武士道について書かれた本
北影雄幸著『三島由紀夫と“葉隠”』(彩雲出版)
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三島由紀夫が座右の書としたのが、武士道の精髄を叙した『葉隠』だった。
佐賀鍋島藩の熱狂的な忠節と行動学と死に方を説いた、この山本常朝の書は後世にのこる名言を残した。
「武士道といふは死ぬことと見つけたり」
これが武士道の真髄だという佐賀藩独特の忠誠心の主張になぜ三島はあれほどの共鳴を示したのか?
三島はカッパブックスの『葉隠入門』のカバーにつぎのように書いた。
「(この本を引き受けた理由は)まことに単純であり、浅薄でもある。つまり、私が断れば、だれかほかの人がこの本を書くだろう。私は自分の『葉隠』をほかのだれにも渡したくなかった」(中略)「1960年代にいたって、『葉隠』は、じつに、無気味なほど、現代的な本になってきた。こんなモダンは本はあるまい」(旧全集第33巻、116p)。
『葉隠』は戦後、GHPによって禁書にされ、「日本精神を鼓舞する危険な思想書」という不当な扱いをうけた。
歴史教科書に墨を塗らせ、大東亜戦争を太平洋戦争と呼び返させた一連の占領行政の文脈の中で、「検閲」が罷り通り、あらゆる歴史的にただしい書籍はおなじ扱いを受けた。「忠臣蔵」も楠木正成もヤマトタケルも東郷平八郎も教科書から消えていった。
その後、日本では長い間、武士道精神の滅却とともに『葉隠』も省みられなかった。
三島は昭和42年にカッパブックスに『葉隠れ入門』を書き下ろす。
そして文豪・三島が書いたことに瞠目した多くの日本人によって葉隠精神は現代日本に甦った。
戦争中、若い兵士らは、この葉隠を背嚢に背負って戦地へ赴いた。
それが復活したか、どうかは別にして、生命だけが価値観ではない、という考え方が拡がった功績は、ひとえに三島が『葉隠』を伝統的で同時に現代的な解釈をほどこして、現代日本人に訴えかけるように血書のごとく綴ったからである。
さて本書は、三島が瞠目した『葉隠』の精髄を三島の解釈を基礎におきながら、もっと広く全体を捉え直し、検証をやり直した北影氏の労作である。
こういう哲学的見地から葉隠と三島の精神的哲学的結合を捉え直す作業は、こんにちまでなかった。
著者は「葉隠ほど魅力的だが、同時に危険な書もない」として、その理由を「抜き身の日本刀同様に美しく且つ危険」だからだと言う。
三島は『葉隠』を哲学書として捉え、行動哲学、恋愛哲学、生きた哲学の三大特色がある、としてこういう言葉を残した。
「いわゆる戦後文学の時代は、わたしに何らの思想的共感も、文学的共感も与えなかった。ただ、わたしと違った思想的経歴を持ち、私と違った文学的感受性を持つ人達の、エネルギーとバイタリティーだけが、嵐のようにわたしのそばを擦過していった。私はもちろん、孤独を感じた」。
三島は葉隠武士と特攻の精神とを重ねて「雲間の青空のような不思議な、すみやかな明るさ」が共通しているとして、「花は散り際、武士は死に際」(葉隠)に美を求められていることが、「ふしぎにも結合する」と文学的に比喩した。
その結果、三島は「戦争中から戦後に賭けて一貫する自分の最後のよりどころは」と考えてみて、それは『資本論』でも『教育勅語』でもなく、『葉隠』であったのだと述懐するに至る。
(えっ。ドルジェル伯の舞踏会は、コクトォは、上田秋成は?)
『葉隠』の思想を集約したものは四誓願である、として著者の北影氏は、つぎの四つを箇条書きに提示されている。
一、武士道においておくれとり申すまじきこと
一、主君の御用にたつべきこと
一、親に孝行つかまつるべきこと
一、大慈悲をおこし、人のためになるべく候こと。
この原則からはずれた西行や赤穂浪士をこっぴどく山本常朝は批判した。赤穂浪士は、一年九ヶ月も経って「遅れて」行動したのであり、しかも本懐をとげて泉岳寺へ行ったのなら、なぜそこですぐに切腹しなかったのか、それは武士道に悖る、という論理だ。
そういえば三島は最後の行動に出る数ヶ月前に「石原慎太郎氏への公開諌言状」を書いて、「所属する政党の悪口をいうのは武士道に悖る」と痛罵した。
ともかく平明単純で、しかし実現の難しい葉隠れの原則は、その時代の精神を照らした。三島はこうも書いた。
「青年の意見がおそれられるのは動乱の時代であり、しばらく平和な時代が続くと青年の意見は無視されるようになる。中国の紅衛兵問題は、日本のある若い人達に痛快な刺激をあたえた。
(中略)昭和十年代の日本における青年将校の思想が、様々な曲折のうちに結局、悪しき政治目的に利用された」けれども、「青年の意見がそのまま国の根幹を揺るがし、かつ国の形成に役立ったのは、明治維新」だった、と総括した。
誤解されることの多かった葉隠を徹底的に解剖した本である。
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武士道ねえ、、、。本を読まないと分からないなあ。
武士道がまだ日本人の心に残っているから
日本人は企業に忠実に働くのかな。