うっすらとした悲しみ
年を取ったら悲しい事がなくなるのかなと思っていた。
でも、近所のお好み焼き屋さんのおばちゃんは60歳以上なのに
悲しい事が起こる。わたしだっていい年なのに、悲しい事が起こる。
2年前に植えたレモンの木が、団地の事務局が清掃にやとった
シルバーさんに引き抜かれて捨てられたのだ。
イチゴも6株植えていたが2年たったのでかなり広がっていたのだが、
シルバーさんに雑草と判断されて引き抜かれた。
木の柵で囲っていたがダメだった。
そればかりか、石でしっかり囲っていたラベンダーとイタリアンパセリと
ブロッコリーの伸びすぎたヤツを引き抜かれ、せっかくコーナンで
購入して重たいメをして運んだ土も、きれいに青いビニールに入れられ
運び去られた。知らない間に起こった出来事でどうしようもない。
初めて「自分の家と土地が欲しい。」と思った瞬間だった。
石は、まとめて重ねてあった。新地になっていた。毎日水をかけて2年
かけて作った貴重な土が、消えてしまった。
アボカドの木も引き抜かれた。店で買ったお花も雑草と思われたか
抜かれた。もう何度もそんなことが起こっていた。
山で購入したゲンノショウコも「薬草」と書いたプレートごと抜かれた。
ルッコラも雑草とみなされて抜かれた。山で見つけて植えたどくだみも
露草も、シソも、はこべも、よもぎもシルバーさんにとっては雑草に
見えたようで全部抜かれた。おまけに彼らは勝手に植え替えまで
するのだ。鉢植えの実がなる木や、くちなしを団地の元からある木の
根元に植え替えられた。シルバーさんにはすごい権限があるようだ。
なんとなく、中国共産党に好きなように土地を取られている農民の
悲しみが分かったような気がした。
朝起きていつものように水をまこうとしたら、そんな有様だった。
うっすらとした悲しみは以前は生きていたのに今は引き抜かれ、死んで
しまった植物のいのちを惜しむわたしの心に生じたものだ。
団地のウラの一面のはげた貧しい土地の上に、こんもりと店で買って
きた土を乗せただけの小さな花壇だった。勝手にモノを植えるのは
確かに違反だろうが、だったらはげた土地をなんとか芝生でも植えて
綺麗にしてほしいのに、シルバーさんは、旋盤の付いた機械で土地ごと
根こそぎ削って丸裸にしていく。
植物のいのちが消えた悲しみと、昨日あったものが、無くなった悲しみ。
2年間の努力が消えた悲しみ。自分の存在が否定されたような悲しみ。
土地を持たない者の悲しみ。自分の立場が弱いと知っている者の悲しみ。
そんなものがどっと押し寄せてきたので2時間ぐらいはもんもんと
していた。住宅公団に電話したり団地の事務所に電話したりして、
悲しみを怒りに変えてちょっと抗議してみたがやっぱり惨敗だった。
団地に勝手に植える者が悪いとか、シルバーさんが抜いたという証拠も
無いのに文句は言えないとかいろいろ言われた。
普段は気が付かなかったけれどやっぱり団地は規則でがんじがらめに
されているのだと実感した。そんなに悪い事をしたとは感じていなかった
が、どうやらわたしが悪いようだ。かわいそうなレモンの木。
わたしに買われたばっかりに、2年で死んでしまうことになるなんて。
友達にはこのことは秘密だ。きっと全員が「あなたが悪い。」と言うだろう。
毎日水をやって可愛がっていたレモンの木はもうない。
フト、友達が自分のご主人の髪の毛のことを、「前はあったのに、今は
無いって悲しいことらしいよ。」と言っていたことを思い出した。
わたしもレモンの木が無くなって悲しい。昨日はあったのに、今日は
無いという悲しみを抱えていても、わたしは元気に生きなければならない。
時間が過ぎていって、悲しみが薄れていくのを待つとするか。
替わりのレモンの木を買ってきて、ベランダで鉢植えにするしかないけど、
そんなこともしばらくはする気になれない。
きっと人間はいろんな悲しみに耐えて生きていくものなのだ。
レモンの木どころじゃなくて、ふられた腹いせに首を絞められて死んだ
女子大生の親の悲しみはどんなに深いのだろう。
わたしの悲しみなんて薄っぺらいもんだ。薄っぺらいけどやっぱり悲しい。