敬老の日のお祝い会
教会の敬老のお祝い会に何か手伝うことあるかなと思って参加して
みたら、以前婦人会だった人たちが何人も敬老を祝ってもらう側に
なっていて、ちょっとびっくりした。まだ若いのにおばあちゃまになって
いるんだ。みんな子供が大きくなって孫が生まれている。お祝い会の最後
には、孫たちがおばあちゃんやおじいちゃんにプレゼントを渡しに行く
のだが、みんな嬉しそうでほほえましくなった。
友達はみんな結婚して子供ができているが、わたしだけ全然
変化もなく相変わらず独身だ。人間として成長しているのかどうかも
疑問だが、もともとわたしが誇れるところは、神さまを信じているところ
だけ。無事に順調に年を取っているということは、神さまに感謝しなけ
ればならない。それだけ長生きできているということは、何か神さまの
お役に立てることがまだあるということだろう。
世の中、戦争や飢餓や何かで、ご飯も食べられない場所があるのに、
日本に生まれたおかげで楽しく平和に過ごすことができている。
日本人に生まれたということも何か意味があるのだろう。
わたしのおじいちゃんたちは、なぜか二人とも戦争とは関係なくて
兵隊には取られていない。戦争を経験した人々はどんどんお亡くなり
になっている。戦争当時に大人であったり、軍隊の上官だった人々は
全員消えていってしまっている。生き残っているのは戦争当時に若くて
軍隊で上官たちに殴られていた少年兵たちだ。
広島、長崎で原爆を落とされたときに生き残った人々もどんどん年を
取ってお亡くなりになっている。戦争の記憶を持つ人々が、どんどん
日本からいなくなっている。そういうときに、朝鮮や支那が日本の戦争の
責任を取らされてアメリカ軍に絞首刑にされた人々のことを持ち出して
「日本の首相が戦犯を拝むのは間違っている。」と言っても、ぴんと
こない。逆に「一度、死んだ人間にまだムチを加えたいのか。」という
怒りの気持ちが沸いてくる。
死んだ人間は皆、同じ霊で、霊の世界ではみな平等というのが日本の
感覚だし、アメリカに殺された彼らは、日本の代表として彼らの怒りを
素直に背負って死んだのだがら、もう終わった話ではないかと思う。
ところが、特定アジアの外国人らは、日本という民族の感覚など
理解しない。彼らは、日本人が彼らの感覚に合わせて、日本の代表
を憎み、軽蔑し、死後もムチ打って排斥しなければならないと本気で
考えている。
一般人らは、何をしても良いが、日本の代表である首相は、
日本の代表として絞首刑にされた日本人を参拝してはならないの
だそうだ。「戦犯」だからだそうだ。
日本人の代表として戦争の責任を押しつけられた人々は、アメリカ人
によって絞首刑にされた。それだけでは終わらず、日本人の代表で
ある首相は彼らを拝んではならないということは、日本は戦勝国の
考えに永遠に従えということと同じではないか。
日本人の宗教観や死後感を全く理解していないのが外国人だし、
一部のアメリカ人の脳内では、戦争はまだ終わってはいないようだ。
あるアメリカの議員たちの集まりで、議会の最後に議長席にいる
人間が立ち上がり「とにかくこれだけは言いたい。日本人は戦犯を
拝んではならない。」と言っていた。
今日、どこかのテレビで観た光景だった。そのアメリカ人は、年寄りだった。
戦争はまだ終わっていないと思った。
あくまでもアメリカは勝利者として、日本の昔の代表を戦犯のままに
おいておきたいようだ。アメリカは広島、長崎に原爆を落として、罪も無
い一般人を大量に無差別に殺しておきながら、いっさい反省もしない。
そして原爆を落としたときに使った飛行機を今も博物館
に展示し、あの時原爆を落とさなかったらアメリカ兵がたくさん死んで
いたからあれで良いのだと言っている国。それがアメリカだ。
アメリカの年寄りには戦友を日本軍に殺されたり、日本に捕虜にされて
食事の不足で栄養失調になったり、他の捕虜が死んでいくのを見て
いた人々がいる。日本人も少量が足らなくて困っていたのだが、アメリ
カ人の捕虜にとっては、食事が足りなかったことしか記憶にない。
ごぼうの料理を与えられ「根っこを食わされた。」と怒っていていた捕虜も
いたらしい。戦後、誤解は解けたようだが、そんな人たちは、きっと今
でも日本を憎んでいるのだと思う。
広島、長崎の生き残りの人々は、アメリカに対する怒りを持つと
いうより、悲しいのだと思う。人間はあまりひどいことが起こると、憎しみ
を持つより、まず悲しくて無気力になるのだと思う。
憎しみの思いは心にゆとりができてから沸いてくるのだと思う。
日本は徹底的にやられた。新聞やラジオで満州でつぎつぎに起こる
支那人の暴動や日本人に対する殺傷事件の報道を聞いて、怒りを覚え、
日本軍が満州を支那から切り離し、独立させるのを良い事だと思った
人々も、突然の日本のアメリカ攻撃のニュースを聞いて暗い気持ちに
なったそうだ。
新聞やラジオでは、「日本軍は今日も勝った。」と知らされていても、
本土がアメリカ軍に攻撃されるようになると、みんながうすうす
日本が負けているという事実に気が付くようになったそうだ。
アメリカ軍が焼夷弾を落として街を攻撃するので、子供達は田舎に
疎開させられた。息子たちが戦争にとられ、しまいには近所の魚屋
さんや八百屋さんのおじさんたちが招へいされ、学生達が特攻
隊員として出かけて行くようになる頃には、日本はかなり貧しくて
毎日の食べるものにも困るようになっていた。
そして広島、長崎に新型爆弾が落とされたらしいという話しが広がり、
しばらくして、天皇陛下の停戦のお知らせがラジオから流れたのだ
そうだ。(全部本で読んだ話だが、、、。)
それからというもの、日本人はがらっと変わった。
教科書には墨を塗り、天皇陛下は人間ということになった。
新聞に天皇陛下と体の大きなマッカーサーが同時に写っている写真が
載った。マッカーサーの態度が横柄に見えて、天皇が小さく見えて
日本人にはショックだったそうだ。
敗戦後に餓死した人は、戦争中に死んだ人数より多かったそうだ。
日本人は自信喪失していたので、マッカーサーのすることを全てありが
たく受け入れた。戦争で酷い目にあったのは、軍部が独走したから
だった。独走していても一般人には何も知らされていなかったし、国民は
日本軍を支持した。そういう時代だったからだ。
しかし国民が何も知らない内に、日本はアメリカと戦うことになってしま
い、ひどく苦しめられたものだから、日本人は、自分を酷い目にあわ
せた軍部を憎んだ。
戦争に兵隊として参加して生き残った日本人は、今でも日本軍のトップが
大嫌いなのだそうだ。
戦争の後で生まれた日本人は、特に日本軍のトップに恨みなど無く、
当時の状況を考えれば、日本は避けようとしても戦争を避けられな
かったのだろうと思っているし、いろいろ検証してみても、現実的に過去は
変えられない。過去は過去だ。日本はアメリカに負けたのだ。
それでも、アメリカの態度が良かったので、日本人はアメリカが好きに
なった。アメリカが日本にいる限り、日本人は自衛隊でお茶を濁して
いればよい。お気楽な気持ちで日本人は日本を立て直した。
いい気になっていたらバブルがはじけた。アメリカの言うとおりにして
いたら、1ドル360円を1ドル110円ぐらいにしてやったおかげで金余り
状態。調子に乗っていたら結局は濡れ手に泡はアメリカ人で、日本人は
泡が消えたら超貧乏。大量リストラで自殺者がでるしまつ。
それでもアメリカに尻をたたかれながら不良債権の始末や、増えすぎた
官僚の犯した不始末の尻ぬぐいをしていたら、いきなり韓国や支那が
教科書や従軍した売春婦(親が売春婦として売った女性たち)や靖国
神社につっ込みを入れてきた。それでも日本人は我慢した。
しかし、支那がスポーツの試合を政治の舞台にしてデモをしだしたころ
から、日本人は気を悪くしだした。
支那が思うよりずっと日本人は怒っていた。支那はそれに気が付か
なかったのか、日本の常任理事国入りを阻止すべく、自国民をあおって
デモをやり始める。デモという自己表現の場所は日頃共産党に押さえら
れている支那人にとっては、格好のうっぴんばらしの場所だった。
支那人は、暴徒と化して、日本人と世界をあきれさせた。
日本人は始めて、過去を振り返るようになった。
本当に日本だけが悪いのか?
自分の国の過去を振り返らず、支那の示す怒りをそのまま鵜呑みにして
支那人の気持ちを考えてやれという日本人もいる。
しかし、原爆を落としたアメリカ人には、「戦犯を拝むのは許されない。」
とは言われたくない。言われたくないが、もしアメリカが日本の宗教を
禁止するなら、日本はアメリカの言うことを聞くだろう。聞くだろうが、
多くの日本人はアメリカを憎むと思う。憎むあまりにロシアや支那に
接近し出すのではないかと、ちょっと心配になる。
アメリカを嫌って日本が支那と結託するようになったら、アメリカにとって
日本は敵になる。キッシンジャーも日本がアメリカを無視して支那と
仲良くするなら、アメリカは必ず報復すると吠えたことがあるらしい。
日本は、アメリカと支那とロシアを手玉にかけて、重要な位置に立たね
ばならない。日本にミサイルを向ける支那は敵だ。支那は、日本と台湾だ
けは軍事演習の見学に呼ばない。支那は日本を敵と考えている。
そんな支那に対抗するために、アメリカとロシアを手玉に取らねばなら
ない。日本人は今までのようにのほほんとしていてはいけけない。
日本の過去を勉強して、本当に周りの国の言うことが正しく日本だけが
悪いのか、検証しなければならない。
年寄りは、なぜ偉いのだろうか。それは、若い人より経験していることが
多いからだ。戦争や事件や病気や事故からサバイバルして、今日
生きているから偉いのだ。今日、彼らは生きている。それだけで偉い
のだ。彼らは強くたくましく神さまに長い命を与えられた個体なのだ。
若い自分が、将来彼らと同じだけ生きていられか、誰が分かるというのだ。
日本には、いろんな過去があった。いろんな日本人が生きた。
いろんな日本人が生きて死んだ。その上にわたしたちが立っている。
だから、もう死んでしまって自己を弁解できない彼らのためにも、日本
の過去を調べて、明日に生かすのが大切なのだと思う。
年寄りの考え方や思想は参考にはならないが、彼らの代表が判断して
アメリカと戦争になった。それは事実だ。だから当時の状況と彼らの
精神を理解しなければならない。
年寄りを歴史の証人として敬おう。優秀な生き残りとして敬おう。
そして学ぶべき過去を彼らから学び、こんどは失敗しないで
日本を発展させていこう。日本民族が賢く、日本を運営していけば、きっと
世界は日本を大切にする。ビジョンも何もなく意味もなく支那を援助した
結果、世界が支那ばかりに注目するようになった。支那は日本の首相の
頭を押さえて靖国神社に行かせないでおくのが当たり前になっており、
言うことをきかない小泉首相に大変うるさかった。それを見て日本人は
共産党のいやらしさを実感した。
そういう愚かな過去の失敗から学んで、未来に生かしていこう。
軌道修正をするのは、今の日本人だ。今の日本人がどう動くかで
未来の日本が決まるのだ。
というわけで、賢く生きるためにわたしも最近本を読むようになった。
でもひとつだけ、気になることがある。西洋人やアメリカ人はアジア人
を心の底ではバカにしているのではないかなということだ。
内戦ばかりして、一向に発展しないアフリカと同じように、極東アジアが
いがみ合っているように見えているのではないか。
日本と支那は仲が悪いように見えて、実は金儲けは一緒にバリバリ
やっているのだ。本当は、アメリカは日本が無計画に共産党の支那を
応援するのを安心して見ているわけではない。
日本と支那が適当にいがみあっているのがいいと思っているのでない
か。アメリカの国債を買い続ける日本と支那の金で経済のバランスを
取っているアメリカは、すでに日本と支那無しにはやっていけない状
態だ。アメリカの右腕と左腕の日本と支那が戦争になると一番困るのは、
アメリカなのではないか。アメリカは支那に日本を突かないように、意見
しなければならない。アメリカは、それぐらいの賢さは持っているはずだ。
2006年の日本人は、微妙な時代に生きているということだね。
微妙な時代の微妙な年齢の日本のお姉さんは、今日も元気にしている。
まずは、それを神さまに感謝して明日も元気に会社に行こうと思う。
支那が日本に敵対心を露わにした2004年まで、のんきに過ごしていた
ので日本人は民族として弱くなっていたのではないかな。
これからの日本人は、いままでとはちょっと違う。
北朝鮮のテポドンとノドンと支那のガス田と戦艦と調査船と潜水艦とデモで
日本人は現実に目を向けるようになった。それは良いことだよ!