世間では日本は東京裁判を受け入れたから独立できたということになっているらしい。
日本は東京裁判を受け入れたのではなく、「言い渡された判決(複数)」
を受け入れたわけで、東京裁判そのものを受け入れたわけではない。
東城英機は最後まで、日本は防衛戦を戦ったのであって侵略ではないと
はっきり否定している。
「日本帝国の国策ないしは当年合法にその地位にあった官のとった
方針は、侵略でもなく、搾取でもありませんでした。
一歩は一歩より進み、また適切に選ばれた各内閣はそれぞれ
相受けて、憲法および法律に定められた手続きに従いこれを処理して
いきましたが、ついにわが国は彼の冷厳なる現実に逢着(ほうちゃく)
したのであります。当年国家の運命を商量軟計するのが責任を負荷
したわれわれとしては、国家自衛のために起つという事がただひとつ
残された途でした。
われわれは国家の運命を賭しました。しかして敗れました。
しかして眼前に見るがごとき自体を惹起したのであります。
戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の
責任いかんとの問題とは、明白に分別のできる二つの異なった問題で
あります。
第一の問題は外国との問題でありかつ法律的性質の問題であります。
私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法に
は違反せぬ戦争なりと主張します。
私はいまだかってわが国が本戦争をなしたことをもって国際犯罪なりと
して勝者より訴追せられ、また敗戦国の適法なる官たりし者が個人的の
国際法上の犯人なりとしてきょう「叫の糸へん」弾せられるとは考えた事
とてありませぬ。
第二の問題、すなわち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私
の責任であります。この意味における責任は私はこれを受諾するのみ
ならず真心より進んでこれを負荷せんことを希望するものであります。」
マッカーサーは、1951年5月3日から5日にアメリカの上院軍事外交
合同委員会で、証言している。
「日本には固有の原資源がない。石油も産出しないし、スズ、ゴムと
いった多くの資源がない。もしこれらの原料の供給が絶ち切られたら、
一千万人以上の失業者が発生する。だから、彼らが戦争に突入した
主たる動機は、自衛のためだった。」
東城英機は、敗戦前の4年間しか政治にかかわっていない。
日本はアメリカが東京裁判で日本になすりつけた「共同諜議」や
「平和に対する罪」といった「戦争犯罪」を起こしてはいない。
東城英機は、日本帝国の戦争は国際法に反しておらず侵略でも
搾取でもないと最後まで主張して、日本の罪を否定した。
日本を罪に定めるアメリカは、国際法に違反して、一般市民を焼夷弾
(しょういだん)という日本の家屋を燃やす目的で入念に改良を加えた
油の塊のような爆弾で東京や大阪などの大きな街を焼いた。
広島、長崎に一度に草木も動物も人間も溶かす原爆を落とした。
東京裁判が行われているその時に、フランスやオランダは自国の
植民地を守ろうと、抵抗するアジア人やアフリカ人を殺していた。
ソ連は、日本との不可侵条約を破り、日本が停戦してから満州、カラフト
北方領土に押し寄せて、多くの日本人を拉致してシベリアに送り込み
鉄道を引く囚人の仕事につかせ、使い捨てにしていた。
当時、アメリカや西洋がしていた事は、弱いアジアを植民地化し、奴隷
のように使い、資源を奪うことだった。日本は日露戦争で得た利権を
守るために満州を独立させたが、それはアメリカも南米でしていること
だった。日本はアメリカが南米や太平洋の島々を次々と植民地にして
いるときに、何も言わなかったが、アメリカは日本が支那で、支那人が
満州で起こす犯罪に手を焼いて、満州を独立させたときに、口を出して
きた。当時、どこの国もしていたことが、日本だけは許されず、日清
戦争と日露戦争は正しいがそれ以降は全て日本の罪とされた。
戦争に負けて軍隊を解散している日本に対して、アメリカは日本だけに
適応する新しい法律を作り、(事後法)マッカーサーの法律で裁いた。
100キロを出して走っても良かった高速道路で、日本は幅寄せをされて
クラッシュした。クラッシュした車から出てきた人間に、アメリカは
「この高速道路は60キロ制限である。だから日本は罪がある。」という
法則で裁いたのが東京裁判だ。他の国は100キロで走っているが、
それはかまわないのだった。東京裁判が行われている当時も、フランス
オランダは植民地を収めようと戦争をしていた。
日本は、満州を植民地と思って搾取したのではない。日本から金を持ち
出しして現地の人間を教育し、インフラを整え、産業を発展させて、治安を
維持し、現地の満州人も支那のテロから守っていた。
アメリカや西洋が現地人を教育もさせず、貧乏のままにさせていたのとは
大違いだった。そんな細かい事を言っても仕方が無いのだが、
マッカーサーは日本が国際法に違反していなかったことを知っていた。
全ての日本人は、知識として、マッカーサーの言葉を知っておくべきだ。
日本は、アメリカが戦勝国を集めて行った東京裁判の判決(複数)を
受け入れたが、軍隊を解体した後の国に、何ができるのか。
当時の日本人は、テロを起こさないように自戒しあった。日本がアメリカ
に統合されないように、また天皇を東京裁判に引き出されないように、
だれかが死ぬしかなかった。
判決は受け入れざるを得なかったが、裁判自体を受け入れたわけでは
ない。裁判はアメリカの占領軍のボスが作った法律によって行われた。
国際法に沿った裁判でもなんでもない。ただの戦争国の復讐のための
裁判とは名ばかりの捕虜虐待だ。
東城英機は捕虜で、2年以上も拘束されたあげく、絞首刑になった
戦死者だ。東城英機は、「結局この裁判は最後まで勝者が敗者を裁く
ためのものだった。」というようなことを語っている。
最後の遺言の言葉でさえ東城英機は、日本は侵略をしていないと
主張していた。側にいた人がそれを書きとめている。
日本は東京裁判を受け入れたのではなく、言い渡された判決(複数)を
受け入れたのだ。捕虜には戦勝国の判決を受け入れる以外、何もで
きなかった。東城英機は天皇には戦争を決定する権限は無かったのに、
アメリカや他の国がそれを理解せず、天皇を殺そうと願っていることを
知っていたため、あえて自分がいっさいの責任を負って死のうと
決意していた。また個人的に自分は日本人に対しては敗戦の責任を
負う立場にあると語っている。
東京裁判は控訴審もない、一審のみの判決確定で、弁護士も一応
意見を言ったが無視された。アメリカが用意した判事はインド人の
パール氏以外、資格のないしろうとたちだったし、証拠の採用も調べる
こともせず、日本に悪い証言は鵜呑みだったそうだ。
日本は東京裁判を受け入れたのではなく、判決(複数)を受け入れた
のであって、判決理由まで受け入れたのではない。
日本は、世界征服を狙ってアメリカと開戦したのではないし、満州を
侵略しようと入ったのでもない。日露戦争に勝った結果、満州をロシア
から取り返し、清国に返し、その見返りとして満州の租借をしたのである。
あまりにも支那人のテロが多くなったためと、満州人の独立の意志を
受けて、満州を支那から切り離したところ、ソ連に操られた支那人コミン
テルンの挑発と、支那人の蒋介石に苦しめられ、最後には支那での
利権を狙うアメリカとイギリスに責められて資源の供給源を失った。
戦わずとも2年で負ける状態に陥っているうえに、ハル・ノートで交渉の
意志は無いとアメリカに突きつけられ、自暴自棄になった結果、戦争に
なったのだ。
日本人は、東京裁判を受け入れたのでもなく、判決理由を受け入れた
のでもない。国内法では、捕虜がアメリカ軍に殺されたということなので、
絞首刑にされた7名の人々は戦死者であって、「A級戦犯」ではない。
アメリカや戦勝国が勝手に付けた名前を受け入れたわけでもない。
ただ、ちゃんと過去を勉強していない日本人が多いため、よその国に
靖国神社に戦争犯罪者が祭られていると言われると「そうなのかな。」
と思ってしまうのだ。どの国にも国際法に基づいて自衛する権利がある。
過去の日本の勉強もしないで、過去の日本人を責めるんじゃない。