おじいちゃんたちの体験
会社の26歳の女子従業員のおじいちゃんは、80歳を過ぎている。
彼女は、昼休みは会社の近所にあるおじいちゃんの家で
昼ごはんを食べる。おじいちゃんは、最近戦争の体験談ばかりするの
だそうだ。わたしのおじいちゃんは、満州滞在組なので、軍隊の話は
しない。唯一聞いた話は「上海には、上品な女の子がいっぱいいてなあ。」
というぐらいで、引き上げた当時の苦しかったことなどあまりしゃべらない。
女は丸坊主にして男に化けていたけど、ロシア兵がむちゃくちゃをして
大変だったとか、ロシア人が日本人の時計を奪って両腕につけて喜んで
いた。時計が止まったら、ネジを巻けばいいのに、壊れたと思って
そのまま地面に叩きつけて壊すのだとかいう話を聞くと、ロシア人は
そうとう野蛮人だったのだなと思う。とにかく戦争当時の話はしない。
支那人の話はしない。思い出したくない話なのだ。
会社の女の子のおじいちゃんは最近、ずっと日本兵が支那軍の捕虜に
なって、どういう事をされて死んでいったか、話すのだそうだ。
「わたしのおじいちゃんは戦争の話をしないんよ。日本軍の捕虜は
いなかったって言うよ。全員捕虜は殺されるから、捕虜なんていな
いんだって。」と、知ったかぶりをすると、彼女は「でも、殺されるまでの
経過というものがあるでしょ。おじいちゃんは、それをしゃべるんやけど
エグイ(あまりに残虐で聞くに耐えない出来事)ですよ。見せしめ的
な殺し方をするんですよ。」
「そうなの?教えて。世界にそれを発信しなあかんから。」と言うと、
「でも、憎しみが憎しみを呼ぶから、言えません。本当にエグイんです。」と
言って教えてくれない。
「でも、日本軍だけ悪いみたいに言われているから、中国人の捕虜虐待
も世界に言わないとダメでしょう?日本兵は中国軍に捕まったら自殺
しないと、死ぬより辛い殺し方で延々といたぶられたって聞くよ。
殺してくれ~!と叫ぶほど苦しいらしいよ。指を一本、一本、切って
いくんだって。血が出ないように手足をじわじわ切って内臓も切って
取り出すらしいよ。」
「あ、それ、ヨーロッパの人も魔女狩りでやったんですよね。でも中国の
捕虜虐待は埋めるんです。」と、謎の言葉を残して会社の台所を去って
行った。教えてくれる気は無いらしい。
彼女のおじいちゃんは、80を過ぎる年になって、しきりに孫に戦争の時に
支那兵が日本兵に行った「エグイ」捕虜虐待をしてから殺すという実話
を話しているのだが、孫は冷静だ。
「おじいちゃん。日本は負けたんやから、今さらそれを言っても
誰も聞いてくれへん思うわ。わたしら、ずっと黙ってなあかんと思うわ。
ODAをあげたやんか、って言うしかないと思うわ。」と、彼女は
おじいちゃんを諭(さと)しているそうだ。
わたしだったら。「支那人だって、ひどいことをしているのに、世界の人
は、日本だけ悪いと思っているだよね~。」ぐらい一緒に語ってあげる
のに。負けたら何も言えないと、26歳の彼女は考えている。
そりゃそうかもしれないが、彼女のおじいちゃんによれば日本軍は捕虜
虐待はしなかったが支那軍に捕まったら最後、長時間かけてもだえ
苦しみながら死ぬ事になたらしい。彼女のおじいちゃんは、それを
見ていながら助けてあげることができなかったので、80歳過ぎた今ごろ
になってしきりに思い出して孫に語るワケだ。
「戦争になったら、日本軍も悪かったかもしれないけど、支那軍も鬼畜
(きちく)ですよ。」と、彼女は26歳っぽくない言葉で語った。
鬼畜(きちく)か、、、。戦争になったら、隣にいた戦友が一瞬で死ぬから
人間らしい心を持つゆとりもなくなるんだろうね。
やらねばやられるだけ。
支那で、戦争を体験したコメンテーターがテレビで語っていた。
汽車に乗っていたら、アメリカの飛行機が、汽車に向かって機銃を向け
てくるのだそうだ。バババババという音と共に、汽車に並んで乗っていた
戦友がひとり置きに倒れるただそうだ。さっきまで話していた隣の戦友
が倒れ、ひとり置いて倒れ、またひとり置いて倒れて、
あっという間に部隊が半分になったのだそうだ。
一緒に汽車に列を作って座っていた戦友が半分死んでしまったそうだ。
そういう体験をしてきたおじいちゃんたちが、もう80を過ぎていずれ
亡くなろうとしている。戦争になったら、そういう悲惨な出来事が毎日
起こるのだ。今の戦争は、使える核爆弾であっという間に人々を熱線で
焼き殺すような戦争だから、今度日本が戦争に巻き込まれたら、
先の戦争のようにはいかない。
戦争を回避し、平和に周りの凶暴な国々と共存していこうと思ったなら、
相手国の言いなりになる作戦だけでは、通じない。
言いなりになると見たら、弱いとバカにしてどんどんつけ込んでくる
性格を持っている民族相手には、強がってみることも必要だし、民間の
間の地道な友好も必要だし、相手国のトップに日本のトップが訴える
方法はもちろんある。
核を持って威嚇されたら、こちらも核を持って簡単にやられない状況を
作り出す方法も必要かもしれない。また、戦争になりそうな要素を早め
に指摘し、警告を発するという方法もあるだろうし、相手国の要人に直接
語りかけて戦争を回避する方法もある。
逆に、先の戦争のようにソ連のコミンテルンに戦争をアレンジさせられる
場合もあれば、スパイを使って相手国に入って相手国の革命組織を
助けて相手国の政権を倒す手もある。
そういう汚い手を使ってでも、戦争を回避する価値はある。スパイと
言っても、戦争を作り出すスパイと回避する平和の使者としての
スパイがいると思う。日本はそういうスパイを使う作戦は、苦手だが、支那
の共産党は、日本の政治家にもどんどん働きかけている。
支那人の美しい女スパイにやられて、一生北京に頭が上がらなかった
政治家もいる。死ぬ直前まで支那に呼び出されて、靖国神社に日本の
首相が行かないように厳命されていた。政治家は支那の情報戦に負けた
と悟ったら、直ぐに政治の舞台を降りるべきなのだ。
降りたくても降りる事が許されなかったのだろうか。最後の訪中は嫌々
だったそうだ。そういう過去の政治家の失敗やおじいちゃんたちの経験を
日本の若い人は忘れず、未来に生かして日本を守らねばならない。
これから死んでゆく戦争体験者たちの声を、直にきけない人も、彼らの
残した証言に耳を傾ける意味で戦争の記録を勉強していくべきだ。
嫌な過去も、事実起こったことなら受け入れるしかない。事実は事実
なのだ。日本軍の行動も、支那軍の行動あってのことだ。
両方の動きを調べて、どうして日本がアメリカと戦うことになったのか、
ちゃんと調べないと、同じことが繰り返された時、若い日本人は同じ
間違いを犯すかもしれない。勝てない戦争に突入し、自国の首相が
首吊りにされる事態になるかもしれない。
また、日本軍に参加し死んでしまった者は、もう自己弁護ができない。
彼らのためにも、今、生きている日本人は、その時、支那軍は何をした
のか、周りの国は何をしたのか、あるいは何をしなかったのか、
ちゃんと研究して、日本だけが悪いと言う世界に対してきちんと説明でき
なければ、日本を守るために死んでいった日本人に対して申し訳が
立たないと思う。未来の日本人のためにも、今の日本人は戦後61年間
してきたことの何がいけなかったか、何がよかったか、総括してみても
いい時期だ。間違っていたら軌道修正しよう。日本をひたすら攻め立て
る支那が間違っていたら、文句を言おう。
戦争に負けたからって、言いなりになって黙っていれば、相手の言った
ことが全て、証拠も無いのに「歴史(真実)」にすりかわってしまう。
26歳の女子従業員は、支那兵が日本の捕虜に加えた虐待の話を、あま
りにも残虐で聞くに耐えない出来事だからという理由で、
教えてくれなかった。そういう歴史の事実を戦争に負けたからって黙って
いてもいいのだろうか。真実を知りたいと願う事は戦争に負けた国の
人間には許されないことなのだろうか。歴史を学ぶとは事実を学ぶ事なの
ではないか。どうしたら戦争を回避できるのか、支那人がしたことを知らないで
できるわけがないだろう。