インドネシアの話。
私が東南アジアの大国インドネシアの人々に初めて接したのは学生時代、
60年代の前半です。
当時日本の賠償を原資に、インドネシア初代大統領スカルノは多くの留学生を
日本に派遣していたのです。
当時は、インドネシアだけでなくビルマやマレーシアなどからも多くの留学生が
派遣されてきていました。
山中湖で彼らとキャンプファイアを囲んだことなと思い出します。
新橋のインドネシア料理の店「インドネシヤ・ラヤ」を知ったのもこの頃でした。
学校を出て国際金融の専門の銀行に入り、何年か経った70年代前半の頃、日本の
企業はインドネシアなど東南アジアへの進出を活発化していました。
私も多くの進出案件を手掛けることになりました。
二十年後、案件の工場も立派に稼動している野を見て感動しました。
当時は日本からの投資ラッシュで本当に多忙な日々でした。日本企業の投資は
人口が多いインドネシアに雇用機会を増やし、技術を移転させ、豊かにするメリッ
トがあること、人手不足に悩む日本も助かることなどを説明しました。
ジャカルタの街角などでは子供達が、物売りや、雨が降りに傘を差し出すなど
して、収入を得る姿がよく見られました。
デモ、この国の子供達は明るく元気でした。これは中米の子供やメキシコの
子供達とは大違いでした。
98年アジア経済危機の深刻化しスハルト政権が崩壊、経済が混乱したため、
日本から援助が行われることになり、私にインドネシア行きの打診がありました。
99年2月6年振りに余りのジャカルタの町並みに胸が熱くなりました。
二回目のインドネシアで驚いたことは、大きな変化、特に有為な人材が多数
育ってきていることでした。
若い人は特に変わりました。パソコンで不具合が起きると女性秘書に頼りっきり
でした。ホテルの長期ステイしていましたが、愛想は抜群、仕事は心もとない
年配者と、バリバリ仕事をこなし、信用できる若い女性スタッフが対称的でした。
この様な人材が多くなり、よき指導者がリード、システムが駆使されれば
この国は更に発展すると確信したものです。
インドネシアは300年間オランダの植民地でした。
その間、オランダ人が作った学校はオランダ人と、それに準ずる機能を果たし
ていた華僑の子弟だけを目的とするもので、余程優秀でなければインドネシア
人は学校へ行けなかったのです。
バンドン工科大学を卒業したスカルノ(初代大統領)などは例外中の例外でした。
スカルノ大統領は戦時中、日本軍に協力し、独立の準備をしましたが、彼の
日本への惚れ様は傑出していました。
ジャワを占領した第16軍司令官今村中将(後大将)が人格者であったことも
あるのでしょうが、それだけではないでしょう。
日本人の規律の良さは今でもインドネシアの人々に刷り込まれているのです。
兎に角スカルノ大統領は日本を手本にしました。
独立後スカルノが最も力を入れたのは、教育です。彼は日本の明治維新を
模範としたのです。
領土が広く種族が多く、言葉が夫々異なるインドネシアでは、国語に定めた
インドネシア語を広めるなど教育こそ国の第一の施策であるべきだと
喝破しました。あの学生時代に会った多くの留学生を日本に送り込んだのも
理由が在ったわけです。
出来れば日本人の女性をお嫁さんにして帰って来いということもあったといい
ます。そういった教育に係わる一連の施策の継続の末に、今日私が感じるよう
な優秀な人材がそこかしこに輩出する様になった訳です。
何といっても日本は彼等の兄貴分なのです。
インドネシアは1945年8月17日日本軍の援助の下に独立しました。
独立を援助することは、既に降伏した日本軍には許されざる行為ですから、
これを決行した前田海軍少将は自決しました。命に代えての独立支援だった
のです。独立の際の写真には日本の軍人の姿も写っています。
スカルノは多民族でイスラム教徒が9割を占めるこの新しい国をイスラム国家
とはしませんでした。キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒など多くの人々が
等しく同じ国民となれる国を作ることを決意していたのです。
年号についても、植民地支配をした西欧のキリスト紀元もイスラム暦も採用し
ませんでした。彼が採用したのは日本の皇紀だったのです。
ですから、独立の年は2605年です。ここにもスカルノの日本への惚れ込みよう
が滲み出ています。
然し、独立宣言はしたものの、再度植民地化を狙うオランダに対する独立
戦争を開始しなければなりませんでした。
日本兵の中にも残留し、インドネシア軍に参加し戦う人達が大勢いました。
これらの日本兵は長年日本では「脱走兵」という扱いでしたが、10年程前
名誉を回復しています。
独立戦争の最終段階近く、オランダは独立を与える代償に60億ドルを
要求しました。
植民地時代の収奪の末にこの巨額を要求する当時のヨーロッパ人の傲慢な
"神経"、"常識"が窺えます。
勿論そんな金はないし、支払いは断然拒否されました。
一方、オランダの再支配の期間に多くの日本人が、戦犯として無実の罪で
処刑されています。
今の日本人の白人の持つ人種差別感情への恐ろし鈍感さを再度指摘して
おきます。今日の鈍感な日本人には、この当時のオランダ人の日本人への
憎しみと復讐心は理解も想像出来ない筈です。
彼等オランダ人は一度有色人種日本人に屈辱の敗戦を味わったのです。
その復讐心は物凄いものでした。
これが無実の日本人の多くを戦犯として処刑することになったのです。
今村大将は、この戦犯裁判を受けるために、進んで日本からインドネシア
(オランダ領印度)に赴き収容所に入りました。
その時周囲の監獄に収容されている独立戦争で捕虜になっていたインドネ
シア人達が一斉に日本の軍歌を歌い今村大将を歓迎したそうです。
これは密かにスカルノが指令したものだったといわれます。
その後、日本は円借款を中心にインフラの整備、エネルギー開発などこの
地域の発展に貢献します。
無償援助で教育、技術、医療など人材育成にも貢献して行きます。
こういった官による協力に加え、民間企業も投資による、製造業など現地
生産拠点の設立を行います。
雇用を増やし、技術を移転し、官と共に、民も人材育成に協力します。
なんと言ってもこの民間による経済活動での人事技術交流が大きな影響を
与えたことは間違いありません。
こうして日本はこの地域の結びつきを強めていきました。長い時間はかかり
ましたが、やがて、この地域に活気が満ち始めました。
そして、雁行形(型)の成長と言われる、日本を先頭とするフォーメーションが
形成されこの地域の経済のテークオフが始まったのです。
(註ビルマ=ミヤンマーや、ベトナム、ラオス、カンボジアなど体制が異なる国は
ASEANへの参加が遅れたこともあり、現在はこの段階にはありませんが、
いずれそうなることが期待されえいます。)
マレーシアのマハティール首相は「ルック・イースト」「EAEC構想」を即ち
日本とASEANが一つにまとまった経済圏を提唱しました。
その後、欧米資本の流入、アジア経済危機の時代を経て、IMF,日本などの
支援。 その後、今日の状況になってきています。
彼等は何故日本を手本にしたか。敗戦後の当時、日本は欧米を中心とする
世界から、「侵略国家、戦犯国家」と指弾されていた国でした。
それなのに、東南アジアの人々は日本を手本としたのです。
それは明治維新とその後の発展が強い印象と動機となったこともあるでしょう。
然しそれだけではない筈です。
彼等が接していた日本人が人格において魅力的だったからでしょう。
それなくしてはありえません。もし、日本人が欧米人が看做した様な、
侵略国家、戦犯国家であり、日本国民がその通りであったら、如何に明治
維新が素晴らしくとも、目の前に下日本や日本人を手本にするわけがあり
ません。スカルノだけではなく、東南アジアの多くの指導者は目の前の日本人、
接触した日本人に惹かれたのだと思います。この観点をを欠いて彼等が
日本を手本にしたと考えるのは想像力の欠落です。
彼等が戦前、戦時中、戦争直後に接していた日本人達は魅力的であった筈
です。当時の日本人は多分今日の日本人よりはるかにに魅力的だったの
でしょう。それが何故今日の日本人には知られていないのか。
あの戦争で多くの若者が戦死されました。
彼等は、祖国を守るためと、東南アジアの植民地の解放のために戦い亡くな
りました。彼等は自分達の志が後世の日本人によって継承されると信じて
亡くなられました。
嘗ての植民地東南アジアが今はASEANとなり、テークオフに成功しました。
これこそ英霊が、後世に期待し、思い描いていた夢の実現であると思います。
(SA生、在カナダ)
(宮崎正弘のコメント)おっしゃる通りでインドネシア独立戦争に協力した日本
人のことは最近、映画にもなりました。ところで今村均大将ですが、小生、
学生時代に何回かお目にかかりました。
当時、世田谷の経堂にお住まいで、長屋の延長のような粗末な家でしたが、
そこに「スハルト大統領も遊びにきた」と言っておられました。
スハルトは、今村さんがインドネシア時代に「草履とり」だった由です。
まことに人格円満の好々爺で、しゃべり方も人徳が滲み出てくるような人物。
強烈な印象をいまも抱きます。ともかくアジアへの熱い思いがひしひしと
伝わって来ました。有り難うございます。
(編集部より)SAさん、あまりに長いので一部の御文章を割愛させて頂きました。
◎宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
◎小誌の購読は下記サイトから。(過去4年分のバックナンバー閲覧も可能)。
http://www.melma.com/backnumber_45206/
↑
中国に興味のある方は宮崎正弘の無料メルマガを購読してね。
今の日本人は、まだ魅力的かな。