蒋介石の日記
久しぶりにテレビを付けたらNHKで、シナ事変に関する番組をやっていた。
「どうせまた支那の目線で、番組を作っているんだろう。」とバカにしながら、
洗濯や掃除の合間に見ていた。まじめに見るのがバカらしい。
でも、蒋介石が「辺境の地でいくら日本と戦闘になっても、世界が振り向いて
くれない。上海で戦闘を起こさねばならない。」なんて日記に書いているのを
紹介していたので、驚いた。おまけに蒋介石は上海で日本を相手に戦闘を
行う前にソ連のスターリンに「日本と戦ってほしい。」と要請している。
スターリンは「喜んで。」というような良い返事を蒋介石に送り、どんどん
兵器を蒋介石軍にプレゼントしてくれたので、蒋介石は強気になっていた。
スターリンは、結局「ソ連が日本と戦争をするには、議会にかけないといけ
ないから、参戦するとしても最低2ヶ月はかかる。」などという手紙をよこし、
直ぐには動こうとはしなかった。それでも蒋介石にとっては、スターリンが
日本に参戦戦争するという約束は励みになった。
蒋介石はドイツの将校を招いて、上海、南京のあたりにドイツ式トーチカや
塹壕を用意し、兵を訓練してもらっていた。
蒋介石は、日本と戦争をする気、満々で準備していのだ。
それも、満州あたりの辺境地ではなく、上海でだ。日記にあるように、外国の
目を引いて、日本を非難して経済封鎖を引き出そうという考えだった。
蒋介石は、「滅ぼされるよりは、最後まで戦う。」と日記に書いていた。
日本は、満州だけ守れたらよいと考えていたし、支那とは戦争をしたくなかった
ので、支那が戦闘を仕掛けていても、それを「支那事変」と呼んでいた。
何度も何度も停戦の条約を結んだが、支那は条約を結んでも、それを守る気
が無かった。上海を蒋介石が襲った時、日本政府は戦闘の拡大を恐れて
なかなか日本軍の援護部隊を送らなかった。そのため、大勢の日本兵が
死んだ。しかし最後には日本政府も仕方なく援護の部隊を送ることを決定
した。蒋介石の支那とは今後相手をしないとも決定した。ウソばかりつかれて
日本もあきれたのだろう。悪い支那を懲らしめて恐れさせ、日本人を二度と
襲わないようにしたいと日本軍は考えていた。
天皇は、支那事変を拡大させたくなかったので、南京を攻める気などなかった
のだが、日本の軍部のトップは、天皇の命令を伝えず、「将来、南京に攻める
かもしれないから用意をしておくように。」などと独断で違う命令を伝えたそうだ。
南京までも攻めていくつもりは、日本政府には無かったのだが、現地の
日本軍は独自の判断で、上海で蒋介石軍を破った勢いで、南京まで攻めて
いった。そういうことは、知っていたが、NHKは「またしても満州事変と同じで
軍部が独走して、あとから日本政府が承認するという同じことか起こったの
です。」と報道していた。
支那側から発砲した事件も、日本軍の仕業と言うニュアンスのことを言って
いた。上海では、蒋介石の地形を利用した作戦で日本兵が1万人死んだ
そうだ。1万人も死んだら日本軍も相当怒っているはずだ。南京に
押し寄せたのは、支那は首都を制圧されたら日本軍に戦いを挑むのを
あきらめるだろうという考えからだったそうだ。
蒋介石は自分が不利になると南京から逃げ出した。後はお任せくださいと
言った蒋介石の部下も逃げ出した。後に残るのは、蒋介石の兵士たちだ。
ようするに、蒋介石たちは、部下をどうにでもしてくださいと日本兵に差し出し
て逃げ出したのだ。
降参すれば、よかったのに、降参もさせずにそのまま置いて逃げたのだ。
蒋介石と部下にも責任があるのではないか。南京をオープンシティーにも
せず、門を閉めてあくまでも日本と戦うポーズを見せ、塹壕に逃げられない
ように支那兵をくくりつけ、手榴弾を持たせたのは蒋介石軍が残忍だからだ。
兵士を使い捨てにして日本軍の餌食になるように差し出したのは、
南京をせめさせて世界に報道しようという作戦だったからか、無能だったから
か知らないが、南京市民を危険にさらしたのは蒋介石ではないのか。
NHKの番組では、元日本兵が出てきて、当時の様子を語っている。
「南京の門を入ると、そこら辺一帯に支那兵の軍服が脱ぎ捨てられて
いるんですわ。ははあ、便衣服(一般人の服を着て戦うゲリラ戦をする兵に
なったということ。)を着よったな、思いましたわ。
一般人の服を着て紛れ込んだんですわ。南京に入ってもみな緊張して
おりました。そんな状況で、誰が一般人か、誰が便衣兵かどないして区別
できますか?青年男子の怪しいもんは皆掃討するように上から命令され
ましたわ。河のほとりで皆飛び込むんです。逃げよう思ったんですわな。
誰が命令するまでもなく狙って撃ちました。わたしもひとり門の側で
切りました。こんな風に話すのは、冥土の土産ですな。
(こういう風に告白するのは)すっきりする言うか、なんとも言えん気持ち
ですわ。軍服を着て戦闘するというのとは違って、一般人の服を着とります
から、他からみたら虐殺いうことになるんですかな。ああいう戦争は繰り
返したらあかんね。」と、大体こんなことを語っていた。
三日間で南京を落としたが、市内に大勢、一般人に化けている兵士がいる
南京。緊張した日本兵が便衣服の兵らしき集団を掃討したのは、当時の
状況を考えると、仕方がなかったのかもしれない。戦争になったら、誰が
自分を守ってくれるというのだ。物陰から襲ってくるゲリラを抱えて勝利宣言も
できないし、後から入る部隊が犠牲になるだけだ。それが戦争だ。
だから戦争は恐いのだ。やらなければやられる。その恐怖が兵隊を突き
動かすのだ。「南京では、みんな相当緊張しとりましたですな。」と、
元日本兵も言っていた。南京はゲリラが隠れる街という特殊な状況だった
わけだ。
支那兵は、便衣服のまま物陰から日本兵を襲ってきたので、南京市内に
入ってからも、日本兵は何人も死んだと、元日本兵の証言を集めた本で
読んだことがある。ひとりで女性をレイプしにいくと、かならず物陰から
銃で撃たれて死んだそうだ。だから2,3人で固まってレイプしに行ったという
元日本兵の証言がある。占領後1ヶ月は連隊によっては軍規も乱れていた
そうだ。乱れていない連隊もあったし、レイプなどしていない日本兵も大勢
いるのに、一部の兵隊のせいで、日本軍全体が悪く言われていい迷惑だ。
当時、南京で起こったことを外国人が世界に報告し、アメリカ人にいろいろな
写真が送られた。その中には、泣いている子供をわざわざ線路の中に座ら
せて、写真を撮るなど、ずいぶん「やらせ」の写真も混じっている。
日本人が病院でけが人を治療中の写真なども、「切られているところ」
などという説明入りで報道されていたのだ。
通州で日本人が殺されたひどい写真も南京の虐殺の証明として使われた。
冬なのに、夏の写真が混じっているなど、本当に南京の写真なのか分から
ないモノも多数あった。それらの写真は、蒋介石に雇われた外国人の手に
よって、アメリカに渡り、アメリカの世論を日本嫌いに導いた。
主にアメリカの教会の人々が日本軍の残虐さをアメリカ社会に訴えたそうだ。
なぜそんなにアメリカが日本を嫌ったか疑問に思うが、アメリカで日本人排斥
運動が起こる前に、日本人が暴れて日本のアメリカ大使館を壊したり、
日本にある教会を多数壊している。
そんな事をする民族は、蛮人だと思われたのではないか。外国の大使館や
教会は壊してはいけない。昔の日本人は今の支那人並みに暴れたようだ。
その辺からぐっとアメリカの日本に対するイメージは悪くなっているし、
アメリカにいる日本人に対する態度もものすごく悪くなっている。
それは人種差別もあると思う。しかし、同じアジア人でもなぜアメリカは
蒋介石率いる支那が大好きで、日本をジャップと呼んで憎んだのだろう。
当時のアメリカの様子をもっと知りたいと思った。もしかして日本軍が天皇を
無理やり外国人に拝ませるような事をしていて、反感を買ったのかも。
朝鮮で、日本軍が朝鮮人に天皇を拝ませようとして、拝まないクリスチャンを
迫害して、拷問したり殺したりしていたのは事実だ。満州でも同じ事をしていた
のだろうか。満州に住む宣教師たちは、相当日本軍を嫌っていたようだ。
嫌われるようなことをしていたのだろうと思う。
日頃の行いが悪かったから、戦争になった時にもっと嫌われたのでは
ないか?天皇を無理やり拝ませるような民族は、悪い民族だから、滅ぶ
べきだとアメリカは考えたのか?
わたしの友達のお母さんは70代だが、戦争前は憲兵がめちゃくちゃ
威張っていたので、嫌な国だったと言っている。
今は日本は戦争に負けたおかげで自由と平等があって、女性が尊重される
時代が来てよかったと言っている。起こってしまった歴史は変えることは
できない。日本は唯一、白人にたて突いた有色人種だ。
アメリカに逆らわなくても、いずれどこかの白人の国と戦争をしたのだと思う。
日本はアジアで、唯一植民地にされておらず、白人にたて突く勇気も武器も
あった国だ。アジア人が白人にたて突くなんて、考えられない時代のできごと
だった。今さら過ぎてしまった出来事を、「日本軍が悪かった。」の一言で、
終わらせて済むことではないと思う。世界中が嫌な時代だったから、日本も
必死になったと思っておけばいいのではないか。
日本のために戦って死んだ人々は、日本が存続するために頑張ったのだ。
間違っていたのか、間違っていなかったのか、今の日本人は当時の状況に
生きていないので判断できない。日本をそこまで追い込んだ西洋には罪は
無いようである。蒋介石は、「滅ぼされるよりは、最後まで戦う。」と日記に
書いていたが、日本は支那を滅ぼすつもりなど無かったはずだ。
誰が蒋介石をそんな風に追い込んだのか。
日本も、「アメリカに石油を止められ滅ぼされるよりは、最後まで戦う。」と
思って戦争を始めたのだから、当時のアジア人は狂っていたのだと思う。
そんな風に追い詰めた西洋は悪く無いようである。
「勝てば官軍」負ければ原爆。
蒋介石も、敵ながらあっぱれだと思うが、結局、支那も日本もアメリカや
ソ連や支那の共産党やイギリス、オランダ、オーストラリアの見ている
舞台で、戦争というダンスを踊った哀れなアジア人なんだと思う。
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Japan On the Globe(229) 国際派日本人養成講座_______
_/_/
_/ Media Watch: 国際プロパガンダの研究
_/_/
_/ _/_/_/ 文書偽造から、外国人記者の活用まで、
_/ _/_/ プロパガンダ先進国・中国に学ぶ先端手法。
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■1.エドガー・スノー■
世界を征服するには、まず中国を征服しなければならぬ
≪田中手記≫
1941(昭和16)年、大東亜戦争開戦の年の春にアメリカのラ
ンダム社から出版されたエドガー・スノーによる「アジアの戦
争(The Battle for Asia)」の第一編第一章の冒頭に引用され
たセリフだ。「アジアの戦争」とは日本の「世界征服計画」
の第一ステップだと言うのである。
エドガー・スノーは1936年、中国共産党の支配する大陸奥地
に潜入して、毛沢東とのインタビューに成功し、翌年出版した
「中国の赤い星」は英米でベストセラーとなった。「私は、着
くとすぐに毛(沢東)と会った。その姿はやせたリンカーンの
ように見えた」という見事な一節で、中国の共産主義者は、ロ
シアの革命家のような「血に飢えた権力主義者」ではなく、
「良心的な民主主義者」であると印象づけた。
その中国を侵略する日本人を「アジアの戦争」では次のよう
に描写する。
神道の教えを基にする武士道を信ずるサムライたちは、
百年足らず前なら、誰でも衝動的に、不幸な平民の首を斬
り、刀の斬れ味を試すことができた。日本の兵士が、今日
でも同じように中国で中国人の首を刎ねている理由はここ
に由来している。1923年(大正12年)の関東大震災の際、
軍隊と警察の指導の下に行われた6千人の在日朝鮮人の虐
殺は、実に日本人の女や子供の手によって行われたのであ
る。
スノーは、日中戦争では「やせたリンカーン」が、「女や子
供まで虐殺に加担する残虐な日本人」の侵略と戦っている、と
いう鮮烈なイメージを多くのアメリカ人に吹き込んだのである。
(略)
■7.「30万人虐殺」説の出所■
もう一つ、もっと高度な国際プロパガンダのテクニックを紹
介しておこう。日本軍が南京占領時に30万人の虐殺をしたと
いう「南京大虐殺」説が今も中国政府の公式見解になっている
が、それを世界に最初に知らせたとして有名になったのが、マ
ンチェスター・ガーディアン紙の特派員として、事件当時南京
にいたオーストラリア人記者H・J・ティンパーリーによる
「戦争とは何か-中国における日本軍のテロ行為」である。
その第一頁にティンパーリーは「華中の戦争だけでも、中国
軍の死傷者は、少なくとも30万人になり、一般市民の死傷者
も同じくらいであった」と書いた。スノーもこれを下敷きにし
て「アジアの戦争」で「上海・南京間の進撃中に、30万人の
人民が日本軍に殺されたと見られているが、これは中国軍の受
けた死傷者とほぼ同じくらいであった」と述べた。
■8.蒋介石の「国際宣伝処」の手先だった外国人記者■
ところが、最近、このティンパーリーが実は蒋介石の「国際
宣伝処」の手先だったことが明らかになった。蒋介石に委任さ
れて「国際宣伝」を担当していた曾虚白の自伝で次のような一
節が見つかったのである。
我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出
すべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際
友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと
決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくし
て我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティ
ンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐
殺の目撃記録として2冊の本を書いてもらい、印刷して発
行することを検討した。・・・このあとティンパーリーは
そのとおりにやり、・・・二つの書物は売れ行きのよい書
物となり宣伝の目的を達した。
スマイスは南京にあった金陵大学で社会学を担当していたア
メリカ人学者で、南京事件後に戦争被害の実地調査を行い、戦
闘行為以外の暴行による民間人死者2400という数字を出し
た。この数値は少なすぎるとして、「30万人虐殺」を主張す
る一派からはカッコ付きで扱われている。そのスマイス博士す
ら、実は国民党の国際宣伝処の手先だったというのである。
中国大陸では、数千年の間、多くの民族が入り乱れての戦乱
が打ち続いた。その過程で敵を貶めるためのプロパガンダ手法
を高度に発展させてきた。本号で紹介した文書偽造や、中立的
に見える外国人を金で雇って宣伝を書かせたりというのは、そ
の一部である。その高度なテクニックを使えば「温室国家」日
本に育って「心から謝罪すれば許してくれる」などと信ずるお
人好しを丸め込むのは、赤子の手をひねるようなものである。
(文責:伊勢雅臣)
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 鈴木明、「新『南京大虐殺』のまぼろし」★★、飛鳥新社、H11
2. 秦郁彦、「昭和史の謎を追う 上」★★、文春文庫、H11
3. 北村稔、「『南京事件』の探求」★★、文春新書、H13
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