明石のおじいさん
明石の駅前で、教会のチラシを配っていた時のことだった。
あるおじいさんにチラシを渡そうとすると、そのおじいさんは
「ワシはキリスト教は嫌いや!罪をざんげしろ、言うから神父にざんげ
したら、ちょっと待ってろ言うんや。待ってたら警察呼んできよったんや!
えらい目におうたわ!もう絶対キリスト教は信用せえへん!」と言って、
怒りだしたのだ。
「え~。それカトリックですね。カトリックの神父に罪を告白したら警察、
呼ばれたんですか?罪は人間に告白しても何にもなりませんよ。
天の神さまにだけ告白して神さまに赦してもらわな、あかんのです。
それにカトリックの神父でも、他人の告白した罪を警察にばらさない
はずなんですけど、変ですね。」と、答えたが、彼は怒りながら
去っていった。いったいどこのカトリック教会に行ったのやら、、、。
聖書には、神父や牧師に自分の罪を告白しないと、神さまに罪を赦して
もらえないなんて書いていない。罪を赦せるのは、神さまだけだ。
人間は、神さまが用意してくれた「罪を赦す方法」を信じるだけで
救われる。
人間に告白してどうなるというものではない。
世の中には、他人に自分の罪を告白して、いかに自分が弱くてダメな
人間なのかことさらに強調してみせる変な趣味の人がいるが、
そんなことをしても他人に軽蔑されるだけなのだ。
高校生の時に、近所に仲のいい友達がいた。
彼女は自分のことをブスだとか、ダメなヤツだとわたしに言いまくって
いたので、わたしも「ああ。ダメな人なのか。」と思っていた。
ところが、その女の子は教会のおばちゃんたちの間で、顔が可愛いとか
頭がいいとか評判がいい女の子だった。
学校の成績もかなり良いということだった。
わたしは、彼女に「あんまり自分のことをブスとか、ダメだとか言わない
方がいいよ。だって、あなた可愛いし、頭もいいじゃん。あんまり自分の
ことをバカ、バカ言うと周りの人がバカなんだと思うし、自分もブスだと
思い込んだらブスになるんじゃないの?」と忠告をした。
それから彼女は、あまり自己批判や自己卑下をしなくなった。
実際彼女は可愛いし、頭も良かった。
自分をブスだと思えば回りもそう思うようになるのだ。
だから、他人に必要以上に自分を悪く言ったり、自分の犯した罪を語る
のは、何の益にもならないのだと思う。
弱い相手を励ます目的で、本当は私もこんなに大変なことがあったの
だよと語るなら話は分かる。ただし、相手の励ましにならず、こちらの
気持ちを理解してくれなければ、相手によけいな情報を与えることになる。
励まそうとした相手に軽蔑されるようになる恐れもある。
だから、あまり他人に自分の弱みや罪を語るべきではないと思う。
ただ、神さまには自分の犯した罪を赦してくださいと語りかけ、天国に
行けるようになっておかねばならない。
神さまは罪を赦してくださる方だ。なぜならば神さまは人間を創られた方
だからだ。人間を創られた神さまは心があり感情を持っておられるはず。
そして人間に自分の存在を教えておられるはず。神さまはイスラエル人
を使って、神さまが人間の世界に介入される方なのだと教え、いつか
人間を救う救い主(メシヤ)を送ると預言者を通して語っておられる。
神さまは預言のとおりに神さまの右の座に座るひとり子を救い主として
この世に送られ、その方は十字架の上で罪のある人類のための
身代わりに罪の裁きを受けられた。イエス・キリストのことだ。
イエス・キリストは死んで墓に入れられ三日目によみがえり、大勢の人の
前で、福音を語られて40日目に大勢が見上げる中、天に戻られた。
世界の創造主が人間の世界に介入してくださったから、罪がある人間も
罪を赦されて天国にいけるようになった。その事を伝えるのがクりス
チャンの役目だ。
神さまは人間を愛しておられるから、そういう準備をされたのだ。
そういう準備がなされたから、神さまに罪を赦してもらえるようになったのだ。
人間に告白しても罪は赦されない。人間は神さまに対して罪の赦しを
願わねばならない。
明石のおじいさんは、どんな罪を神父に告白したのか知らないが、えらい
目にあったそうだ。戦前の話しなのか、戦後の話しなのか知らないが
神父が警察を呼んで来て、結局おじいさんはブタバコにぶちこまれた
そうだ。何かの犯罪者だったのだろう。犯罪者だけが罪人なのではなく、
人間の心に罪があるから何かのきかっけで良心のタガが外れたら犯罪
を犯すようになるのだ。神さまの基準では、人のモノを欲しがっただけで
泥棒と同じ、欲情を抱いて他人を見ただけで、罪なのだと聖書には
書いてある。神さまの基準によれば、人間はみんな罪人だ。
人間の持つ欲情は正しく用いればよいのだが、的外れに用いれば
罪なのだそうだ。罪とはギリシャ語では「的外れ」という意味らしい。
食欲が出て、ご飯を食べるのは良い事。食べ過ぎるのは自分の体に
対する罪。性欲が出て、自分の決まった結婚相手と愛しあうのは
良い事。他人を自分の肉欲の処理のために使ったり、自分に決まった
相手がありながら、今後誰かと結婚して家庭を持つべき独身の相手と
肉欲をむさぼり合うのは罪。的が外れたら罪だということだ。
神さまの基準は厳しいので、すべての人が罪人だということになる。
人間は、神さまが用意してくれた「罪を赦す方法」を信じるだけで
救われる。明石のおじいさんも神さまに罪の赦しを願うべきだったのだ。
それを説明しようと思ったが、逃げられた。