消えた満州人―支那の陰謀
支那の言い伝えに「ひとつの民族を消したかったらその歴史を消せ」と
いうのがあるそうだ――――。
話は日露戦争の前になるが、ロシアという国は昔から満州や朝鮮半島
に食指を動かし常に支配下におこうと狙っていた――――。
日本が清国と戦って、清国から朝鮮を独立させたとき、当時は戦争に
負けたら、負けた国は必ず勝った国に領土を割譲することになっていた
ので、日本も清国から領土を割譲してもらうことになった。
1898年(明治28年)、日清戦争の講和条約である下関条約で、日本
は清国から遼東半島(今の遼寧省)、台湾、澎湖諸島を永久割譲される
ことになった。
ところが、ロシア、フランス、ドイツの三国が干渉してきて、日本は遼東
半島を受け取ってはならないと言いがかりをつけ、艦隊をくりだしてきた。
ロシアはウラジオストックに5万の軍隊を集結させた。
日本はしかたなく遼東半島を諦めた。
それ以降、ロシアやドイツ、フランスは次々と清国に利権を求めて入り
込み、鉄道の敷設権やら鉱山発掘権やらを得て、あちこちの港も
租借しだした。
三国干渉の3年後には、ロシアはちゃっかりと旅順と大連を租借し手に
入れてしまった。
ロシアはそれまで、朝鮮王朝にちょっかいを出していた。朝鮮はせっかく
清国の属国から独立できたのに、今度はロシアを頼って日本を敵対視す
るようになった。ロシアは、満州を租借すると一旦は朝鮮から手を引いた
が、1900年になってまた朝鮮半島に踏み込んできた。
義和団という支那の武術家集団が、1899年(明治32年)に山東省で
蜂起し、1900年6月(明治33年)には、北京で公使館のある区域が
義和団に占拠された。
その時、公使館にいた25人の日本軍人がよく戦ったので、その時たま
たま一番年上だったので隊長になったイギリス軍人が日本を高く評価
した。
ーーーそれが、日英同盟の結ばれる端緒となった。
北京の公使館を助けるために遣わされた列強の連合軍は北京に入って
篭城していた公使館の人間を助けたのだけれど、しばらくして引き上げた。
が、ロシア軍はちっとも戦わず戦死者ゼロだったのだが、そのまま満州
に居座ってしまった。すでに遼東半島にはロシアの艦隊が、軍港と
なった旅順にいる。
日本としては、ロシアは脅威だった。1902年、日英同盟が締結され
たけれどもロシアは朝鮮に南下しようとした。
日本は最終提案をロシアに示したが、3週間待っても何の回答もない
ので、1904年(明治37年)、ロシアに国交断絶を伝え、3日後にロシア
艦隊を攻撃した。
この時イギリスの世論は、日本に好意的だったそうだ。当時の日本に
いるイギリス人は、イギリスは日本に代理戦争をやらせていると言った
そうだ。イギリスは日本がロシアと戦うことに賛成していたのだ。
アメリカや西洋各国は、貧しい朝鮮半島を発展させるため日本が朝鮮
を併合するのがよろしいと言った。
朝鮮の最大の党も日本と合邦したがっていた。それでも日本は乗り気で
はなかったのだが、朝鮮人テロリストに併合に反対していた伊藤博文が
暗殺されたため、反対する中心人物がいなくなって、朝鮮は日本に
併合されることになった。
そして日露戦争で日本が勝ったので、日本はロシアから満州をとり返し、
清国に返してあげた。清国は喜んで、それ以来科挙の制度を止めて
日本に留学生をどんどん送り込んでくるようになった。
留学生が帰国したら、科挙でいえばこれぐらいの地位だろうという基準で
彼らを公職に迎えた。
日本は満州に利権を得て、鉄道を敷設し、産業を興し、繁栄の基礎を
全て日本から持ち出した資金で築き、関東軍によって治安を保ちなが
ら平和裡に繁栄させていった。
日露戦争後、日本が利権を得た満州は、日本主導の下に発展して
いった。
辛亥革命以降、支那ではいくつも革命政権が交代し、また、地方ごとに
軍閥が割拠して休みなく争乱が繰り返されていた。
清は、自分たちの故郷である満州に支那人が移住することを永い間許
さなかったし、支那人も万里の長城の向うは支那ではないと知っていた
が、清末になってその規制が緩められたため、争乱が続く支那を嫌って
続々と支那人は満州に移住しだした。
1911年の辛亥革命の頃に1800万だった満州の人口は、1931年の
満州事変の時には3000万人にもなっていた。
日本は、満州人の国として満州を管理しているつもりだったし、満州人も
独立したがっていた。
みんなが満州を支那軍閥から解放させたがっていた。支那人に暴行を
受けたり殺されていた当時の日本人も、満州の治安を維持するために
は満州の支那軍閥を追い出すしかないと考えて軍を支持していた。
支那は満州の利権を奪おうと日本人の土地取得妨害や排日教育を
行った。学校で排日教育、軍隊で排日宣伝を行った。排日唱歌、
排日軍歌、排日スローガンを町や村に浸透させ、排日教材には
「日本は侵略を好む民族」だとか「支那の領土である朝鮮、琉球を
奪った」というウソを堂々と書いていた。
支那人は日本人を襲撃するようになり、昭和2年31件、3年37件、
4年77件、5年95件など、在満州朝鮮族日本人殺害事件やテロを
加えると、合計300件もの凶悪事件が次々と発生した。
昭和6年には、日本の軍人が攫われ、秘密裏に殺害される事件も
起きた。支那政府はウソをつき続け、「日本人のゴロツキが日本の軍人
を殺した」と宣伝した。
9月18日に至って、支那はようやく日本軍人の殺害事実を認めた。
これがきっかけで、この夜に柳条構事件が起こった。日本の一軍人が
マッチの火をすったのだ。満鉄線路を爆破し、日本軍(関東軍)がそれ
を理由に支那軍を攻撃した。
1932年(昭和7年)に満州国が誕生したが、満州人は遼寧省、吉林省、
東省特別区、熱河省、[さんずい+兆]南でそれぞれ独立を宣言した。
満州人も支那や支那軍閥には辟易していたのだ――――。
支那は、清朝の故郷満州も支那の領土だと主張した。支那は国際連盟
に訴え、イギリスのリットン卿を団長とする調査団が派遣されたが、
満州は、日露戦争でロシアからとり返した日本が、清国に返してあげた
という特殊な場所であり、日本はその代償として南満州鉄道と遼東半島
の租借権を得ただけなのである。リットン卿も「日本は満州を侵略したと
は言えない。」と語っている。
当時は、西洋諸国も租借地を持っていたので、日本が支那を侵略して
いるという観念はなかったのだ。
リットンは「満州を支那の一部として、支那の自治州にしてはどうか」と
いう案を出したが、満州は満州族の国である。
満州人は支那人とは違う民族だ。リットン卿は、支那にはエンペラーは
いないと言っている。清朝のエンペラーはいるが、チャイナのエンペラー
はいない。
しかし、今でも外国人は清国のエンペラーが支那のエンペラーだと思い、
日本はチャイナを侵略したと思い込んでいる。
ヌルハチが建国し、息子が清と称し、支那全土をも支配した。
清国は満州族の王朝だ。支那人は征服された民族に過ぎない。
そして時代は移り支那人に独立運動を起こされ、満州人は支那から
追い出されて故郷の満州に戻ったのだが、支那は清国から満州をも
奪おうとした。満州も支那だとして侵略したのだ。
支那が言い出した「日本が支那(満州)を侵略した!」という詭弁が
国際社会でまかりとおってしまった。ーーーというのが歴史の真実だ。
満州人は元々満州語を話していた。けれど現在では、支那によって
土地を奪われ、ほとんどが蒙古、ウイグル、チベットに大量に移住
させられた。
満州人は消えてしまい、満州語を話す者もいなくなった・・・・
ひとつの民族を消すには民族の歴史を消せばよい、という言葉は
本当だ。
支那人のインターネットの書込みを日本語に訳してくれているサイト
があるが、現在の支那人が「中国にも朝鮮人がいるんだね」などと
書いている。「中国に朝鮮人がいる」のではない!
支那が清の土地を奪って満州人を消しただけなのだ!
同じような感覚で、支那人はモンゴルを奪い、ウイグルやチベットを奪い、
そこに住む人々を支那化すると共に、漢民族を大量に送り込んでその
地域の人口比率を覆し、支那の意志が、あたかもその地域の住民の
意志であるかのようにしてしまう。
今では、チベット人もチベット語を話すことができないのだそうだ。
支那は、自分たちの侵略の歴史には何食わぬ顔をしながら、日本を
侵略者として今でもうるさく騒ぎ立てている。
同じような感覚で、台湾や琉球(今の沖縄)も支那のものだと騒ぎだし
ている。
そういう事実を知らずに、西洋人は日本を侵略者扱いにして戦争になる
ようにもっていったのだが、そこにはアメリカやソ連が支那の利権を
欲しがったという事実も深く関わっている。
強い西洋の国がアジアを分け獲るのが当たり前だった昔の話だが、
日本の歴史も支那に作りかえられていないか気をつけたほうがいい。
日本人が歴史の事実を学ばず、自分の国のことを支那を侵略した悪い
国だと思い込み、それを恥じて支那の要求どうりに動くなら、日本人も
またいつか失われた民族となろう。
強いアメリカや西洋諸国が、アジアやアフリカを力で征服し、利権を得る
のは普通のことだった。日本は、日本から資金を持ち出して、朝鮮や
満州を繁栄させた。
西洋の宗主国のように植民地の人々には教育も受けさせず、プランテー
ション化して貧しいままにおいておくという政策を採らなかった。
アメリカや西洋諸国は、アジア人である日本人がアメリカや西洋と肩を
並べて堂々としている姿が気にいらなかったのだろうか――――。
イギリスとの同盟関係を、アメリカなどの工作で解消させられ、日本の
立場が弱くなったところへ、恐ろしく高い関税で貿易を一気に止められ
貧しくなり、資源も簡単には手に入らない状態だった。
排日運動でアメリカにも移民できなくなった。
日本が生き延びるには満州しかない!貧乏人は満州へ行くしかない!
と満州人と組んで独立はしたけれど、支那との情報戦に負けて国際社
会の同意が得られない。(20カ国の同意は得ていた。)
国際連盟を蹴っ飛ばして孤独になったので、後に負け組となるドイツや
イタリアと組んで、ますますニッチもサッチもいかなくなった――――。
インドネシアの石油の確保と、インドシナから重慶に送られるアメリカと
イギリスの援助兵器の流れを止めようと、仏印の宗主国フランスに
断ってインドシナに進駐したら、アメリカには石油を止められ、オランダに
もインドネシアの石油は売らないと言われた。
そんな時期に、アメリカやイギリスがアジアで戦争の準備を開始する。
そしてハル・ノートで、満州、支那からすべての軍と警察を撤収しろと
要求される。
(ハル・ノートの影の作成者はソ連が送り込んだスパイだった)
わずかに備蓄されていた石油は、支那軍との戦闘でどんどん消費
されている。
北に進むのか、南の資源を確保するのか、陸軍や海軍が悩んでいる
ところに、アメリカが戦争を決意している状況が丸見えとなったので、
僅かな石油の備蓄が尽きる前に一気にアメリカを叩く作戦に出ることに
した。それが破れかぶれの太平洋戦争だった――――。
そういう過去を勉強せず、支那がどんどん押し付けてくる支那式の歴史
に日本人が染められるようなら、歴史を亡くした民族としてこの世から
消えていくことになるだろう。
支那がアメリカ人を利用してアメリカで出した本「レイプ オブ
ナンキン」や、映画を鵜呑みにしてはいけない。
支那人の「東京裁判」という映画なども正確な日本の歴史を知らずに
接触すると、日本人でも反日になるだろう。そのために支那は考えて
活動を行っているのだ。
支那に作られた日本の歴史に惑わされないためにも、日本人が真実を
勉強することが必要だ。
キーポイントは「満州人と支那人」だ。侵略なのか侵略でないのか、
支那人の意見を聞かず、当時の外国人が書いた物を読むのが
お勧めだ。
西洋が、弱い国を植民地にするのが当たり前だった時代に、日本が
行ったことは侵略でも植民地化でもない。
日本と同じように満州を繁栄させようとしたけれど、満州の利権を狙う
支那やソ連やアメリカなどに阻まれて潰されたのだ。
アメリカ人のマッカーサーも、アメリカに帰国してから
「日本は自衛のために戦ったのだ」と証言している。
失敗したから卑屈になるのではなく、どうしたら日本の国際的な立場が
より良くなるかを考えて行動すればよいのだ。
そして、支那人の根拠の無い情報活動(ウソとも言う)に負けないよう、
しっかり事実を学ばなければならないのだ。
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参考資料:
「1500年の真実 日本とシナ」渡辺昇一著
PHP研究所発行 1700円より。