ローマ時代のユダヤ人
ローマ帝国がヨーロッパ全土を支配していた紀元前3年から紀元30年
の時代のイスラエルは、ローマから特別扱いを受けていた。
ローマの支配下の国々は、ローマ皇帝に膝をかがめて礼拝することを
強要されていた。個人的にはどんな宗教も自由だったが、ローマ皇帝を
神として礼拝するように命令されていた。しかしユダヤ人だけは、世界の
創造主を神と信じローマ皇帝を拝むのをがんとして拒否した。
そこでローマはユダヤ教徒だけは、ローマ皇帝を拝まなくてもよいという
特別に甘い処置を取っていた。ローマはユダヤに総督を遣わして、
統治した。税金はユダヤ人の取税人が取り立てた。だから当時の
ユダヤの取税人はユダヤ人にとって「裏切り者」であり「売国奴」であり
「ローマの犬」であった。また取税人はローマに差し出す税金以外に
いくらでもユダヤ人から税金を取っても良かった。そこで取税人は
城壁の門に立って商人や一般人からいくらでも税金を取ったのだった。
当然、ユダヤの取税人は大金持ちが多く、人々に「悪人」として嫌わ
れていた。ユダヤ教では、罪を犯すたびに神殿に身代わりに死ぬ羊や
鳩を持って行き、そこで自分の罪を清めるために羊を殺して捧げた。
羊を買えない貧乏人は鳩を捧げた。罪のための代価は命だという
教えだ。これはエジプトで捕囚にされていたとき、モーセがイスラエル
人を率いてエジプトを出たときから続く儀式で神さまがモーセに命令
された行事のひとつだ。またエジプトを出るときに、エジプトのパロ王が
なかなかイスラエル人をエジプトから出してくれなかったため、モーセは
神さまにある儀式を行うよう命令された。
イスラエルの全家族が仮の住まいを作り、旅行の用意をして、種を
入れないパンを食べ、羊を殺して、その血を門に塗るという儀式だった。
イスラエル人は今もその祭りを行っている。
「仮いおの祭り」といって、エジプトからイスラエル人が出るときに、門に
血が塗ってある家の長子は無事だったが、エジプト人の門に血が
塗っていない家ではその家の長子が死んだ。
イスラエル人の家では、羊が代わりに死んだので、その血によって、
その家の長子は死ななかった。そういう事件があって、エジプト人は
イスラエル人をエジプトから出て行かせようと決意することになった。
イスラエル人はその事を覚えるために毎年「仮いおの祭り」をする。
神さまはイスラエル人を人類の代表として選び、世界に創造主を伝える
役目を与えたが、イスラエル人は自分たちは特別に偉い人種だと
高ぶった。また、パリサイ人や律法学者たちは、宗教の指導者として
人々に敬われていたし、金回りも良かった。しかし、心の中は神さまから
遠く離れていた。自分たちは「善人であるから感謝します。」と言ったり、
神殿の前で、ローマのコインとユダヤのコインの両替をする商売人を置き、
そのレートの差で大もうけをしていた。また神殿の前で捧げ物にする羊や
鳩を売り、売り上げの一部を取って儲けていた。
神さまの意図する「罪のあがない」という意味は薄くなり、ユダヤ教という
別の宗教ができあがっていた。罪のためのあがないは、体に傷の無い
完全な羊を用意するはずだったが、神殿を商売の場所として、体に傷が
あっても関係なく売っていた。罪を悔いて、その罪のあがないの羊として
傷の無い羊を用意するという意味は失われ、神殿の前で手軽に犠牲の
羊を買って捧げるという儀式化したユダヤ教は、神さまから遠く離れた
宗教だった。
そういう時期に、イエス・キリストが現れて、商売人と化した宗教家や、
人前で見せるために道のコーナーで立って祈る偽善的な宗教家を非難
し、神さまが求めていることは、人間が罪を悔い改めて神さまに罪を
赦され天国に入ることだと教えた。多くの取税人や売春婦たちが罪を
悔い改めてイエス・キリストに従った。
また、イエス・キリストは人間の罪を赦すために、ご自分が天の神さまの
右の座から、この世に遣わされた神のひとり子であると伝えた。
ユダヤ人にとって神さまとは、名前を呼ぶのも畏れるような存在で
あったし、イエス・キリストが遠慮なく商売人と化した宗教家を非難され、
数々の奇跡を行い、人々が彼の説教を聞きに野山に集まるようになると、
宗教家たちは、殺意を抱くようになった。
イエス・キリストは普段から、「わたしは生ける神の子、キリスト
(救い主)です。わたしの言葉を信じられないなら、わたしのしている奇跡を
見て神から遣わされた者だということを信じなさい。」とはっきり宣言して
いたので、それを理由に彼を捉えた。
ローマの総督ピラトに「この者は、神を冒涜した。騒動罪で逮捕したので
十字架に付けろ。」と迫った。ピラトは冷静に「それはなんの罪にも
ならないから、ムチを打ってから釈放する。」と言うと、「処刑にしないと
あなたはローマの反逆者だとローマに報告する。」などと言ってピラトを
脅し、無理やりにイエス・キリストを十字架につけて殺すように持って
いった。
ユダヤの宗教家にとっては、イエス・キリストは新しい教えを説いて
民衆の心を掴んだ憎いライバルであったし、人間は罪から救われなけ
れば天国に行けないという考えは、ユダヤ人には受け入れる事ができ
なかった。ユダヤ人にとっては、メシヤ(救い主)は、天から華々しく
やってきて、世界を治める王さまのことであった。ユダヤ人は、いずれ
世界をメシヤと共に治めるようになるという神さまの約束がある。
神さまが人間の罪を赦すために、ひとり子を遣わし、人間の罪をあがなう
などということは、想像もできないことだった。
ユダヤ人は、昔から預言者を与えられており、メシア(救い主)の預言は
300以上もことこまかに聖書に書かれていた。
イエス・キリストは、その家系や、生まれた土地や場所、預言を全て
成就しているのだが、宗教家にとっては彼は単なるじゃまな存在であった。
自分たちの商売を非難され、人々に敬われる存在を脅かされ、ローマ
公認のユダヤ教を否定され、世界の創造主の側からこの世に人間とし
て遣わされた神のひとり子だと宣言するイエス・キリストの存在は、彼らに
とっては脅威だった。脅威でなければ殺す必要も無いだろう。
また、イエス・キリストは普段から、「わたしは、罪の身代わりに死に
ますが三日目によみがえります。」と宣言していたので、わざわざ墓に
ローマの番兵を付けて守らせている。
イエス・キリストの弟子たちは、イエス・キリストを神のひとり子と信じ
ていたので、「あなたは生ける神の子、キリストです。」と答えている。
しかし、いずれローマからイスラエルを開放し、イスラエルが独立国と
なった時に、右大臣、左大臣になるんだと考えている弟子たちもいた。
裏切り者となったユダもその一人で、何を考えていたのか知らないが
イエス・キリストを銀貨30枚で売って、彼の祈りの場所を宗教家に
教えてイエス・キリストを捕らえさせた。ユダは頭は良かったようで、弟子
たちのサイフを管理していたが、常にお金をごまかしてポケットマネーに
していた。最後の晩餐の時に、イエス・キリストに「あなたの考えている
ことを実行しなさい。」と言われて、そっと席を離れて、宗教家にイエス・キ
リストの居場所を教えたが、ユダは、イエス・キリストに誘導されたので
はなく、イエスを売ろうと考えていたのでそれを実行したのだ。
しかし、それもすべて神さまの預言のとおりに起こったできごとだった。
ユダヤ人が行っている祭りの儀式は、すべて神さまが教える救い主の型
だった。罪の身代わりは「血」が流されることが求められること。
イエス・キリストは人類の罪を取り除く、神の犠牲のこひつじだった。
ユダヤ人にはメシア(救い主)の預言がまだ与えられている。
世界の終わりのその預言が成就する前に、救い主は人類の罪のあが
ないをするために、人間としてこの世に遣わされた。そして人間の罪の
身代わりとして、十字架の上で罪の裁きを受けて死に、預言のとおりに
三日目によみがえり天に帰られた。それを見た弟子たちが、ローマ帝国の
迫害に耐えて、世界中に出て行き、神さまの福音(良い知らせ)を伝えた。
日曜日の朝によみがえられたイエス・キリストを見た500人以上の弟子
たちは、もうイエス・キリストを政治的に見ることはしなかった。
神さまは、罪がある人間を救うために、罪が無い神のひとり子を送り、
人間の罪の身代わりに裁かれたのだった。
イエス・キリストは神さまが人類のために用意された完全なこ羊だった。
死んで三日目によみがえられたイエス・キリストを信じて、日曜日の朝に
集まって神さまを礼拝する集団は「クリスチャン(キリスト者)」と呼ばれた。
聖書の預言はまだ続いている。イスラエルがちりじりになり、もう一度
集まって国を作り、世界が終わりに近づく時、ローマは復活し、独裁者が
現れる。イスラエルは神殿の再現をきかっけに、ローマの独裁者に神殿を
豚の血で汚されることになる。そして世界中の国から攻められることに
なり、エルサレムが囲まれてしまう。
その時に、救い主が華々しくオリーブ山に降りられ。オリーブ山から
エルサレムに一本の道ができる。その道を使ってイスラエル人はメシアに
会いに行く。そして、その手と足とわき腹に傷跡を見つけて泣くのだという
預言がある。神さまの遣わしたメシア(救い主)は、最初、全人類の罪を
あがないために来られ、次回はイスラエル人のために来られるという
預言だ。現在はイスラエル人は、メシアの預言を信じていないそうだ。
あんまり第二次世界大戦で辛い目にあったので、神さまに対して、不信
感を持っているらしい。神さまは、一度目はユダヤ人や異邦人の区別なく、
イエス・キリストを信じる者を救い天国に入れるために救い主を送られた
が、二度目はユダヤ人の救いのために来られる。
そういう預言があるのだ。アメリカのクリスチャンの中には、ユダヤ人は
イエス・キリストを十字架に付けたから呪われているんだと言う人もいる
が、神さまの預言では、かならずユダヤ人は救い主に救われることに
なっている。
ユダヤ人は預言者によって、救い主の預言を聖書として、世界に
伝える役目をになった選ばれた民族なのだ。だから特別に祝福される
予定になっている。また、ユダヤ人や異邦人の区別無く、神さまは、
イエス・キリストを自分の救い主と信じる者を救われる。
神さまが人間の罪を赦すためにひとり子のイエス・キリストを遣わされ
たという神さまの約束がここにある。ユダヤ人はそれを信じることが
できずに、世界の終わりに現れる救い主を待ちながら、古い儀式を
行っている。
しかし、ユダヤ人でも、異邦人でも、何人でも関係なく、神さまの前には
皆が平等であり、神さまの約束を個人的に信じる者は罪が赦され、天国に
行ける者とされるのです。