ついでながら、「中国」という名称の使い方についても一言
述べねばならないだろう。これは、すべて渡部先生の見解である
ゆえに、諸君は耳をそばだて(耳垢をかっぽじって)聴いてもらい
たい。
戦後いつ頃からかしらないが、気がついてみたら、シナのこと
を日本のジャーナリズムや出版界がすべて「中国」と言い始め
ていた。シナの正式の国名が、戦前において中華民国であるこ
とを知っていたので、その略称として中国と言っているのかと
思ったら、どうもその本来の意味で用いているのでビックリした
(本来とは、自分の国が世界の中心だということ)。
「中国」というのは、自分の国が世界の真ん中であるという美称
であって、よその国に使うことを強制出来る性質のものではない。
それだけならまだよいのだが、日本には、先に述べたように、
「中国(なかつくに)」という神代(かみよ)以来の言い方がある
うえに、「日本書紀」にも「中国」を日本の言い方に使っている。
それ以後、その用法が廃れたのならまだよい。
9世紀の後半には「類聚三代格(るいじゅさんだいきゃく)」元慶
(がんぎょう)2年(878年)、山陽道を「中国(ちゅうごく)」と
呼んでいる。これは山陰道と南海道の間にあったからだという。
また、これよりさきに大宝令(たいほうりょう・710年)にも、この
語が用いられたことが知られている。その後、山陰と山陽を
合(がっ)して、「中国(ちゅうごく)」と呼ぶようになり、「太平記」
にも「備後(びんご)」の鞆津(ともつ)に座し給(たま)ひて、
中国(ちゅうごく)の成敗を司(つかさど)るに<足利直冬(ただ
ふゆ)>は、備後の鞆津に赴任され、中国地方の裁判を担当
したが」とある。その後、この言い方は普通で、秀吉も毛利攻め
も、中国(ちゅうごく)征伐と言っていたことは、誰でも知っている。
そして、江戸時代を通じてこの用法は確立し、現代の日本
地理の教科書に至るまで、一貫して用いられている言葉で
ある(それには皆さん異存がないですね)。
こうしたところに、シナが「中国」と呼ぶ言い方をしているから
といって、日本のジャーナリズムや出版界が、挙げてこの用法
に飛びつくと言うのは混乱以外の何ものでもない。
事実、シナにおいては、「中国」が?「中国」の民でない民族が
王朝を作った時代が何回もあった。
元国はモンゴル族が、清国はツングース系、つまり元来(中華
思想でいうところの蔑視の意味での)「北狄(ほくてき)」と言わ
れた連中が建国しているのである。
シナにおいては「中国」が何度も断絶している(要するに漢民族
でない政権が幾度かあった)。ともかく、日本は千数百年間、
確実に連続して「中国」の語法を用い、地名として確立している
のだから(そういや、中国地方は天気予報でもいってましたっけ)、
たとえ現在の「中国政府」に圧力を受けても、「日本はこういう風
に昔から中国と言う言葉を使っていますから、貴殿の国を中国
として、一般に使うことが出来ません。
外交文書だけなら使わせていただきます」といっていいはずで
あった。それがそうならなかったことに、戦後の日本人の卑屈さ
がまざまざと現れている(それが今後、どのような影響を与える
だろうか?)。中略
こんな憎まれ口をきくのは、別にシナ人に対して反感がある
からではなく、なぜ日本人の知識人が隣国を「中国」と呼ぶの
かがおかしく思うことと、もう一つは、なぜシナ人がシナ人と呼ば
れることをいやがるのかが不思議だからである。
シナは戦前は支那と書かれるのが普通であったが、そのほか
至那、脂那などがあり震旦、真丹とかいても同じである。
このような書き方がたくさんあるのもその語源に関係があるので
それを一瞥しておくことにする。続く。
シナという名前は、秦の始皇帝が海内(かいだい)を統一し、
当時としては大帝国を築き、その威勢が周辺の諸民族に及んだ
ので、周囲の国々がそう呼びだしたのである。
インド人もそう言うのを耳で聞いてシナと言っていた。
それで、のちシナの仏教徒がインド人から聞いた自国の名前を
漢訳仏典に用いたため、脂那、至那など、さまざまな書記法が
生ずることになった。
ところで、始皇帝の属していた秦の氏族(古代の日本には
秦(はた)氏と呼ばれる渡来人がいて、聖徳太子の舎人で
秦野造(みやっこ)河勝が有名である)の発祥地は甘粛
(かんしゅく)省の秦州であるが、これは地図で見れば一見して
明らかなように、西域だ。
そして、その先祖は、さらに西からきたと考えられるから、うんと
古代においては、インド・ヨーロッパ民族と接触しうる地方にいた
とも考えられるので、シンが訛(なま)ってシナとなってインドに
入ったとしても、何の不思議もない。
今日でもヨーロッパは、シナをシナまたはヒナ(英米ではチャイナ)
と呼ぶが、それはやはり秦のことである。
しかも「秦」の語源は「進」などと通じ、「草のごとく成長の速や
かなる様」を指している。いわば、大変めでたい名前で、秦の国
の成長もそのごとく速やかであったのだろう。
秦という漢字の「あし」にある「禾」は穀物の苗とか茎の意味で
ある。
このようによい国名をどうして当のシナ人がいやがるのか
(いやなんだからしょうがないかともおもいますが)。
それは「中国」という名称を好きすぎることにもよるであろうが、
これは前にも言ったように他国に押しつけてはならない「美称」で
ある。
我々は子供の頃より、中国(シナ)のことをずっと「中国(ちゅう
ごく)」と教えられ今でもそう呼んでいる。だから、今さら「シナ」と
呼べと言われてもむりであろう。が、しかし、もし、中国文学の
研究者や、中国研究家らが彼(か)の国に対して「やましい気持
ち」から「中国」と言う呼称を使い始めたとしたら、また、日本人と
して彼の国へのコンプレックスからそうしたというのなら、それは
後々の時代に禍根を残すことになるだろう。もちろん、わが国は
彼の国より多大な影響を受け尊敬に値する思いはあるが、そう
だからと言って決して支配される国ではないからである。
とはいえ、今の政治家に中国に対してはっきりものが言える
人は存在しないとなれば、渡部氏のような歯に衣着せぬ愛国者
もいてもらわねば、心許ないというのも正直な気持ちでもある。
とにかく、自国の悪口を他国で言う人は、他国においては一番
軽蔑されるそうだ。結局のところ、自国の国の歴史を語ることは
それはとりもなおさず、自分の先祖を語ることである。
それは、自分の近親者、あるいは親について語ることみたいなも
のである。どうしても現在のエモーション(情緒)がからまってくる
だろう。
日本史の暗黒面ばかり、関心を持ち、日本の悪口を言うことを
正義と思っている人達の書いた本も読めないことはない。
それはそれなりに面白いし、また教えられることもある。それに、
自分の国の悪口ばかり言っている人を自由に活動させておく自体、
現在の日本が高い文明状態にあると思い、それを誇りにも思える。
日本の悪口を言ったり書いたりすることが出来ないような国に
なってしまったらそれこそ困るのである。
ましてや、悪口を言うのも日本をよくしたいという思いがあると言う
のであれば、何らとがめられることではないであろう。
それどころか、そんな人こそが、実は、本当の「愛国者」なのか
もしれない。
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