チャイナに戦争に引きずり込まれたという歴史
昔の人はみな、支那が満州を欲しがって、満州に入ってきて私服で
テロ活動をするので、日本は満州を切りはなしたいと願うようになった
と知っている。
今の日本人は、そんなことをしらない。
満州は日本が平和を守るように国際的に駐屯を認められて管理した
場所で、もともとはロシアが支配していた。
満州は清国の故郷で、清国の土地だった。それを日本がロシアから
取り返したのだ。でも清が滅びると支那人は、満州も支那の土地だと
主張しだした。前にも書いたけど
インドネシアがオランダから独立した。
インドネシアがオランダもインドネシアの土地だと言ったら
正しいだろうか?万里の長城から外れた
満州は支那ではない。清国の場所だったがロシアに盗られていたのを
日本が取り返したのだ。
支那人は、どうも漢字を使う国は全部チャイナだと考えるクセがあるようだ。
それはまるで、昔のヨーロッパのローマ・カトリックが教会のある場所は
すべて自分の国と考えるような「宗教」に近い考え方だ。
支那人は、ずっと満州の日本人を悩ませ続けた。
満州は資源の無い日本がやっと手にした場所で当時は日本の「生命線」と
まで言われ、大金がつぎ込まれた場所だ。
当時は持てる国は、植民地を活用して輸入品にはすごい税金をかけた。
植民地の無い国は、とたんに困り果てた。
絹を輸出して他の物資を購入していたのだが、高い関税をかけられると
誰も品物を買ってくれない。仕方が無いので値段を下げる。そのためには
国内で安い給料で絹を作るしかない。おかげで日本の経済はガタガタに
なった。資源を持たない国が生きていくには、資源を持っている国と
仲良くしていくしかない。アジアは当時日本とタイ以外はぜんぶ
ヨーロッパの植民地だった。当時は、ヨーロッパは好きなだけアジアを
植民地にしても良かったのだ。
そんな時代だったのだ。日本としては、次に植民地にされるのは日本かも
しれないと、すごく心配していた。植民地にされないためには、強く豊かに
ならないと、実力をつけないといけない。福沢諭吉は、日本の将来を
心配し、息子を牧師にしようとしたそうだ。牧師になっておけば、将来
日本がどこかの国の植民地にされたときも、外国人に優しく扱って
もらえるかもしれないと思ったからだそうだ。
福沢諭吉は、朝鮮半島の人間が頑固に儒教と支那の支配にしがみつき
西洋化して外国に支配されまいと頑張る日本をおもいきりバカにするのを
見て、「朝鮮半島のような国は無視して日本は西洋に同じアジアと
思われないようにするしかない。」と言って脱亜論を掲げた。
朝鮮半島と貿易をしようと日本はアプローチをかけるが朝鮮は清国から
離れようとしない。朝鮮が近代化をとげて強い国になってくれないと、
ロシアが南下してくると日本は恐れた。いろいろあったが清国と日本は
戦って日本が勝ち、朝鮮は清国から独立することができた。
ロシアはやはり南下してきたので日本はロシアとも戦った。
イギリスは日本を影で応援したそうだ。
ロシアに勝ったので満州は日本が管理することになった。国際的に
認められてそうなった。しかし、、、。
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