石平『私は「毛主席の小戦士」だった』を読む | 日本のお姉さん

石平『私は「毛主席の小戦士」だった』を読む

ブログ「岩田の日記」に http://www5.diary.ne.jp/user/526062/  下記の文章

が掲載されていました。
(引用開始)「 石平『私は「毛主席の小戦士」だった』を読む。
 先日のポーツマスネットワークの宮崎正弘先生の講演会には、加瀬英明

先生、西尾幹二先生、西村幸祐先生、山崎行太郎先生、平田文昭先生、

そして西法太郎先生と石平先生が駆けつけてくだったため、講演会では

なくシンポジウムができるほどであった。
 石平先生がいらっしゃるとのことで、以前宮崎先生のメルマガで書評されて

いた「『私は「毛主席の小戦士」だった』(飛鳥新社)を読んでみた。

大変に面白い本であった。
 毛沢東に対する洗脳と盲信。著者は少年時代に毛沢東を心から尊敬し、

自らもその走狗とでもいうべき小戦士となっていた。

そして後に明らかになる実際の毛沢東の姿。文革とは所詮は老いた毛沢東が

自らの権力を獲得するために国家全体を巻き込んだ壮大で悲惨な権力闘争

の一環にしかすぎなかったことを感じたとき、自らの小戦士としての少年時代

が疎ましく、空疎に思え、呆然としたこと。
毛沢東がこれほどの権力を行使できたのも結局は共産主義体制という驚く

べき独裁体制にあることに気づいたこと。これらの経験をへて著者は、根本

的解決は共産主義体制の変換、すなわち民主化によってしか為しえないと

して民主化闘争の知的活動家となっていく。
 天安門の挫折をへて民主化の夢破れ、政治に関してニヒリスティックに

なっていた著者が再び政治の世界へと目を向けざるを得なかったのは、

以前では考えられないほどの「反日」

ブームに驚いたからであった。
 興味深いエピソードがある。
著者が四川省の実家に帰省した際、以前から著者を慕っていた甥に、

小遣いをやろうとすると、頑として受け取らない。不思議に思った著者が

なぜか理由を問うてみると「おじさんのお金は、日本人からもらった給料だろう。

そんなお金僕は要らない!」ときっぱりといった。

そして甥は共産党に入党すると誇らしげに語り、

日本と戦うという

さらに、日本に大勝した共産党を、批判するような著者が従事してきた民主

化活動は完全に間違っていると断じた。
 著者は、この甥の姿に自らが少年兵であった過去を重ね合わせたので

あろう。
若者が幾度となく共産党権力により洗脳され、利用されて行く姿を目にし、

政治的ニヒリズムから覚醒し、「反日」の根本構造を分析する。


 この異常なナショナリズムを超えた

盲目的ショービニズムとでもいうべき

反日ブームの根本構造は、著者自身も関与して

いた民主化闘争の中、特に天安門事件を契機として、反共産党の雰囲気が

国民の中で生れつつあったことに対する窮余の一策として考え出された

極めて政治的なものであった。


共産主義というイデオロギーが共産党の一党独裁の正統性(legitimacy)を

付与しなくなったとき、新たな正統性の根拠を共産党の指導による第二次

世界大戦の勝利という偽りの歴史と、その敵国たる日本

の現在にまでいたる軍国主義の脅威

という誇大宣伝である。

再び侵略を目論む日本に対抗できるのは共産党しかありえず、その日本という

巨悪との対抗のためには一党独裁も止むを得ないではないかという論理である。
 こうした分析を著者は孤独に繰り返し、孤独な闘いを続ける。

後半の喪われた祖国の文化を日本に見たという日本文化論も興味深い。

石平という愛日的中国知識人を知る上でも、また現代中国の本質を見抜くため

にも格好の手引書となっている。
 (引用止め)」