自分の立ち位置が分かっていない人
おとといのことだった。駅の改札を出て、階段を下りようとして
構内の角を左に曲がったら、目の前に女の子が立っていたので
びっくりした。
ちょうど階段の一番上の角に階段を向きながらぼ~っと立っている。
ちょっと異常な感じがした。
その女の子を大きくよけて階段を下りてから女の子の顔を見上げると、
携帯電話をいじっている。階段を下りるつもりで、そのまま立ち止まった
という感じだ。駅から出て階段を降りる人は、必ず左に曲がってくるの
だが、みんなが動く動線の最短距離に女の子は立っている。
もしも下を向きながら歩いている人がいたら、女の子の背中に当たって
もおかしくない位置だった。階段を下りる人は必ず下を見るだろうから
実際には後ろから女の子に激突する人はいないと思うが、階段を下り
ようとしているのに人が立っているとやはり驚かされる。
9月にブーツを履いておしゃれをしている女の子だったけれど、自分が
みんなのじゃまをしているということに全く気が付いていないようで、
階段を下り切ってもう一度振り返ると、まだそこに立っている。
通行人のじゃまになっているだけではなく、下から見上げるとかなり
危ない位置にいる。駅から降りてくる人が曲がってきては、みんな
彼女に気が付いてびっくりしている。
「自分を客観的に見られない人間は子供だ。」という親父の言葉を思い
出した。23歳ぐらいのおじょうさんだったが、携帯電話でメールを打つ
のに夢中で階段の一番上にずっと立っている姿は、まさしく子供だった。
そういえば高校生の子供たちも駅の階段に横に並んで座っている時が
ある。「そこに座ってたらジャマやで。」と注意したら「ありがとう~!」と
言ってゲラゲラ笑う。感謝の言葉を口にしながら、全然動かないって、
どういうこと?しかも注意されたのに笑う?
親父に言わせると、コップをガチャンとテーブルに置いたり、食器を洗う
時にガチャガチャ音をたてる人間も子供なのだそうだ。
コップとテーブルの位置関係や、食器と水切りの距離が分かっていない
加減のきかないヤツが子供なのだそうだ。
大人とは、自分と自分をとりまくモノの距離が分かって加減できる人間
だと言う。高校生の時にコップをガチャンとテーブルに置いた時にそう
言って注意されたのだった。その時はちょっとムッとしたが、今では
わたしも立派なオバサンだ。ちゃんと大人になっているだろうか?
昨日、本屋を通り過ぎてしばらくしてから、その本屋に本を何冊も取り
置きしてもらっていたことを思い出して、いきなり立ち止まってUターン
したら2、3人の人がびっくりしてわたしを避けた。
いきなり立ち止まるのはオバサンになった証拠なのだと、どこかの
マンガで読んだことがある。
大人を通り越してオバサンになっちゃっているようだ。人のフリみて我が
フリなおせって良くいうけど、きりっと気を引き締めてちゃんと大人で
いないとね。