今度の土地は何でも良く育つ土地ですよ。 | 日本のお姉さん

今度の土地は何でも良く育つ土地ですよ。

哀れむべし、保身の公僕--役職を鎧に、無恥さらす

 「人として扱われなかった」--。きょう21日、政府から初めて謝罪の言葉を聞く予定の「ドミニカ移民訴訟」原告の言葉だ。彼ら日系移民は、半世紀を経ても外務官僚を許せなかった。それは、荒れ地に送り出された損害だけではない。官僚から受けた差別的な扱いを忘れられないのだ。移民蔑視(べっし)はかなり改まったとはいえ、完全に消えてはいない。情報収集など海外の実務で日系人に頼り切る外務官僚は「彼らあっての自分たち」という公僕の立場を、もう一度考えた方が良い。

 6月の東京地裁判決は、50年代にずさんな移住政策を進めた国の責任を認めながらも「時効」を理由に訴えを退けた。原告団170人は控訴したが、国側が今月、政府謝罪と1人当たり50万~200万円の見舞金を支給する方針を決め、原告がこれを受け入れ、一応決着する見通しだ。原告団が、日本への渡航費用ほどの額で引き下がるのは、彼らが真に求めていたのが、金ではなく謝罪だったからだろう。なぜ彼らは謝罪にこだわったのか。

 52年に始まる戦後の移住政策で、74年までに6万3000人余りが中南米、カリブ圏に渡った。敗戦国が食糧難を乗り切るため、国民を送り出すのはやむを得ない選択だったのだろう。だが、情報収集能力に欠ける日本政府が受け入れ国にうそをつかれ、まともな調査をしなかったのはやはり拙速だ。その結果、移民はひどい目に遭わされた。

 肝心なのはその後始末だ。在外邦人が窮地に陥れば、柔軟に策を講じるのが外務省の仕事だ。しかし、ドミニカ移民が50年代、遠方の首都にある日本公使館(当時)に足を運んでも、ろくに面会を許されなかった。時に顔を出す公使は「本省の返事待ちです」と言うばかりだった。

 00年に公開された外交文書に外務省の姿勢が表れている。一部移住者の帰国を決めた際の「秘」印付きの文書には「計画移住の不手際を暗に認めることになりはしないか」「いかなる形でも政府の責任を認めることは妥当でない」と、保身を第一に考えていたことが分かる記述が目立つ。

 若槻泰雄・元玉川大教授(81)は63年まで外務省の外郭団体からボリビアなどに派遣され、後に「外務省が消した日本人」を著した。若槻さんによると、外務官僚は60年代、「移住や開拓は自分一代のことでなく孫子のことを考えねばならない」(当時の外務省移住局長)、「ドミニカ国に同化し、ドミニカ国民になり切れ」(同在ドミニカ大使)などと語っていた。

 移住しその日の食料にも事欠いた移民にとり、実体験もなく現地事情も知らない官僚に、もっともらしいことを言われるほど腹の立つことはないだろう。

 日本人の多くは、個がない分役職を鎧(よろい)にし高いポストに就くとつい厚顔無恥をさらす。異国での生存能力、情報収集力で移民の足元にも及ばない官僚が、平然と移民を見下す。若槻さんはその象徴として、ある外務官僚の信じがたい言葉を教えてくれた。移住者の輸送監督を任じられ「いやしくもキャリア(外交官)に移民と直接接触しなければならない下賤(げせん)な仕事をさせるとは何事か」と大声を上げたというのだ。

 移民たちは98年、ドミニカ共和国から「50年代に約束された土地を譲渡する」と唐突に言われた。だが、彼らが「日本政府が裏でドミニカ政府を動かした」という情報を得るのはたやすかった。

 ドミニカ原告団事務局長、嶽釜(たけがま)徹さん(68)は98年、日本大使とこんな会話を交わした。「今度の土地は何でもよく育つ所ですよ」「大使はいつご覧になったんですか」「2、3日前なんですが、JICA(国際協力機構)の専門家がそう言っておりますので」

 嶽釜さんはその時の怒りを忘れられない。「この人たちは、いまだにわれわれの気持ちが分かっていない。非があると思うのなら、なぜ私たちに謝らないのか。なぜドミニカ政府を使い、ドミニカに不手際があったような芝居をするのか」。提訴を本気で考えたのは、まさにその日だった。

 このような土地譲渡で取り繕えると考えるところが官僚の想像力のなさだ。移民たちがそれで喜ぶとみなしたのだ。「差別です。われわれを同等の人間と思っていない」(嶽釜さん)

 ドミニカ訴訟報道で目についたのは「かわいそうな移民という視点だ。だが、彼らの多くは異国で援助も肩書もなく、一代で富と地位を築いた人々である。むしろ哀れむべきは、組織にしばられ本音も言えず、ポストこそが自分の人格であるかのように振る舞い、相手の心を知りえないまま、日系移民をただ見下してきた人々だ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/


もう亡くなられたが、騙されてドミニカで苦労した日本人移民1世が、

「お金をくれというのではありません。日本政府に謝ってもらいたいの

です。」と言っていた。

日本政府は、日本人を助けるのが仕事なのに、、、。

やっぱり日本では、政治家になった人間は保身に走って、まともに日本人の

ことを助ける気が無いのだなあ。なぜ、そんな人間が政治家になるのか?

なぜ、日本人を愛さない?戦後の日本人だから?戦前の日本人も、

そうだったの?昔から日本人って、こんなの?

中国で、北朝鮮の脱北者家族が、中国の公安に捕まって地面に

叩きつけられたりしているのに、側でぼおっと立っている日本人の

大使館員を見ていると、日本の官僚は、能無しだと思う。

教育も何も施さず、採用試験に受かったというだけで中国に送ったのだろう。

日本の恥をさらした。ドミニカに送られた日本人が、日本の官僚にひどい

ことを言われ続けていたなんて、知らなかった。

もしかして、ドミニカ以外にも、似たようなことが起こっているのかも。

小泉首相は偉いな。ちゃんと、ドミニカに渡った移民に政府として謝ったから。

今までの首相がやらなかったことを、たくさんやりとげた。

一部だけど、北朝鮮から拉致被害者を取り戻したし、ドミニカに行った

日本人移民も納得してくれた。日本にいる朝鮮半島から来た移民や、

同和関係の自称差別されている人々には、日本は甘いのに、自国民には、

冷たいとはどういうことだ。戦争に敗れて、心まで腐ったか。

この辺でわれに返って、ステキな日本人に戻らなくてはどうする。

それとも、日本人は、戦争の前から、こんなの?

生まれていないから、知らないなあ。