東京裁判でABCと名づけられた人々は、その後どうなったの?
国際法の見地から見ると、東京裁判とは、戦勝国が占領中に
敗戦国の指導者だけを、勝手に事後法を作って裁いたという
連合軍の軍事行為である。(戦争の行為)
戦争中の捕虜は「アムネスティ条項」で戦争終結後は大赦されるのが
国際法の原則である。
(雑誌SAPIOの小林よしのりのゴー宣から一部分を抜粋しました。)
BUT!!!
サンフランシスコ講和条約では、本当は無条件で戦勝国が逮捕して
投獄した日本人捕虜を牢から出さないといけないのに、イギリスが
しぶった。そこで、第11条には特別に(日本だけ特別に)
捕まえて牢屋に入れた捕虜に戦勝国が与えた判決=刑の執行を
日本が代わりに行うことというヘンテコな条件が付けられた。
しかし、これも絶対の要求ではなく、赦免、減刑、仮出獄の手続きも
書かれていた。西洋人も全くの悪人でもないようだ。自分たちが
行った東京裁判というリンチは国際法に違反していると、彼らは実は
分かっていたのだろう。とにかく怒りの鉄拳を日本人に下したかった
のだと思う。あやうく天皇を殺されるところだった日本は、天皇以外の
人間がおとなしく絞首刑に甘んじるという方法で彼らを満足させた。
軍隊も解散しているし、戦争に負けたので占領j国のしたいままに
させるしかなかったのだ。本当は日本は無条件降伏したのではない。
政府が崩壊して無政府状態になったドイツとは違って、日本はちゃんと
政府が存在し、国会も機能していた。(軍の力が強かったとはいえ、
議会は存在した。)ドイツは全くの無条件降伏であったが、日本は違う。
しかし、アメリカのマッカーサーははじめから「日本は無条件降伏を
した。」と勝手に宣言してきたので、日本のある議員が意義を申し
立てたら、いきなり議員をクビにされた。
戦勝国は、天皇を利用して日本の軍をすみやかに解散させ、何のテロの
心配も無く日本に降り立ったが、それでも天皇を死刑にするようにと
アメリカ議会はマッカーサーに強く要求していたそうだ。
マッカーサーは天皇が軍部の意向をそのまま発表するしか権限が無いと
いうことにすぐ気が付いて、何とかして天皇を救おうとした。
その時にマッカーサーの秘書をしていたアメリカ人と、日本の
クリスチャンの女性も頑張って、マッカーサーが本国に送る書類の文章を
作成した。マッカーサーも後年、東京裁判は間違いだったと告白しているし、
軍の前で「日本の一連の行動は自衛のための戦争だった。」と証言している。
東京裁判で罪人だとされたABC級戦犯は、裁判に代表を出した政府の
過半数の決定を得られれば釈放してよいと書かれているのが第11条だ。
「日本国は、極東国際軍事裁判所、並びに日本国内及び、国外の
他の連合国戦争犯罪法廷の諸判決を受諾し、
且つ、日本国で拘禁されている日本国民に、
これらの法廷が課した刑を執行するものとする。
これらの拘禁されている者を赦免、減刑し、
及び仮出獄させる権限は、
各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定、
及び日本国の勧告に基づく場合の他、行使することができない。
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、
この権限は、
裁判所に代表を出した政府の過半数の決定、
及び日本国の勧告に基づく場合の他、
行使することができない。」
この講和条約11条に基づき、日本は次々に相手国と交渉して
監禁されていたいわゆる戦犯たちを解放していった。
最後に釈放されたのは巣鴨プリズンの18名だった。
昭和33年のことだった。
日本の戦後は、昭和33年だったと言える。いや、シベリアに抑留されて
いた日本人がシベリアで殺された人意外は全員帰ってからかもしれ
ないし、ジャングルで取り残された日本兵が帰ってからかもしれない。
とにかく、ABC級戦犯は全員釈放されて、中にはその後議員になった
人もいた。ただし、アメリカに絞首刑にされた7名は帰らなかった。
捕虜として拘束され、勝手な裁判で2年も拘留された末に絞首刑に
されたのだ。全て戦争終結前の戦争停止中に占領軍にされたことだ。
だから、7名の日本人の死は「戦死」となる。日本の国内法では彼らは
犯罪者ではなく戦死者だ。そう議会で決定されたので、彼らの遺族は
遺族年金を受け取る事ができるようになった。
それまでは、孫が学校でみんなの前で先生からまともにイジメを受けて
いたそうだ。
日本は戦勝国の判決を受諾する以外無い立場にあった。
しかし、彼らの判決理由を受け入れたわけではない。天皇を殺され
ない方法を受け入れたと言ってもよい。日本がアメリカに合併されない
ように、占領国の無茶を受け入れたと言ってもよい。
ガリレオも裁判で罪人とされたが、判決理由など受け入れていない。
「それでも地球は回る。」と最後まで抵抗したそうだ。
今では、ガリレオが正しかったのは子供でも知っている事実だ。
そもそも日本が戦争を停止した後でできた事後法でなぜ日本が
歴史をさかのぼってアメリカと戦った戦争のずっと過去までアメリカに
裁かれなければならないのか。
当事の国際法では戦争は罪でもなく、自衛の戦争は罪ではない。
今だって、自衛の戦争は罪ではないのだ。
戦争が終われば捕虜は釈放されるのが、普通のことだ。
日本には戦後ABCなどの罪人は存在しない。ただアメリカに絞首刑に
されて殺された日本人捕虜が7名。日本が釈放するよう嘆願する前に
各国で殺された日本人捕虜がいるだけである。
いつまでも、アメリカが名づけた罪名で彼らを呼ばないでほしい。
彼らも生きていれば釈放されているのである。アメリカの復讐心の
犠牲になったということなのだ。いまだかって戦争の責任を個人が負う
など、東京裁判以前にはなかったことだ。
ドイツのゲシュタポたちは、ユダヤ人大量殺戮の罪を問われて処刑され
ている。戦争中でなくても、ひとつの民族を滅亡させようとする行為は
犯罪だからだ。日本は国際法に何の違反もすることなく、通常の戦争を
して敗れた。ひとつの民族を抹殺しようなど、まったく考えていなかったし
世界を征服しようとも考えていなかった。
満州の利権を守ろうとして、アメリカ、ソ連、支那、その他植民地を持つ
西洋の国の陰謀に翻弄されて戦争に突入せざるを得ない状況に持って
いかれたということなのだ。