『氷点』事件のその後
【女子大学院生まやの中国社会ニュース】
中国共産主義青年団(共青団)機関紙、『中国青年報』の
付属週刊誌『氷点』が、2006年1月24日に停刊処分を
受けました。
当時の主幹編集長であり、約11年前に
『氷点』を創刊した李大同氏が、
ネット上に異例の『抗議文』を掲載したことから、
海外メディアを中心に、大きく報道されました。
特に、日本メディアのそれは熱心でしたね。
李大同氏らが更迭になってから、
すでに5ヶ月あまりが経ちました。
この5ヶ月間で、『氷点』は復刊し、
少しも読み応えのない『氷点』へと姿を変え(李氏談)、
更迭された主幹編集長は
事件の全容を綴った著書を日本で発売し、
日本では産経新聞が異例の「待遇」で
(としか思えない)
『氷点の裏側』の一部を抜粋、転載、
(掲載日の新聞を見たときは驚きました。
そこまでするか!と思って)
事件発生前に李大同前主幹編集長が執筆、出版されていた
『氷点故事』
(『氷点』創刊から十年間を振り返った本)は、
いくつかの国で翻訳され、出版される運びとなりました。
更迭されたとはいえ、
現在もなお『中国青年報』の社員である李大同氏は、
「研究センター」での勤務を命じられていますが、
実際には、週に1度新聞社へ出社する程度で、
ほぼ「自宅待機中」の身。
李氏は89年の天安門事件の際にも
「反乱を起こし」て、
5年間、「研究センター」にて
「干されて」いたことがあったので、
今回の処分についても
「年齢も大きくなったし、前にも経験したし、大した事ではないさ!」
と述べていました。
本を執筆する他にも、
李氏は自身のブログ上で記事の発表を続けています。
氷点事件以前に、李氏はブログ会社に頼まれて、
ブログを書き始めました。
「頼まれたから書くけれど、面倒くさいな、
だったら『氷点故事』の原稿を掲載すればいいか」
と言う感じで、
エントリーのほぼ全てとは、
既に出版されていた書籍の原稿を転載していただけでした。
ところが、『氷点』 の停刊が通達された午後には、
李氏本人に通知することもなく全てのエントリーが削除されてしまった。
実はあまり知られていませんが、
李氏は別のブログも持っています。
事件後ブログが削除され、
『氷点』からも姿を消してしまった李氏のことが
気になって仕方なかった時。
本人から
「実は別にブログを持ってるんだよ、
そこのサイトでは匿名で書いてるんだけど、
内容を読めば分かる人には
分かるんだよ、
この作者が一体何者かってね」
ずっとずっと昔のこと、
本当は小説家になりたかった李氏は、
このブログに匿名で小説を掲載していました。
ところが、
氷点事件が起こり、
身辺が慌ただしくなり、
公の場での発言機会をほぼ奪われた氏は、
このブログにも中央宣伝部に対する抗議文や
公開の手紙などを掲載し始めます。
当時、インターネットの検索エンジンでは、
「氷点」や「停刊」、「李大同」というキーワードが
「アク禁」になっていたことも一時期ですがありましたから、
「そんなものを掲載して大丈夫なんですか!」
という私の心配を
「ブログとは言っても、
sina.com とかsohu.com
(大手ポータルサイトで、大陸のブログブームの先がけ)
みたいに大きなところじゃないから
大丈夫なんだよ!
匿名だしね!」
と笑い飛ばしていた李大同。
氏の認識に反して、
この「匿名の作者」が書いているブログは、
常に人気ブログランキングの上位にランキングされるようになり、
アクセス数も日に日に伸びていきます。
そして。
先月、6月7日付のエントリーからは
突然、ブログ記事にパスワードがかけられ始めました。
この日の表題は、
『「新消息」(ショートメッセージもしくは
電子メールにて、
パスワードを取得してください、
******←李氏のメ―ルアドレス)』
そこには、
近く香港で発売されることになる李氏の
(大陸では)2冊目となる著書
『用新聞影響今天』を書き終えたこと、
この本には「氷点事件」の全容と文献、
これまで公表されることのなかった
89年の天安門事件の際に
当時の政治局常任委員との
三時間に及ぶ対話内容が
含まれていることが書かれていました。
続けて、
このようにパスワードを設定して、
読む事のできる人を制限したのは、
この本が大陸では「発禁」となるためであり、
この本を購入したい人は、
自分のメールアドレスに連絡をくれれば、
統計をとって(香港の)出版社に発送してもらう、
と書かれていました。
2日後の6月9日からは
全てのエントリー記事にパスワードが設定されています。
では、
李氏はパスワードを設定してまで
一体どのような記事を掲載しているのか。
それは、先日日本で発売になった
「『氷点』停刊の舞台裏」の原稿
および
香港で出版される著書の最終章です。
「氷点事件」の全容を赤裸々に語っている「『氷点』停刊の舞台裏」とは、
日本先行発売(というか、日本のみで発売中なのですが)であり、
通常であれば、
このように「敏感」な文章は、
現在のところ国内では「絶対に」発表できないものですし、
(ブログや掲示板でも)
パスワードを設定しているとはいえ、
ブログを跡形なく「抹消」されてもおかしくないのです。
では、
なぜ李氏は掲載しつづけることができているのか。
それは、李氏が利用しているブログ会社の
ある若い編集者の力添えによるものでした。
「みなさまへ:
わずか数日の間で、
パスワードを教えてほしいというたくさんのメール受け取り、
私は非常に感動しました。
私がこのようにするのも、
ブログ会社の管理人を守るためなのです。
管理人である非非という若いお嬢さんは、
事件が起こり始めた時に、
私のこのブログを削除せよ、
という政府からの指令を受けました。
彼女は私のエントリーを一つ削除した後、
(保存した後で私に通知をしてくれた)、
それ以上削除し続ける事を拒絶し、
仕事を失うかもしれないという巨大なリスクを犯してくれました。
よって、
このブログは奇跡的に今日まで保存されているのです。
私はこれ以上彼女に迷惑をかけたくないと思っています。
皆さんも理解してくださるだろうと私は信じています。
皆さまへの感謝の気持ちとして、
本日からは、
新しく出版される著書の最終章を連載していきます。
変わらずパスワードの入力が必要です。
申し訳ない。
封殺されることを避けるため、
ネット上での転載はお断りします。
謝謝!」
(6月9日)
この日から、「『氷点』停刊の舞台裏」原稿などが掲載され始めます。
この本の日本出版の際、
東京で出版記念イベントとしてフォーラムが開かれ、
たくさんの日本メディアが取材に駆けつけました。
李氏本人は日本へは行かず、
ビデオレターという形でコメントを述べたそうですね。
先日、李氏と食事をした時のこと、
私は
「あんな本を出版して、本当に大丈夫なんですか?しかも日本で……」
と尋ねたのですが、
「大丈夫さ!こんなに外国メディアが大きく取り上げてるんだから、
あちらも簡単には手を出せないだろうさ!」
と笑い飛ばしていました。
(余談ですが、李氏はとにかく声が大きい。
カフェやレストランじゅうに響き渡るほどの大声で、
思わずこちらが制止してしまいたくなるような話をしてくれます)
しかしながら、李氏の周りはというと、
やっぱり心配しているようで、
両親に「日本でこんな本を出した」と伝えたところ、
氏の父親はひどく怒って(心配して)こう言ったそうです:
「よりにもよってどうして
(一番最初に出版された国が)
日本なんだ!」
周りの心配をよそに、
大陸では発禁扱いとなった新作の原稿を掲載し続けます。
6月17日付のエントリー記事、
『出版社に代わって、ネチズン各位への通知』では
著書名
出版社名
価格および送料が紹介され、
その下には、
出版社のメールアドレスが書かれており、
大陸に住む読者はこのアドレスにメールを送って、
このZ氏と
(香港の出版社関係者)
購入册数と発送場所、支払い方法を伝えるように。
出版先の安全を守るため、
ここに掲載された情報のネット上転載を禁止する、
だけどメールで友人たちに紹介してください、
と購入方法を指南しています。
私はこの記事を読んだ時、
ここまでするジャーナリストがいるのか、
とただただ驚くだけでした。
私にとっては、
中国という国では
「報復は、忘れた頃にやってくる」
という印象が強いので、
余計に心配になります。
今は、日本を含め、
台湾や香港、欧米系のメディアが
『氷点事件』や李氏の発言、行動について
注目を寄せ、大きく取り上げているから、
「あちら」もそう簡単に「手は出せない」かもしれない。
しかしながら、日本や香港で、
大陸では発売する事のできない類いの本を出版していることや、
その本の入手方法を指南しているという動きについては、
いくらパスワードを設定したって、
「あちら」はもちろん全て知っているわけです。
(当然でしょう!)
それでも強行手段に出ないのは、
やはり国内外からの批判を避けるためです。
事件のほとぼりもさめて、
李氏が「時の人」
から
「ただの李大同」、
もしくは「ただの前『氷点』主幹編集長」となった時、
待ってましたとばかりに「報復」されてしまうんじゃないだろうか。
どうしてもそう思えてしまって、怖くなります。
李氏が今後、どのような活動を続けて行くのか。
これからも注目していきたいと思います。
..................................
<編集後記>
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
このメルマガを読んでくださっている方の中にも
「氷点」について注目している方がたくさんいらっしゃるようです。
そういえば、『氷点』の有名カメラマンが今年始めに
日本へ言ったときの事。
横浜へ取材に行き、相手の日本人に
『中国青年報 氷点 カメラマン』という名刺を渡した所、
相手が驚いて「氷点!氷点!知っていますよ!」と言われたそうで、
このカメラマンは
「まさか日本に住んでる日本人が自分たちの『氷点』を
知っているとは思わず本当にビックリしたよ」
と李大同氏に語ったそうです。
<発行人について>
まや
2004年9月より北京に滞在。
現在中国ジャーナリズム教育の最高峰、
中国人民大学ジャーナリズム学科修士課程に在籍中。
購読は以下のURLから行えます。
http://www.mag2.com/m/0000175624.html
中国共産主義青年団(共青団)機関紙、『中国青年報』の
付属週刊誌『氷点』が、2006年1月24日に停刊処分を
受けました。
当時の主幹編集長であり、約11年前に
『氷点』を創刊した李大同氏が、
ネット上に異例の『抗議文』を掲載したことから、
海外メディアを中心に、大きく報道されました。
特に、日本メディアのそれは熱心でしたね。
李大同氏らが更迭になってから、
すでに5ヶ月あまりが経ちました。
この5ヶ月間で、『氷点』は復刊し、
少しも読み応えのない『氷点』へと姿を変え(李氏談)、
更迭された主幹編集長は
事件の全容を綴った著書を日本で発売し、
日本では産経新聞が異例の「待遇」で
(としか思えない)
『氷点の裏側』の一部を抜粋、転載、
(掲載日の新聞を見たときは驚きました。
そこまでするか!と思って)
事件発生前に李大同前主幹編集長が執筆、出版されていた
『氷点故事』
(『氷点』創刊から十年間を振り返った本)は、
いくつかの国で翻訳され、出版される運びとなりました。
更迭されたとはいえ、
現在もなお『中国青年報』の社員である李大同氏は、
「研究センター」での勤務を命じられていますが、
実際には、週に1度新聞社へ出社する程度で、
ほぼ「自宅待機中」の身。
李氏は89年の天安門事件の際にも
「反乱を起こし」て、
5年間、「研究センター」にて
「干されて」いたことがあったので、
今回の処分についても
「年齢も大きくなったし、前にも経験したし、大した事ではないさ!」
と述べていました。
本を執筆する他にも、
李氏は自身のブログ上で記事の発表を続けています。
氷点事件以前に、李氏はブログ会社に頼まれて、
ブログを書き始めました。
「頼まれたから書くけれど、面倒くさいな、
だったら『氷点故事』の原稿を掲載すればいいか」
と言う感じで、
エントリーのほぼ全てとは、
既に出版されていた書籍の原稿を転載していただけでした。
ところが、『氷点』 の停刊が通達された午後には、
李氏本人に通知することもなく全てのエントリーが削除されてしまった。
実はあまり知られていませんが、
李氏は別のブログも持っています。
事件後ブログが削除され、
『氷点』からも姿を消してしまった李氏のことが
気になって仕方なかった時。
本人から
「実は別にブログを持ってるんだよ、
そこのサイトでは匿名で書いてるんだけど、
内容を読めば分かる人には
分かるんだよ、
この作者が一体何者かってね」
ずっとずっと昔のこと、
本当は小説家になりたかった李氏は、
このブログに匿名で小説を掲載していました。
ところが、
氷点事件が起こり、
身辺が慌ただしくなり、
公の場での発言機会をほぼ奪われた氏は、
このブログにも中央宣伝部に対する抗議文や
公開の手紙などを掲載し始めます。
当時、インターネットの検索エンジンでは、
「氷点」や「停刊」、「李大同」というキーワードが
「アク禁」になっていたことも一時期ですがありましたから、
「そんなものを掲載して大丈夫なんですか!」
という私の心配を
「ブログとは言っても、
sina.com とかsohu.com
(大手ポータルサイトで、大陸のブログブームの先がけ)
みたいに大きなところじゃないから
大丈夫なんだよ!
匿名だしね!」
と笑い飛ばしていた李大同。
氏の認識に反して、
この「匿名の作者」が書いているブログは、
常に人気ブログランキングの上位にランキングされるようになり、
アクセス数も日に日に伸びていきます。
そして。
先月、6月7日付のエントリーからは
突然、ブログ記事にパスワードがかけられ始めました。
この日の表題は、
『「新消息」(ショートメッセージもしくは
電子メールにて、
パスワードを取得してください、
******←李氏のメ―ルアドレス)』
そこには、
近く香港で発売されることになる李氏の
(大陸では)2冊目となる著書
『用新聞影響今天』を書き終えたこと、
この本には「氷点事件」の全容と文献、
これまで公表されることのなかった
89年の天安門事件の際に
当時の政治局常任委員との
三時間に及ぶ対話内容が
含まれていることが書かれていました。
続けて、
このようにパスワードを設定して、
読む事のできる人を制限したのは、
この本が大陸では「発禁」となるためであり、
この本を購入したい人は、
自分のメールアドレスに連絡をくれれば、
統計をとって(香港の)出版社に発送してもらう、
と書かれていました。
2日後の6月9日からは
全てのエントリー記事にパスワードが設定されています。
では、
李氏はパスワードを設定してまで
一体どのような記事を掲載しているのか。
それは、先日日本で発売になった
「『氷点』停刊の舞台裏」の原稿
および
香港で出版される著書の最終章です。
「氷点事件」の全容を赤裸々に語っている「『氷点』停刊の舞台裏」とは、
日本先行発売(というか、日本のみで発売中なのですが)であり、
通常であれば、
このように「敏感」な文章は、
現在のところ国内では「絶対に」発表できないものですし、
(ブログや掲示板でも)
パスワードを設定しているとはいえ、
ブログを跡形なく「抹消」されてもおかしくないのです。
では、
なぜ李氏は掲載しつづけることができているのか。
それは、李氏が利用しているブログ会社の
ある若い編集者の力添えによるものでした。
「みなさまへ:
わずか数日の間で、
パスワードを教えてほしいというたくさんのメール受け取り、
私は非常に感動しました。
私がこのようにするのも、
ブログ会社の管理人を守るためなのです。
管理人である非非という若いお嬢さんは、
事件が起こり始めた時に、
私のこのブログを削除せよ、
という政府からの指令を受けました。
彼女は私のエントリーを一つ削除した後、
(保存した後で私に通知をしてくれた)、
それ以上削除し続ける事を拒絶し、
仕事を失うかもしれないという巨大なリスクを犯してくれました。
よって、
このブログは奇跡的に今日まで保存されているのです。
私はこれ以上彼女に迷惑をかけたくないと思っています。
皆さんも理解してくださるだろうと私は信じています。
皆さまへの感謝の気持ちとして、
本日からは、
新しく出版される著書の最終章を連載していきます。
変わらずパスワードの入力が必要です。
申し訳ない。
封殺されることを避けるため、
ネット上での転載はお断りします。
謝謝!」
(6月9日)
この日から、「『氷点』停刊の舞台裏」原稿などが掲載され始めます。
この本の日本出版の際、
東京で出版記念イベントとしてフォーラムが開かれ、
たくさんの日本メディアが取材に駆けつけました。
李氏本人は日本へは行かず、
ビデオレターという形でコメントを述べたそうですね。
先日、李氏と食事をした時のこと、
私は
「あんな本を出版して、本当に大丈夫なんですか?しかも日本で……」
と尋ねたのですが、
「大丈夫さ!こんなに外国メディアが大きく取り上げてるんだから、
あちらも簡単には手を出せないだろうさ!」
と笑い飛ばしていました。
(余談ですが、李氏はとにかく声が大きい。
カフェやレストランじゅうに響き渡るほどの大声で、
思わずこちらが制止してしまいたくなるような話をしてくれます)
しかしながら、李氏の周りはというと、
やっぱり心配しているようで、
両親に「日本でこんな本を出した」と伝えたところ、
氏の父親はひどく怒って(心配して)こう言ったそうです:
「よりにもよってどうして
(一番最初に出版された国が)
日本なんだ!」
周りの心配をよそに、
大陸では発禁扱いとなった新作の原稿を掲載し続けます。
6月17日付のエントリー記事、
『出版社に代わって、ネチズン各位への通知』では
著書名
出版社名
価格および送料が紹介され、
その下には、
出版社のメールアドレスが書かれており、
大陸に住む読者はこのアドレスにメールを送って、
このZ氏と
(香港の出版社関係者)
購入册数と発送場所、支払い方法を伝えるように。
出版先の安全を守るため、
ここに掲載された情報のネット上転載を禁止する、
だけどメールで友人たちに紹介してください、
と購入方法を指南しています。
私はこの記事を読んだ時、
ここまでするジャーナリストがいるのか、
とただただ驚くだけでした。
私にとっては、
中国という国では
「報復は、忘れた頃にやってくる」
という印象が強いので、
余計に心配になります。
今は、日本を含め、
台湾や香港、欧米系のメディアが
『氷点事件』や李氏の発言、行動について
注目を寄せ、大きく取り上げているから、
「あちら」もそう簡単に「手は出せない」かもしれない。
しかしながら、日本や香港で、
大陸では発売する事のできない類いの本を出版していることや、
その本の入手方法を指南しているという動きについては、
いくらパスワードを設定したって、
「あちら」はもちろん全て知っているわけです。
(当然でしょう!)
それでも強行手段に出ないのは、
やはり国内外からの批判を避けるためです。
事件のほとぼりもさめて、
李氏が「時の人」
から
「ただの李大同」、
もしくは「ただの前『氷点』主幹編集長」となった時、
待ってましたとばかりに「報復」されてしまうんじゃないだろうか。
どうしてもそう思えてしまって、怖くなります。
李氏が今後、どのような活動を続けて行くのか。
これからも注目していきたいと思います。
..................................
<編集後記>
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
このメルマガを読んでくださっている方の中にも
「氷点」について注目している方がたくさんいらっしゃるようです。
そういえば、『氷点』の有名カメラマンが今年始めに
日本へ言ったときの事。
横浜へ取材に行き、相手の日本人に
『中国青年報 氷点 カメラマン』という名刺を渡した所、
相手が驚いて「氷点!氷点!知っていますよ!」と言われたそうで、
このカメラマンは
「まさか日本に住んでる日本人が自分たちの『氷点』を
知っているとは思わず本当にビックリしたよ」
と李大同氏に語ったそうです。
<発行人について>
まや
2004年9月より北京に滞在。
現在中国ジャーナリズム教育の最高峰、
中国人民大学ジャーナリズム学科修士課程に在籍中。
購読は以下のURLから行えます。
http://www.mag2.com/m/0000175624.html