リチャード・ギアが「チベットを救う 国際運動」会長として演説
「チベットを軍事化し、漢族の恒久支配をねらう侵略鉄道」
=青蔵鉄道
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成18年(2006年)8月9日(水曜日)
通巻第1536号
ためしに某大手新聞の検索エンジンで「リチャード・ギア」と入れて
みた。 映画俳優。シャルウィダンス、シカゴほかの映画作品がおび
ただしく登場するが、かれがチベット独立のために立ち上がっている
事実を報道した日本のメディアが殆どない。
7月1日に開通した青蔵鉄道は「第一にチベットの軍事化、第二に
資源奪取、第三は漢族への同化にあり、青蔵鉄道はチベット人民の
ために役立つものではない」と直前の国際大会で北京を糾弾する演説
をギアが世界に向けて、行っていたことが判った
〔『自由時報』、8月4日付け〕。
同文趣旨の投書は“リチャード・ギア(「チベットを救う国際運動」会長)
”として、ヘラルド・トリビューン紙などに掲載されていた。
寡聞にして、日本の大手メディアがこれを扱ったという話を聞かない。
香港紙などは、青蔵鉄道を「チベット侵略鉄道」と別名している。
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(読者の声1)前々回の華人イタリア流入のレポートの裏付けのための資料を探していて、書棚にほとんど忘れていた一冊を見つけました。
『海外華人百科全書』(潘■(令に羽)主編、三■(連の正字)書店(香港)出版、1998)がそれです。
灯台もと暗し。必要な情報がほとんど記載されていました。
以下、該書より必要と思われる箇所を、次の二点に分けて抄訳紹介させて下さい。
1)イタリアにおける華人移民状況。
2)主な移民供給源である温州について。
1)イタリアにおける華人移民状況について、コロラド大学博士課程研究生(当時)黄小■(草かんむりに沙)執筆分の抄訳です。カッコ内は訳者のコメント。
20世紀に三次の華人移民潮あり。
第一次)1920/‐30年代―1972年。フランスよりミラノへ40人から50人、ほとんどが留学生、外交官、商人。60年代末には600人から700人、皮革業、餐館に従事。
第二次)1972年―1985年。8000人から9000人、フィレンツエ、ボローニャ、ローマへ拡大。皮革業、餐館に従事。 (以上、数字のみ、問題は以下の第三次なのでやや詳しく)
第三次)1986年より現在。
ほかの欧州華人社会と異なり、近来イタリアにおける華人移民は 浙江の貧窮した山岳地帯からではなく、豊かな温州平原からのものである。
ほとんどが正規の手続きを経ず、船による密航である。
以下の四つの要素が、不法移民の増長を促した。
(1)1986年の保障令( Act of Indemnity )すでに入境した不法移民の合法化の承認。更には、家族呼び寄せの権利を付与。
(2)1990年、政府はさらに上記権利に基付き、家族同居を理由とする不法移民を合法化する。この情報が伝わるや、フランス、イギリス、オランダの不法移民が陸続とイタリアへと流入し、上記の保障令により全て合法移民となる。
(3)前後するが著者の文脈を尊重、1985年、経済協力、投資及び貿易環境を創り出すため伊中協議( Italian/China Treaty )が締結。
(当時イタリアのいかなる事情が斯くの如き政令を成さしめたるものか知らず、トンでもない政令ができたものです。いわば犯罪者の権利を「保障」するわけです。著者は以上三点を列挙したのみで、第四点を挙げていません。あるいは編集者による削除か。
以下、資料によると、1986年以前、華人人口1500人。86年以後、9880人。1990年以降、19237人。93年末、22875人の合法華人が在住。
92年、合法華人移民の63%が男、25歳から44歳までが65%。(若い男に偏る、台湾への移民を髣髴させる「有唐山公、無唐山婆」)
(中略)華人移民の正確な数字はわからず、フィレンツエ地区だけの不法滞在華人に限っても、25000人と見られる(つまり、公式統計の合法滞在者全部とほぼ同じ不法入国者数がフィレンツエ地区だけですでにあり。) お役所筋では、これら不法移民は密航組織の手配によるもの、またその支部はアメリカ、スペイン、オランダ、ドイツ及びフランスにあると見ている。200店以上の餐館、600以上の皮革工場がミラノにあり、密航組織の活動中心である。若干の報告によると、不法移民はまず上海からモスクワに行き、フランス、ユーゴスラビア、アルバニアに移った後、ミラノ、フィレンツエ、プラートに潜入する。
警察関係では、プーリア(アルバニアの対岸)のイタリア犯罪集団が密航組織と結託していると見ている。
2)主な移民供給源である温州について。Marlowe Hood(フランス『Liberation』紙)執筆(フランス語からの中訳か?)からの抄訳です。
「(前略) 温州は周囲を山に囲まれ、文化経済的に孤立状態にあり、温州語は呉語系統に属するが、自ずと一家を成し、その他の呉語を話す人々の理解するものではない。
(以下、いわゆる「温州モデル」といわれた経済改革中での温州の発展と国内移住、例として北京の「浙江村」についての記述など、全て略) 内部発表の公式統計によると、1995年末までに約24万人の温州人、6万人の青田人(温州の内陸地、青田石の産地として有名。この地に関する記述あるも、広い意味での温州と見なし、別途訳出せず)が海外へ流出居住する。この数字は、政府発行のパスポートと出国ヴィザに基付く。
ゆえに、実際の数字はこれを上回るものと見られる。
約75%から80%の海外居住者は西欧、特にフランス、イタリア、オランダに集中している。
(以下、19世紀から文革時に至る移民の歴史の記述、全て略) 80年代中期から末期に至り、欧州同盟各国は、深刻な失業問題に直面し、外国人労働者の入国を拒絶し始めたものの、移民の連鎖的激増を制止できず、近年来の(移民潮の)高峰にいたった。
(後略) 以上は、すでに十年近く前の状況及び資料、統計数字です。
先生あるいは読者の方で、『海外華人百科全書』最新版、あるいは他の資料をお持ちでしたら、是非訂正ご教示くださるようお願いいたします。
現在、日本への華人合法入国居住者は40万人、不法入国者を含めれば100万人とするレポートを見た覚えがありますが、実際は如何?イタリアは対岸の火事と安心できませんね。
(マルコ、在ドイツ)
(宮崎正弘のコメント)さるにても凄まじき中味のレポートですね。六年前にローマへ行ったおり、日本料亭が減っているのに街の辻々に中華料理レストランがあって、異様に増えていた実態に驚いたことがあります。
温州人については拙著『出身地でわかる中国人』(PHP新書)のなかでも特別に一章を割いて論じたのですが、言葉の問題でも、中越戦争のときにだれにもわからない温州語を逆に活用し、人民解放軍はかれらを「ナボホ」インディアンのごとく通信兵に使いました。
この温州閥の地下資金が中国に還流して株と不動産に向かっています。
<宮崎正弘の新刊>
『中国人を黙らせる50の方法』(ああ言われたら、こうやり返そう)
徳間書店刊。定価1680円
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<宮崎正弘のロングセラーズ>
『出身地でわかる中国人』(PHP新書、861円)
『朝鮮半島、台湾海峡のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房、1575円)
『中国よ、“反日”ありがとう』(清流出版、1470円)
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