アイヌの話 | 日本のお姉さん

アイヌの話

北海道「開拓」の進行にともなってアイヌの生活基盤が破壊され、その窮乏実態がジャーナリズムなどを通じて知られるようになって、アイヌに対する「保護」「救済」を積極的に行なうべしとする議論が高まり、「旧土人保護法」の成立を後押しするようになる。だがこの頃にあっても、進化論的に「敗者」とされたアイヌを「保護」することを無用とし、「自然」の「滅亡」に任せるべきとする論者も少なからず存在していた。(14)
 これに対して、「保護」の必要性を説く者たちが目指したのは、次のような内容である。

今ヤ斯ノ如キノ悲境ニ沈淪セルヲ目撃シテ之ヲ顧サルハ亦忍フ可キニ非サルナリ即チ之カ救済ノ方法ヲ設ケ其災厄を除キ其窮乏ヲ恤ミ以テ之ヲシテ適当ノ産業ニ依リ其生ヲ保チ其家ヲ成スヲ得セシムルハ洵ニ国家ノ義務ニシテ一視同仁ノ叡旨ニ副フ所以ナリト信ス(前出「旧土人保護法案理由書」)

 アイヌを放置することなく「人道」(=「一視同仁ノ叡旨」)に基づいて「救済」することは国家にとって「義務」である、という視点である。こうした「人道」は、放置された「自然ノ利沢」を「開拓」することと同様に、それ自体が「文明化」の過程に位置付けられる。その一方で、その対象となるアイヌの側も、「適当ノ産業」によって「進歩」していく可能性を持った存在として想定されるのである。それゆえにこそ、「保護」は施策として有効であることになる。
 もとより、保護法の施行後も、アイヌ民族が「滅亡」に瀕しつつあるという視座が消滅したわけではない。北海道庁によって一九一七(大正六)年から約一年かけて行われた実態調査では、「旧土人は本来骨格強剛にして体質も亦優良」であったが、和人の移住増加に従って「黴毒及肺結核等の侵入」を招いた結果、「薄弱なる素質を遺伝し」て「体質劣悪に赴きつゝあり」、それが「種族の蕃殖発展を阻害しつゝ」あるとしている。(15) この調査結果に基づき、アイヌ民族に対する特別の医療対策を講じることが「旧土人保護上正に喫緊の事業」であるとの認識から、一九一九(大正八)年に保護法の一部改訂(救療救助の適用範囲拡大)が行なわれている。
 同化主義の視点に依る限り、アイヌの生は「国民」のそれとして保たれねばならない。そのあとに残る問題は、もはや彼らの「生」そのものの「滅亡」すなわち生物学的な死滅ではなく、「政治上の亡滅」つまり民族の固有性の「滅亡」であるということになる。現実の植民地主義と「同化」政策の進展にともない、雑婚による混血が進み、一方で生活局面からの伝統的文化要素の後退が顕著となることで、アイヌの持つ民族的差異は次第に「不可視」なものになっていく、少なくともそうした方向をたどるものとして想定された。もちろん、現実の政策対象としてのアイヌが依然存在する以上、民族的差異の存在そのものが認識から抹消されるわけではない。ただそれは、可視の次元から消去されるべき差異として政治的に「隠蔽」されてゆくに過ぎない。 http://homepage2.nifty.com/tkina/ac/20010525.html

アイヌの人の話は左よりの人や、同和の人たちによって、

日本を悪く言う人々に利用されている。

アイヌの人が昔どんな風に土地を盗られたのだろうか。

森の中に住んで結核などの恐い病気から隔離されていたのに、

和人が入植して持ち込んだ細菌に犯されて死んでいったと書いてある。