果的な言葉は外にある。

(「ガキ」だとか「小僧」だとか、とにかく色々あるだろう。

まあしかし、これとて差別と言い切れない)つまり差別の要素がある

のは、この言葉を糾弾しようとする考え方にあるのである。


差別というのはそういう事で、差別のことば狩りに怖がって過剰に

反応するのが滑稽なのである。

時々女偏の漢字にはいい意味の言葉が少ないという事で、以前から

女性が差別されてきたと主張するひとがあるが、心配しないでも

そういうひとは十分馬鹿なのだから、差別されても仕方がないだろう。

まあ、僕もその馬鹿の端くれでよく言葉を誤って使う事が多いので、

今後はお互い気をつけて生きていきましょう。そういう意味では

無知というものは本当に怖いなあとも感じた次第である。

http://www.fsinet.or.jp/~s.seimei/02syohyou/kannji%20to%20nihonnjinn%20htm.htm