漢字は昔のアイコンだった。 | 日本のお姉さん

漢字は昔のアイコンだった。

日本語と中国語(19)-上野惠司(日本中国語検定協会理事長)

 はじめに笑い話をいくつか。

 街のあちこちにまだ銭湯があった頃の話。たいてい「湯」と書いた看板が出ていたり、のれんがぶらさがっていたりした。これを見た中国人留学生、「日本人は湯が好きだとは聞いていたが、これを専門に売っている店がこんなにあちこちにあるとは。それにしても男用の湯と女用の湯とはどう違うのだろう?」――「湯」は中国語ではスープの意。洗面器が味噌汁を飲むお椀に見えたかも。

 これももう見かけなくなったが、かつてはタバコ屋や酒屋で郵便切手を扱っていた。白地に青であったか青地に白であったか、記憶はおぼろげであるが、確か「切手賣捌所」と書いた札が出ていた。これを見て、「恐ろしい所だね」。「手を切って売り捌く所」なら確かに怖い。

 「マージャン」は日本では「麻雀」と書かれることが多い。街のあちこちにある「麻雀」の看板を見て、「どうしてこんなにスズメ屋ばかりあるのだろう?」。「麻雀」は中国語では「スズメ」。「マージャン」は「麻将」と書かれるのが普通である(もっとも、一部の地域では「マージャン」の意味で「麻雀」を使っているようだ。昔の小説で見かけたし、魯迅も老舎もどこかで使っていたように思う。日本語にはこちらのほうが入ったのだろう)。

 これは留学生らしき数人の中国人がバスの中でふざけあっているのを私自身が目にした話。「おっかないバスだね」「降りようか?」。彼らの視線の先には、「毎度ご乗車有難うございます」とあった。漢字だけ拾っていくと、「乗車のたびに遭難する」となる。

 極め付きは、「大日本帝国が売りに出ている!」。「本日大売出」の横長の幕を反対から読むと、「大日本売ります」となる。

 以上、私自身の実聞談を除いて、誰もがおもしろおかしくでっちあげたものかと思うが、いかにもありそうな話ではある。このての話は拾いはじめたら、それこそキリがない。

 漢字を共有しているということは、日本人にとっても中国人にとっても相手の言葉を学ぶうえで断然有利な条件であることは言うまでもないが、時にこの有利な条件が逆に作用して、思いがけない行き違いを生じさせたり悲喜劇を演じかねない。

 79、80年の2年間、一家で北京に滞在していた。メールなどという便利なものはまだなかったし、国際電話は驚くほど高かった。小学生の息子と娘の楽しみは、日本にいるふたりの祖母から来る手紙であった。滞在して間もない頃のある日、定時に服務員が部屋に届けてくれるのを待ちきれずに詰め所まで出向いていき、まだおぼつかない中国語で「手紙はありますか」とやったらしい。息子が浮かぬ顔でトイレットペーパーを抱えて戻ってきた。「手紙」は中国語で「トイレットペーパー」のことである。

 (息子の「名誉」のために付記すれば、ゼロから始めた彼の中国語は、滞在半年で職業語学教師である父親を抜いた。)(執筆者:上野惠司)

(サーチナ・中国情報局) - 10月4日

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昔々、黄河の流れが一番ゆるい場所fで、商売人があつまって

国が、できたんだって。

彼らは周りの蛮族と漢字という記号で会話をした。

みんな漢字を別の読み方をして別の文法で離していたけど、

漢字は記号だったので、別に意味が通じて商売ができたら

よかったんだって。文法なんか関係ない。読み方もどうでもいい。

だから漢字は、商売のための記号として周りの国の商売人

たちに広まった。周りの国が漢字で自分の国の歴史を

書いたからって、漢字を自分たちの言葉の「当て字」として

使っただけであって、黄河の近くの国の子分になっていたわけでは

ない。昔は、黄河の近くの国は、朝礼に来るように旅費まで払って

くれたんだって。日本に来ていた黄河の近くの商売人も

日本の人に「これを持って朝礼にいきなさいよ。」と言って

旅行をアレンジしたんだって。

そうこうしている内に、その国が滅びてしまったので、結構たくさんの

知識人が戦乱を嫌って日本に逃げてきたそうだ。

朝鮮半島が危なくなった時、日本の天皇は、日本を守るために

日本にいるいろんな国の人々を含めた国を作る必要があった。

天皇がもともといて、外の国から日本を守るために法律を作った。


だから日本には昔の黄河の近くの国の文化のエッセンスが

なんとなく保存されているのではないかな。朝鮮半島人の宗教の

影響もあったと思う。

いろんな民族が日本に逃げてきたときに日本は温かく彼らを

迎え入れた。日本人にはポリネシア人の影響もあるらしい。

いろんな人種がミックスして今の日本人がある。

当て字として使っていた漢字をひらがなやカタカナにしたのは

日本人らしい。近代では、日本人が作った漢字が支那人に輸入

されて新しい言葉になった。近代社会で必要な言葉は全て

日本製だ。

余談だが、いろんなマークを作るのは日本人は得意らしい。

東京オリンピックで使われた競技を識別するマークは世界が

その後日本のマネをしたらしい。

北京オリンピックでも、いろんなマークが使われるのだろう。