支那(チャイナ)の田中メモリアルってなんですか? | 日本のお姉さん

支那(チャイナ)の田中メモリアルってなんですか?

「日本軍の計画的な謀略」を裏付ける物的証拠とされている。「田中上奏文」とも「田中奏摺」とも呼ばれる。内容で最も有名な部分が「支那を征服せんと欲せば、まず満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征せざるべからず……これ乃ち明治大帝の遺策にして…」のくだりである。
日本は世界征服の野望のためのプログラムを用意し、その手始めに満州、支那に侵略した、というのだ。
明らかに偽造文書なのだが、1930年代に米国や中国で出回り、日本に対する強い反発を呼んだ。
これを作ったのはソ連・KGBの前身であるGPUで、英語版は米国共産党によって大量に配付された。 (産経新聞・平成11.9.7)

肝心の「田中メモリアル・日本語版」は存在しない。

東京裁判では「共同謀議」による陰謀史観を

前提にスタートした。田中メモリアルを日本の

計画的侵略の証拠として使おうとしたが本物と

立証できず、検察側は共同謀議説を放棄して

しまった。
ところが、中共ではまだこれを本物であると

頑張っていて、出版し続けている。
ギネスブックによれば、史上最高のベストセラーは

「聖書」(25億冊)で、次が「毛沢東語録」(8億冊)

だそうだ。

そして何と「田中メモリアル」がそれに続くらしい


http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa02/tushu3.htm


ようするに、ソ連が作って世界にばらまいたニセの文書で、このおかげで

「日本は世界征服を企てていた。」ということになったらしい。


東京裁判が始まった時も、アメリカはこれを元に日本を裁こうとして

いたんだ。


その内に、この文書がニセだとアメリカも気が付いた。

気が付いたけど、日本を裁いて関係者を処刑にするのは決定していたこと

なのので、アメリカはどんどん処刑を進めていこうとしたわけ。


最初は彼らは天皇を殺す気、満々でいたんだ。


でも、天皇は、議会が決めた事に従っていただけなのだ。

日本は議会政治の国なのでね。


マッカーサーもそれに気が付いたので、天皇は処刑されなかった。

天皇を人質にされていたようなものなので、他の人間が黙って

罪に問われて死んでいった。あくまでも先の戦争は自衛のための戦いで

あったと主張はしたが、アメリカはとにかく日本のトップを処刑にして

うっぷんを晴らしたかったから、東京裁判という判事も検事も

戦勝国のみという裁判にもならない裁判を実行した。


最も天皇を殺したがったのは国民党とオーストラリアだった。

支那は、今でも天皇を殺したいようで、盛んに支那の民衆に日本の

天皇を憎む教育を行っている。

共産党は日本と戦争は行っていないし、はっきり言えば関係無いのだが、

いつのまにか、支那では日本と戦ったのは共産党だという雰囲気に

なっている。

最近は、ウソがばれてきたのを知ってか、しきりに国民党のことを

もちあげるようになった。昔は敵として蒋介石を台湾に追いやったくせにね。


支那は、今、しきりに日本の天皇のことを悪いイメージを持つように

国民に刷り込んでいるから、

日本がもし、支那に支配されたら、真っ先に日本の天皇制を廃止されると

思うよ。支那には天皇のように長く続く朝廷はいないんだからそれも

憎いのだと思うよ。


支那の住民たちは支那の大地で、延々と戦いを繰り広げてきた。

民族が民族を殺戮(さつりく)し、滅ぼしつくすような争いを続けており、

先の政権イコール「敵」なものだから、先祖を敬う気持ちなんて

まるっきり無いんだ。


国を愛する気持ちなど彼らには無かった。国の意識が無いのだ。

「中国」なんて国はなく、あるのは、その時その時の支配者に

従わねば抹殺されるという事実だけ。


実際、支那の大地では、ひとつの政権が終わると、それに関連する

関係者や民族は抹殺されてきたんだ。元のモンゴルは自分の国に

逃げ帰ったが、清国の先祖の土地である満州国は支那人に占領された。

逃げ帰ることも否定されたわけ。日本がロシアから奪い清国に返して

あげた土地であったが、あくまでも日本が侵略したことになっている。

アメリカもそういうことにしておきたかったらしい。

リットン調査団も、そういうことにしたようだ。支那人が日本を

訴える手紙を千通、宣教師らを通して夜中にリットンに渡したそうだ。

支那人は、満州を支那人の土地だと思った。日本は、満州の鉄道の利権を

日本が持つのは、ロシアと戦って日本人の血を流して奪い取った、正当な

権利だと思った。清国の末裔の溥儀は、満州は自分たちの先祖の土地で、

お墓もあることだし、そこに満州国を作るのは、当然だと思った。

(溥儀の妻はアヘンにやられていて、日本人に管理されていて苦しいと

リットンに訴えた。アヘンを吸うなと言われて健康管理されていて嫌だった

のかもしれない。)


実際、支那の大地では、ひとつの政権が終わると、それに関連する

関係者や民族は抹殺されてきたから、政権を取った民族は自分たちが

逃げ帰る場所を確保していた。満州人の支配する清国にとっては、逃げ帰る

場所が満州だったのだが、支那人にそこまで奪われたというのが現実だ。
満州人は、モンゴルなど辺境に集団移動させられたり、満州人も自分が

満州人という意識も低く、支那人になって消えていった。


支那の大地では、前の支配者は常に敵なのだった。

元が滅びる時は、元の支配者と関係者たちは殺され、清が滅びる時は

清の支配者と関係者たちは殺される。


彼らにとっては旧支配者たちは、憎んで墓を暴いて死体を出してきて、

引きずり回さねばならない存在なんだ。

骨まで憎んで、バラバラにして焼いたりしないと気が治まらないわけ。


日本は一時的にでも彼らの支配者だった。

彼らにとっては旧日本軍のトップとは、死んだ後も憎い敵。

日支事変では、日本軍は圧倒的に強く、支那人は

やられっぱなしで酷い目にあった。旧日本軍は、支那の旧支配者だったから、

日本軍のトップは、墓まで暴いてむちゃくちゃにしたい相手なのだ。


だから、日本人が彼らを靖国神社に祭って、彼らを拝むというのを聞くと

ムカツイて気が狂いそうになるほど腹が立つわけ。


本当は日本は外国なのに、外国人の死者の墓まで暴いて、骨を引きずり

回したい欲望にかられているわけ。

そんな気持ちで怒っているのだが、それは彼らの性癖。

支那が日本に戦いを挑んで、日支事変でめちゃくちゃにやられた時の、

くやしく辛い思い出を彼らは子々孫々語り継げようとしている。


問題は日本は満州を侵略したのか?

本当に満州は支那人の土地だったのか?ということなのだけど、

支那人にとっては、どうでもいいことらしい。戦いに負けてめちゃくちゃに

やられた者のうらみと憎しみが存在しているだけなのだ。


北京や上海の租界に日本人が多数住んでいて、商売をしていた。

そこに彼らを守る日本の護衛部隊がいて、夜中に夜間演習をしていた。

そのこと事態が腹が立つことなのだ。支那の大地の奥深く

(都市部だけだが)

日本人が護衛部隊と共に、支那の大地に住み着いたことが憎いのだ。


租界にいたのは、日本だけではないのに、日本にだけ憎しみを顕わに

するのはなぜだと思う?


当時、北京や上海にいた、他の外国にいまさら文句を言っても


どこの国も相手にしないからだよ。



支那人は租界の中の西洋人は相手にしなかったが、(一度相手にしたら

手ひどい反撃にあった。清国の西洋式の庭がイギリスによってめちゃめちゃ

にされたのだ。)日本人は満州、北京、南京、上海などで遠慮なく殺傷した。

支那軍に紛れ込んだ共産党の仕業だったようだが、彼らは日本との戦争を

望んだのだった。

通州で、日本女性多数を含む260人余を殺した事件は確実に日本軍を

怒らせた。そんな過去を黙って、ただただ支那人は旧日本軍を非難する。

そして死んでしまった先祖を敬う日本人を憎み、日本の代表が靖国神社に

参拝しにいくことを「とんでもないことだ。」と言うのである。