東条由布子さんの短い言葉から
テレビで、東条英機のお孫さんの東条由布子さんが、短い言葉で祖父を
責める日本人を批判しておられる様子を観た。
うろ覚えなのだが、大体以下のようなことを言っておられた。
「祖父は、戦争の責任を全部負って死にました。あの戦争は、日本が
自衛のために行ったもので、アメリカが言うように世界征服をもくろんだ
ために始めた戦争ではありません。
どこの国にも、自分の国を自衛する自衛権はあります。自衛のために
戦って死んだ人々に対して、同じ日本人が、彼らを罪人だと言って責める
のは許せません」
また、天皇がA級戦犯とされた人々を合祀してから靖国神社に行くのを
やめたという言葉を書き留めたとされる内容のメモについては、
「陛下は『東条の家族は元気に暮らしていますか?』と、いつも気にかけ
ていてくださり、毎年一度も欠かさずに付け届けを届けてくださいました。
メモを記録した人が、陛下のお気持ちを的確に表したとはわたしは
信じません」
と語っておられた。短い言葉だったが、言いたいことが良く伝わってきた。
日本人は、第二次世界大戦を、日本がアジアを侵略するための戦争
だったと信じている。
だから、日本の首相がアジアの国へ行くと必ず過去の過ちを謝る。
ところが、過去にインドネシアやマレーシアでは、日本が頑張って西洋と
戦ってくれたから、アジアは彼らの植民地状態から開放され、独立できた
のですよと言われる事もあった。ーーー当時のアジアは、西洋列強から
ケーキのように切り分けられ、植民地にされている時代だった。
日本は、第一次世界大戦後に獲得した利権を守ろうとしたが、西洋列強
も同じことをしていたのだった。
東条由布子さんが印象に残ったので、東条英機 述、東条由布子 編に
なる本を買って読んでみた。
天皇に責任なし 責任は我に在り「大東亜戦争の真実
東条英機宣誓供述書」1400円:ワック
終戦後、洋洋社から出版されGHQ発禁本第一号となる
http://www.book-ace.co.jp/book/item/dait0922.htm
東条英機が、東京裁判の法廷で読み上げた供述書を本にしたもの
だった。東条由布子さんが古本屋で東京裁判について書かれたものを
探していた時に、たまたま、重ねてあった本の間に薄っぺらい本が少し
飛び出していたので、引っ張り出してみたら発禁処分にされた彼女の
祖父の供述書だったのだそうだ。
日本がいくら戦争を避けようとしても、アメリカとイギリスは既に日本を
潰す気分に満ちており、戦争の準備を始めていたとも書かれていた。
一般の日本人ではなく、当時の内閣総理大臣だった東条英機が、
小マメに手帳に記録していたことを元に書かれているので、日本が
戦争に至った経緯がよく分かる本だった。
後から、戦争についていろいろ反省してみるのは大事かもしれないが、
当時の状況は、西洋がアジアを植民地にするのが当たり前の時代
だったし、アジア人に対する人種差別は、今よりずっとあからさまで
酷かったと思われる。それを考えて読まなければならない。
フランス領インドシナに、フランスを説得して日本軍を派遣したのは、
重慶の国民政府に、フランス領インドシナからどんどん武器が流れ込んで
いたからである。
シナは、日本が満州に入ってきてからの満州の急激な発展ぶりを見て、
国民党政府や軍閥らがその利権を奪取しようと、満州でシナ兵による
日本人に対する数々のテロが起こった。
日本国民は、そんなに満州の治安が悪化しているのに
日本政府が何も行動を起こさず、ひたすら耐えているのを見て
苛立っていた。
当時の日本国民は、野蛮なシナを懲らしめて満州を切り離すことを要求
していたし、朝日新聞などのメディアは、戦争を煽る記事をどんどん
掲載していたそうだ。
そういう過去は忘れて、戦争に負ければ軍のトップに全てを押し付け、
罪人呼ばわりするのも、民衆とは、状況が変わればいくらでも主義主張を
変えて自己の保身を図るものだからなのか。
「ウィキペディアフリー百科事典」の第二次世界大戦に至るまでの状況につい
て書かれた部分を資料として添えます。長いので以下のページでご覧下さい。
http://chinachips.fc2web.com/repo4/047054.html#sankou
┌──────────「植田一信レポートより抜粋引用」
大東亜戦争は、日本が西洋列強の植民地主義に対峙した自衛の戦いで
あったには違いないけれども、日本軍の行動には間違いもあった。
第一に、中国大陸におけるシナ人を理解する力が不足していた。
シナ人の反日テロばかりを問題にして、いかに野蛮なシナ人を押さえ込む
かという点ばかりに目が行き、彼らの領土保全と経済発展への願望を
軽く扱った。またシナ人のアメリカを使った情報戦の効果を軽く見た。
第二に、欧州におけるファシストグループと民主勢力との間の争いにおいて、
民主勢力がやぶれると状勢判断を下した。
第三に、アメリカの政治、外交政策の方向について判断を誤った。
アメリカの国内では、排日移民法に象徴されるように、日本を「敵」とみ
なしシナを助けようとする人々の心情が主流としてあり、日米交渉を
最初から悪意ある無意味な交渉にしていたことに気が付かなかった。
当時の、国際環境の悪さと国内世論が、外交の選択の幅を狭めていた。
当時の日本では、満州でのシナ人のテロを抑えるべく満州を切り離す
ことを国民が望んだのだった。
その結果国際連盟の承認を得る事ができず、脱退した。
日本には外交面で数々の失敗があった。
軍部の独走があった時に、日本国内の世論に押されて軍の指導部、
外交当局、政党政治はそれを抑えられなかった。
一度軍部が独走しだすと、一般人の要望は無視される。
東条英機が内閣総理大臣になった時期には、日本はもう世界戦争に
至る道をひた走るしか、道は無かったと思われる。
└──────────「植田一信レポートより抜粋引用ここまで」
http://blog.goo.ne.jp/hiroharikun
起きてしまった事を、細かく検証し直してみても仕方がないかもしれない
が、とにかく今は、アジアは植民地にされてはいない。
日本は過去を参考にして、世界の状況を正確に読みつつ、情報も
コントロールして日本を存続させていくよう努力するしかない。
間違いは間違いだと、アメリカや中国にも堂々と意見を言える普通の
国になるよう、そろそろ精神面でも敗戦国意識から抜け出すべきでは
ないか。