意地を張って生きるんだ! | 日本のお姉さん

意地を張って生きるんだ!

昨日、会社のお昼休みにレストランで新聞を読んでいると、高校生の


女の子が自分のブログに悪口のコメントを書かれたことを苦にして


精神安定剤を大量に飲んで自殺をはかったというニュースが載っていた。


幸い母親が気が付いて直ぐ病院に運んだので、なんともなかったそうだ。


その女子高校生は、ブログで悪口を書かれたことを気にして友達にも


悩みを打ち明けていたそうだ。ブログにコメントを載せた女の子は同じ


高校の学生で、ブログの主が誰かということを知って悪口を書いたらしい。


悪口を書かれたぐらいで自殺をはかるなんて、なんてか弱い女の子


なのだろう。ブログに悪口を書かれるのは、最初から覚悟をしていた


のではなかったのか?悪口を書かれても、消してしまえばいいし、消す


のが嫌なら、コメントで言い返せばいいのでは?


そういうわたしも高校生の時は傷つきやすい女の子だったのだから、


人のことは言えない。道を歩いていて、トラックの運ちゃんに


「ぶす~!!」と、叫ばれた時は、傷ついた。


高校生の女の子が普通に道を歩いていて、若い男の子にトラックの窓


から身を乗り出されて、そんなことを叫ばれたらショックだ。


高校生っていうのは、そんなに不細工でもなくても容姿を気にする


年頃なのだ。実際不細工だったのではなくて、そこの土地が柄が悪い


場所だったというのもあると思うが、今考えてみると、大型トラックに


乗っている運ちゃんは、女の子をからかいたかっただけだったのだと


思う。本当に不細工なら声も掛けていかないだろうし、だいたいわたしは


道の左側を歩いていて、トラックの進行方向に背を向けて歩いていた


のに、どうやって背中からブスだとか分かるのだ?もしかして恐い顔を


して歩いていたのかもしれないが、側までこないと表情まで見えないと


思う。そうとう悔しかったので、今でも覚えている。


今、そんなことをされたとしても、「ああ。ブスだろう?それがどうした。


お前も不細工なクソガキじゃないか。」と思って、深くは傷つかない。


オバハンになると、誰も声もかけなくなるのである意味すごく楽だ。


高校生の女の子が下品なおじいさんに話しかけられて、延々と


相手をさせられている様子をたまに見かけるが、話相手にされている


女の子はかわいそうだが、まあ、セクハラされているワケでもないから、


助けはしない。嫌なら逃げたらよいのだ。一応様子を見て助けないと


いけないかどうかチェックはしている。


ちょっとぐらいブログに悪口を書かれたぐらいで、自殺を試みるなんて


弱すぎる。日本の女の子は、そんなことでくじけてはいけない。


どんな憎たらしいことを書かれても、平気でいないといけない。


家を探されてやってきたら恐いけど、自分の名前も住所も明かさず、


勝手に悪口を書いていく人なんか恐くないんだよ。


インターネットの2chで、殺人予告をしたり、猫を殺して写真を載せるよう


なことをすると、その人間は警察に捕まるが、悪口ぐらいでは捕まらない。


それでみんな、調子に乗ってコメントを書くわけだが、やはりマナーは


あるはず。マナーを破る人間のコメントは、書かれた人が勝手に消して


それっきりにしてしまうか、警察に相談して対処してもらうかしたらいい


と思う。インターネットの犯罪も警察はちゃんと管理を始めているから、


友達に相談するより、警察に相談したらいいのだ。


そんな書き込みで人が死んだら、書いた人は後味が悪いだろうなと思う。


言葉は、人を助けるツールともなるし人を殺すツールにもなる。


自分の書いた文章が、相手にどう伝わるのか、想像しながら書かないと、


コメントは書いてしまったあとで、消す事はできない。だから、しゃべる


時と同じように、注意して書かないといけない。


でも、子供の時から、人は周りの人に傷つけられたり、傷つけたりしな


がら、だんだん強い大人になっていくのだと思う。


兄弟姉妹がいて、ケンカしながら育った人は、やはり強い。


どこまで殴れば相手が痛がるとかどこまで殴れば人は死ぬとかケンカ


しているうちに、なんとなく分かって加減するようになる。


自分が言われて嫌だった言葉は、人に言わないようにしなければなら


ない。でも、戦わねばならない相手がいるとき、戦う事ができる強さも


持っていないと、この世の中を生きていけない。


何事も無く、平穏無事に育つと、他人の攻撃に弱い高校生ができあ


がってしまうのだろう。心が弱い人は、ブログなど書かないことだ。


人のコメントを受け付けない機能を使うなどして、自分を守らねばなら


ないのかもしれない。どんなにイジワルなコメントを書かれても、


「これぐらいでへこたれるもんか!」と、意地を張って生きるんだよ!


あんまりプライドが高いと、自分が惨めになった時、生きていけないの


で、自分の弱さや愚かさも素直に受け入れて反省する柔軟な心も


持っていたい。年を取ったら言葉を上手く使えるようになるかと言えば


そうでもない。最近、近所のお好み焼き屋さんのおばちゃんは、90歳


ぐらいのおばあさんのお客さんにいただいた、カニ缶を使って店で


カニ玉を作ってみんなで少しずつ食べようとしたら、「わたしがいっぺん


あげたもんやさかい、何を作ろうとあんたの勝手やけどな!せっかく


やったもんを、何で家で作って自分だけで食べへんのや。


料理作って客に出すためにやったんちゃうで!」と、言われて深く傷つ


いていた。年を取ってもひどいことを言う人は言うのだ。


この世の中は、天使ばかりが住んでいるのではない。だから、嫌なことを


言われても、「なにくそ!」と意地を張って、生きなければならない時も


あるんだよ。わたしの友達の30代の独身女性は、会社の上司に


「そんなにずっと独りで生きてたら、体がさびしいやろ!」と会社で言わ


れた。それってセクハラだろう。友達はくやしくて泣いたそうだ。


「お前なんかに、人のセックスライフの心配なんかしていらんわい!


よけいなお世話じゃ!と思ったわ。」と言っていた。傷付き易い微妙な


年代の女性は、会社でひどいことを言うおじさんたちにも耐えなければ


ならない。わたしは、女の上司には泣かされた。ポーズだけでも意地を


張って生きていたら、ある時気が付いたら楽になっていた。


むちゃくちゃ言う人相手には、ビシッと反論するのがいいようだ。


ある時、女の上司はわたしに「あんたも(なかなか)言うな。」と、言った。


それからは、あまり理由なくイジメなくなったように思う。


家でも会社でもどこに行っても、いろんな事件が起こって大変だったが、


高校生の時からの親友のクリスチャンの友達は、「それは神さまが


お姉さんを訓練しようとされたからだよ。もし、その苦しみが無ければ


今頃、お姉さんは神さまを信頼して生きる人じゃなかったかもしれない


でしょう?みんなにちやほやされて、高慢ちきなまま大人になったかも


しれないし、弱い人の気持ちが分からなくてイジメる側の人になっていた


かもしれないでしょう?」と言う。確かにそうだった。


神さまの存在や主権を認めない人は、全ての嫌な出来事に関して、


なんでわたしだけこんな目に会うのよ!と、不満だらけで過ごしている。


でもクリスチャンは、全てのことは神さまの計画によるのだと信じている。


神さまは耐えられないような訓練は与えないと、聖書には書いてある。


ブログに悪口を書き込まれただけで自殺を企てるのは、心に粘りがない


からだろう。信仰と希望と愛がなければ、小さな風が吹いてもぽっきり


折れてしまうのかもしれない。信じる相手は木や石でできた人間が


けずってできた偶像ではなく、世界を創られた創造主だから、わたしは


幸せだ。嫌な目に会っている時でも、神さまの訓練だと考えればいい


のだ。実際、嫌な目にあった分だけ、たくましく優しくなっているような気も


する。今までいろんな目に会ったから、小さな問題だって「越えられる。」


と思える。最近夜中に起きてテレビをつけたらニューヨークの街で起こる


ドラマをやっていた。ユダヤ人のご主人が、子供が生まれなくて養子


縁組をしようと手続きをしているのに、なかなか当てがなくてへこんで


いた。ユダヤ人の奥様が、「元気だして。わたしたち、ユダヤ人よ。


もっと辛い時期もあったじゃないの。」と言ってご主人を励ましていた。


近代ではユダヤ人ほど、酷い目にあった人々はいないと思う。


日本人もアメリカに原爆を落とされたが、強い相手に逆らったから


仕方が無い。辛い目に会ったから、今の日本があるのだ。


悪口を言われたぐらいで、高校生が自殺をはかるような国ではいけない。

支那にむちゃくちゃを言われても、周りの人に悪口を言われても、それで


くじけるようではいけない。「なにくそ!」と意地を張って、相手に


びっくりされるようになるまで成長しないといけないと思う。


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余談:


クリスチャンは、神さまの訓練だと思って、成長しますが、


クリスチャンで無い人は、「こういう経験もすべて自分のためになって


いる。」と、無理やり思い込んで意地で切り抜けて成長するしかない。


我慢できなかったら自殺に逃げるのではなく、周りにいる経験者に助けを


求めたり、違う学校や会社や他の国に逃げてみる手もある。


自分の家庭に逃げ込んで楽になるニートもいるが、大人とは、辛い事が


あっても、それを乗り越えたり、違う道を探して生きていく人のことだ。


乗り越えずに家にこもっていても、自分ができる仕事を探す努力は


必要だ。誰かの助けが必要なら、助けを求めて専門家を探す努力


ぐらいはしてみてもいいのではないかと思う。


本屋で聖書を買って読んでみるとか、ね。