昭和2年の雑誌『拓殖文化』から。 | 日本のお姉さん

昭和2年の雑誌『拓殖文化』から。

欧洲大戦後アジアに起つた一つの大きな運動は民族解放である。エジプトの独立運動、トルコの復活、ペルシャ、アフガンの改革、インドの独立運動等皆それである。支那も亦その例に漏れず、数年前から解放運動が盛んに行われることになった。殊に孫文の率いる國民党は、その標語として、軍閥の打破と国家の解放とを掲げている。
その國民党が北伐の成功に伴って、殆んど南北支那を支配するに至ったため、解放の運動は更に一層の進捗を見せた。列國も原則としては支那の独立自由を認め、また不平等條約の撤廃にも賛成している次第であるから、支那の解.放が行はれ、完金なる独立と自由とを恢復することもあまり遠くないと思う。

ただ今日支那解放の最大障碍は外部に存在するに非ずして、かえって支那自身にある。即ち不統一混乱がそれである。例えば治外法権の撤廃にしても、かの不秩序無警察状態と、法律の保護、正式の裁判所及監獄の不備を以てしては、治外法権を捨てたくても捨てられない状況にある。

日本がアジアで最も早くこうした桎梏を脱し得たのは、日本が官民協力して国内の整備に努めたからである。この点では支那は大に日本に学ばなければならぬ。

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支那の産業が大発展を遂げた場合、支那がいかなる経済的の行き方をするかは、太平洋全般に大きな影響を与えるものである。国民の方針はもちろん三民主義中の民生主義によって行われることと思うが、それによれば、一の国家社会主義党である。主要生産機関の国家管理を断行し、國際貿易についても国家がある程度の統制を加えんとするものである。
(中略)
しかし支那の社会経済の組織から見ても、国民性から見ても、国家資本主義や国家社会主義が支那で成功しようとは思われない。支那は自由主義の経済組織を採って進むことに自然落ち着くだろう。
第三は漢民族の発展と太平洋の将来である。
漢民族は現在すでに四億の人口を有しているが、その増殖率は極めて著しいのにかかわらず、近年増加を見ないのは、支那における産業の不振から来ている。年々繰り返されている天災と戦争、産業の未開発は人民の道を塞ぎ、一度飢饉に見舞わるれば数十万に人民は流浪して餓死するもの数知れず、水害一度至ればたちまち数十県を浸して年を越うることが珍しくない。戦争の結果は全国の民生を安んぜず、かくて産業興らず農業廃れ、無職の徒は天下に溢れている。彼らは雇われて兵となり、流れては土匪に堕し、或いは.乞食の群に入って支那騒乱の因をなしている。支那の人口が増加し得ない原因はそこにある。

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国内では五族共和の支那は漢民族の支那に変りつつある。
漢民族は他民族から力を以て征服されたが、今では逆に経済力を以て他を征服しつつある。

第一は満洲だ。
今日の満洲は満人の満洲でなくて漢人の満洲である。満洲にある満人二百萬人に対して漢人二千萬人、凡ての政治産業の機關は漢人に握られているではないか
したがって満洲は最早民族自決による満人の満洲を造ることは出来ない。満人が支那を支配すること三百年、彼等は四億の漢人を統治するために満民族の全精カを傾けた。

その間に漢人種はじりじりと満民族の故土を侵しつつあったのである。満人が漢民族統治の夢から醒めて帰った時には、自分の古巣には漢人が居座っていた。丁度放蕩息子が女に迷うて夢が醒めた時には、家も田地も入手に渡つていたと同じ結果であった。

かくて五族共和は四族共和になったが、漢人の蒙古人に対する侵略もまた浸々として進んで行った。内蒙古は京綏鉄道の敷設と共に漢人種に侵略され、蒙古人は至るところで漢人種の圧迫を受けながら之に抵抗して民族戦を試みつつある。漢人種が外蒙古に侵入し得ないのは、外蒙古がロシヤ人の手中にあって、漢人種の侵入を防止しているからである。もしこの障壁が撤廃さるれば、漢人の商人隊は続々として外蒙に雪崩れ込むだろう。

回教徒も又同じことで、今日でもすでに回教徒と漢民族の混淆はかなり行われているが、将来鉄道で新疆の辺境まで引き伸ばされた場合には、漢民族は忽ちにして殺到し、回族の新疆は漢民族の新疆と化すであろう。今日でも新疆はすでに漢民族によって統治されている。

次は西蔵(チベット)であるが、これも英国勢力が及んだり、交通が不便であったために漢民族の侵入は行われていないが、将来支那が統一されて強大な国家となり、鉄道でも敷設された場合には、漢民族の西蔵侵入はやはり行われるだろうと思う。かくて五族共和は表面だけで、漢民族専制の共和政治が行われ、五族を現す民国旗が青天白日旗に変わりつつあるように、支那も漢民族の支那に変わりつつある。

以上述べたような国内的発展と同様に海外に向かっても発展している。満洲方面に発展した漢人はさらに北進してシベリヤに進み、着々として成功しつつあるではないか。また南方支那の漢人種は安南シャムから海峡植民地一帯、さらに南洋諸島にかけて移住しほとんど土地の経済的実権を握っている。支那人全部が罷業すれば、一週間にして島民は飢餓に陥るといわれているところである
Posted by 昭和二年七月(『拓殖文化』二八号 at 2006年09月05日 21:41