アメリカの私刑[リンチ]は大好きな中国
国際法では(アムネスティ条約により)平和条約の発効と共に戦犯裁判は無効と
なり、受刑者を釈放しなければならない。平和条約が締結されたあとも、獄中
に戦犯裁判で裁かれた者がいるのはおかしなことなのだ。
サンフランシスコ平和条約では、11条に「日本は東京裁判を受諾して国際社
会に復帰した」とあるが、英語やフランス語では「言い渡された判決文を受諾
する」という意味だった。
accept the judgments (英語)
受諾 判決(複数)
accepte les jugements prononce's (フランス語)
受諾 判決(複数) 言い渡された
日本語で書かれたように「裁判を受諾した」という意味ではない。東京裁判を
受諾したとは書かれていない。ジャッジメンツ(判決の数々)を受諾したのだ。
サンフランシスコ平和条約締結時には、まだ日本には戦犯裁判で裁かれた者が
獄中にいたので、11条は、獄中の者を続けて判決文に従わせる目的で書かれ
た。平和条約が発効しても、戦犯裁判で裁かれた者をまだ獄中に留めて置きた
かったからだ。つまり、国際法であるアムネスティ条約を無視して書かれた文
なのである。
さて、日本は東京裁判を受諾したのか?
日本語の訳の11条では裁判を受諾したことになっているが、本物の11条で
は「日本は判決を受諾し」となっている。
東京裁判は、アメリカのマッカーサーが決めた裁判だ。マッカ-サーは、昭和
20年8月30日に日本に上陸したその晩に「トウジョウを逮捕せよ。そして
早急に同種の戦争犯罪者のリストを作成せよ」と部下に命令した。
ーーー最初からトウジョウを処分(殺害)するつもりだったのだ。
昭和21年4月29日の天皇誕生日に合わせて、28人の「A級戦犯」が選ば
れた。ABCとは、ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判をそのまま適用した
もので、「A」は平和に対する罪、「B」は通常の戦争犯罪、「C」は人道に
対する罪だが、ACは事後法。戦争を始めた国の、指導者個人の責任を問うも
のだった。
戦争は、国と国の間の問題で国家の行為だが、個人の責任を問うという法律を
アメリカが作ったのだ。実際、マッカーサーが「極東国際軍事裁判所条例」と
いう法律を作り、それによって戦犯が定められた。
ドイツでは、ドイツ国民は罪に問われず、ナチスの個人が責任を問われた。
C級犯罪とは、ホロコーストに対する罪で、戦争とは関係なくナチスがユダヤ
民族の抹殺を図って行ったことを裁く事後法だった。日本人がひとつの民族を
抹殺しようとしたことなど一度もない。アメリカは、「BC級」の区別を曖昧
にして、無理矢理ドイツと同じような体裁にした。
ヒットラーは1933年から1945年まで独裁体制で、軍事行動を行ってい
た。日本は1928年から1945年まで、A級戦犯とされた28人が一貫し
て満州、中国、東南アジア、太平洋、インド洋と侵略したことにされたが、
1931年の満州事変の時と、1937年のシナ事変、1941年の大東亜戦
争の内閣は全部違う。日本の内閣は18回も交代している。
アメリカは、大東亜戦争のずっと前まで遡って、1938年の張鼓峰事件や、
1939年のノモンハン事件まで日本の侵略戦争と位置づけ、A級と名付けて
殺すための日本人を28人も選んだのだ。
ソ連は、天皇誕生日に合わせて起訴するためのアメリカの起訴状ができた後で
駐ソ日本大使と関東軍司令官をA級戦犯に加えろとアメリカに要求してきた。
それで急遽、2人が加えられた。
東京裁判は、国際法に則ることなく、マッカーサーの命令で進められた。国際
法は無視されている。マッカーサーの「極東国際軍事裁判所条例」に基づいて
裁判官が決められ、ポツダム宣言も無視された。
ポツダム宣言では、日本は無条件降伏ではなく、休戦協定(条件付降伏)であっ
たのに、9月2日のミズーリ号の調印式では、いつの間にか書類の名前が「降
伏文書」になっていた。6日にはアメリカは「われわれの日本との関係は契約
的基礎の上に立っているのでなく、無条件降伏を基礎とするものである」とい
う通達を発した。
日本の外務省は「何でもかんでもマッカーサーの言うことを聞かねばならない
という、そういう国として無条件降伏をしたのではない」と反論したら、GH
Qにクビにされた。
日本は、ポツダム宣言受諾による条件付き休戦をしたはずが、マッカーサーに
よって新しい法律が作られ、それによって戦勝国とその植民地によって敗戦国
の国家指導者を裁判にかけて殺された。要するにマッカーサーの私刑[リンチ]
であったのだ。
日本は、ドイツにも行われなかったような国家改造をされた。国際法では「占
領国の法律を尊重すること」となっているが無視された。戦勝国が敗戦国を裁
くということも事後法で、国際法上の根拠をもたないものだった。
勝った国の大将が、負けた国の大将のクビをはねて、さらし首にする。それが
野蛮な時代の戦争というものだ。アメリカは国際法を無視して、野蛮な時代の
戦争並に戻したということだ。
裁判官はオーストラリア人で、判事はカナダ・中華民国(国民党)・フランス・
オランダ・ニュージーランド・ソ連・イギリス・アメリカ・インド・フィリピ
ン。敗戦国や中立国からはひとりも出ていない。最初から日本人を殺すための
舞台設定である。
敗戦国は悪であり、敗戦国のトップは罪人となる。戦勝国からはひとりも戦犯
には定められない。それが「東京裁判」である。
中国は、アメリカが世界の善悪の基準を勝手に決めて、力で世界を征服してい
るとして憎んでいるが、アメリカの私刑[リンチ]は大好きなようで、しきりに
A級戦犯が合祀されている靖国神社に、日本の首相が参拝に行くのはけしから
ん。小泉首相はバカだ、不道徳だという。
都合のいい時だけアメリカの決めたことを国際的に正しいとするのである。
全世界の国際法学者は、東京裁判は裁判ではないと認識している。なによりそ
のマッカーサー自身が、東京裁判の後2年も経たないうちに、「東京裁判は誤
りであった」とトルーマン大統領に語っている。
起訴された25人は、全員に有罪が宣告された。(2人は、公判途中で死亡、
1人は病気で免除)―――死刑となった7人の罪状は「共同謀議」。国際法に
はない罪状だった。イギリスとアメリカの法律にしかなく、実行犯以外の共謀
者も罪だとする共謀罪で、ギリスとアメリカでは最長2年の微刑であった。
「共同謀議」で、昭和以降、日本は一貫してアジアへの侵略政策を企て、その
結果アメリカと戦争したということになった。大東亜戦争の事だけではなく、
14年も遡ってソ連との戦争まで罪としたのだ。
東條は一度だけ証言台に立てたが、そのとき、日本は最初からアメリカ、イギ
リス、オランダに対する戦争を計画したのではなく、それらの国の挑発でやむ
を得ず自存自衛のために戦うに至ったという経緯を語った。最後に東條はこう
語った。
┌--------
戦争が、国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任い
かんとの問題は、明白に区別のできる二つの異なった問題であります。
第一の問題は、外国の問題であり、かつ法律的性質の問題であります。
わたしは最後まで、この戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には
違反せぬ戦争なりと主張します。
第二の問題、すなわち敗戦の責任については、当時の総理大臣たりしわたしの
責任であります。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、
真心より、すすんでこれを負荷せんことを希望するものであります。
└--------
東條は遺言として「この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる
性質を脱却せぬ」という文章を残している。
東條は、当時の総理大臣だったので敗戦の責任はとるが、自衛のための戦争は
国際法に違反しないと主張した。
日本人は、戦争に負けたという事実は受け入れた。
ポツダム宣言では条件付きの休戦のはずが、アメリカに一方的に無条件降伏に
されて、日本としては騙された気分だが、既に軍隊は速やかに解散していたの
でどうしようもなかった。
日本は、今ではアメリカとは友好関係を保っているし、日米安保条約も取り交
わしている。(領土問題では助けてもらったことはないが)
戦争終結後は、アメリカに戦犯とされて死んだ人々は、戦争終結前に死んだの
だから戦死者であると国内法で決められた。国内法では彼らは罪人ではないの
である。
中国人は、それが日本のダブルスタンダードだと中国政府に教えられているよ
うだ。中国は、普段はアメリカの勝手な行為を激しく非難するが、都合の良い
時はアメリカの無法の行いを正しい基準として日本を批判する。
中国人は、マッカーサーの「極東国際軍事裁判所条例」を、国際法上有効だと
思っている。マッカーサー自身が、後で東京裁判は誤りだったと語っているの
だが、60年たった今でも中国はアメリカの無法裁判をありがたがっている。
いや、日本人の中にも、東條は国際法で正しく裁かれたと思っている者が多い
ので、A級戦犯という言葉を使っている。そして、中国人の感情を思いやって
A級戦犯を分祀しろと言っている。
戦争当時の日本の総理大臣は共謀罪なのか?
東條が総理大臣になったときは、もう日本は戦争に向かう渦の中に巻き込まれ
ており、東條にも戦争は避けることができなかった。アメリカが日本に突きつ
けたハルノートは、それほど過酷なものであった。
何もしなくても、日本はハルノートを突きつけられた時点で既に負けが決定し
ており、自衛戦を余儀なくされていたのだ。その時に、たまたま日本の総理大
臣だった者は共謀罪なのか?
東條は昭和以降、14年間、ずっとアジアを侵略するつもりでおり、結果的に
アメリカと戦争になったのか?
東城自身が、それは違うと証言している。
「わたしは最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には
違反せぬ戦争なりと主張します」と言っている。アメリカが言う共謀罪には当
たらないと否定している。アメリカが定めた罪で死んだ人々は、国内法では罪
に定められない。それは日本の法律である。
中国はアメリカの私刑[リンチ]が正しく、日本の国内法が間違っていると思っ
ている。マッカーサーが作った法律で殺された日本の戦死者が靖国神社に合祀
されたことに文句を言っている。中国が文句を言えば、日本は国内法も曲げ、
宗教も変えるのか?
もし、戦争に勝った国が、好きなように負けた国のトップを死刑にできるのな
ら、国際法は無意味なもので、戦後60年たってもあいかわらず世界は強い者
が弱い者をクイモノにする野蛮な時代であるということだ。
問題は、あなた自身が、自衛しようと戦争になった国の総理大臣に石を投げる
ことができるのか、ということだ。自衛戦争だったのか、14年間も日本全体
がアジアを征服しようと計画した過程でアメリカと戦争になったのか、真実は
どこにあるのかだ。
鎖国状態でいた日本に、力ずくで開国を迫ったペリーに脅され、日本は西洋に
植民地にされることを嫌って動き出した。それが間違いだったのだろうか。
答えは、あなた自身が決めるべきだ。日本は国民が政治家を選べる国なのだ。
――――日本が戦争にいたった過程を良く調べ、考えて頂きたい。
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