ヒズボッラーはどうしてイスラエル兵を拉致したのか。 | 日本のお姉さん

ヒズボッラーはどうしてイスラエル兵を拉致したのか。

●ガザ北部でイスラエル軍が発射した砲弾が、家族連れのパレスチナ人の

 海水浴客がおおぜいいる海岸に着弾し、子供や女性ら8人が死亡した。

 イスラエル政府は当初、軍が間違った方向に砲弾を発射し、無関係な

 海水浴客を殺してしまったことを認めていた。だがその後、ペレツ国防

 大臣は「内部調査の結果、イスラエル軍の砲弾はパレスチナ人に当たって

 いないことが分かった。海水浴客の死は砲弾を受けたからではなく、砂浜に

 埋まっていた昔の爆弾が爆発したためであり、イスラエル軍は関係ない」

 と発表した。

 アメリカの人権団体は「イスラエル軍の調査は信用できない」と発表した。

●この事件でパレスチナ側は激怒し、ハマスの軍事部門は、昨年の

 イスラエル側のガザ撤退から続けていた停戦を破棄すると宣言し、

 イスラエル側に向けて砲弾を発射するなどの攻撃を開始した。

 イスラエルのガザ撤退の前提になっていた停戦状態は失われた。

●イスラエルの北部国境付近のツアリートの軍施設にヒズボッラーの

 ゲリラが穴を掘って潜入し、巡回中の装甲車両を破壊した。

●そして兵士二名を拘束するとミサイル砲の猛烈な援護射撃に守られて、

  レバノン領内に引き返した。ヒズボッラーは、こうやってかねてから公言

  していたイスラエル兵捕獲作戦(コード名「確かな約束」作戦)を、実行に

  うつした。二週間前にガザでパレスチナ・ゲリラが敢行した捕虜捕獲作戦の

忠実な再現である。

●兵士を奪還すべくゲリラの後を追いレバノン領内に入り込んだイスラエル

軍戦車は地雷に触れて大破。この日戦死した兵士は計8名に及んだ。

 人口の少ないイスラエルにとって、これは大損害である。

 
●今回の兵士拉致劇の発端は2000年5月のイスラエル軍の

  レバノン撤退に遡る。

 当時のエフド・バラク政権が1978年以来の南部レバノン占領に終止符を

 打った理由はふたつあった。ひとつは泥沼化したヒズボッラーとの闘争を

 何とか終わらせよという国内世論が高まったためだ。もうひとつは、

 イスラエル軍が撤退してしまえばヒズボッラーは武装闘争継続の口実を

 失い、レバノン内外の世論に屈して武装解除を強いられるという読みである。
 
●しかしヒズボッラーの軍事力は、イスラエルと対峙するシリアやイランに

とっては 貴重な戦略資産だ。そう簡単に武装解除させるわけにはいかない。

●そこでヒズボッラーが持ち出した武装闘争継続の理屈がふたつあった。

 ひとつはシリアとの境界が不明確なシェバア農地はレバノン領である。

 イスラエル軍はまだレバノン領土を占領しているという主張だ。

 そしてもうひとつはレバノン人やパレスチナ人のゲリラ、政治活動家が

 数千人単位でイスラエルの獄中につながれている事実である。

 「イスラエルには力の論理以外は通じない。政治犯釈放を勝ち取るには、

 イスラエル人を捕虜にして、交換交渉を行う以外にない」と言う論理だ。

 ●2000年7月にヒズボッラーは早速この論理を実践に移した。シェバア

 農地近くでイスラエル軍のパトロール車を襲い兵士3名を拘束したのである。

 その上で、ドイツを仲介に粘り強い交渉を続け、2004年1月にレバノン人

 政治犯23名とパレスチナ人400名の解放を勝ち取った。

 ●なお、交渉が妥結して初めて、この3人の兵士は拉致作戦の際にほぼ

  即死していたことが判明した

  ヒズボッラーは4年近くにわたって捕虜の生死さえひた隠しにして、交渉を

  成功させたのだ。子弟の安否に関する情報を一切得られなかった家族

  には同情するが、ヒズボッラー側の交渉術は見事であった。

 しかしこの時の合意は、ヒズボッラー側にとっても100%満足の行くもの

 ではなかった。サミール・カンタールなど政治犯数名の解放にイスラエルが

 最後まで応じなかったからである。

「レバノン人政治犯については全員を解放させる」というナスラッラー議長の

約束は果たされなかった。この後も捕虜交換交渉は続いたが、ナスラッラーは

ことあるごとに「交渉でらちが明かないのであれば、新たにイスラエル兵を捕
虜とし、イスラエルに捕虜交換を強いる」と公言してきた。捕虜を奪還すると

いう約束が「確かな約束」になるには、早晩新たな軍事行動が必要だった。

ヒズボッラーの計算

 では何故、ヒズボッラーは7月12日に「確かな約束」作戦を敢行したのか?

 ナスラッラーは「作戦発動は前から決まっていた。イスラエル軍のガザ攻撃

とは関係ない」と言う。しかしこれを真に受ける人は少ないだろう。

 盟友のパレスチナ・ゲリラが、イスラエル軍の猛烈な攻撃にも関わらず、

捕虜を引き渡さず頑張る状況をみて、側面支援したのかもしれない。

闇雲に力に訴えるだけで、捕虜解放という基本目標を達成出来ないイスラ

エルに、一層の揺さぶりをかけるつもりだったかもしれない。

もっとうがった見方をするなら、そもそもガザでの捕虜獲得作戦にも

ヒズボッラーが関わっており、当初からガザとレバノンの両戦線でオル
メルト政権を窮地に追い込む計画だったのかもしれない。

真相はわからない。
 
 しかしおそらく作戦実施の決定は、「従来のゲームのルール内におさまる」

という状況判断から発していた。


ヒズボッラーが2000年に兵士3人を拉致したときも、
あるいはシェバア農地に砲撃を加えた時にも、

イスラエルの報復は数日間の局所的な爆撃に留まり、地上軍の侵攻は

なかった。


もう二度とレバノンの泥沼に足を踏み入れたくないという世論はイスラエルに

根強い。ヒズボッラーが保有する膨大な数のミサイルも怖い。

イスラエルとヒズボッラーの間には、2000年5月以降、「恐怖の均衡」とも

言うべき抑止力が確かに存在した。今回もイスラエルが一線を超えることは
しないだろう…ナスラッラーの頭には、そんな読みがあったのではないか。

イスラエルの報復

● しかしこの読みは外れた。「確かな約束」作戦が敢行された直後から、

 イスラエルは戦車部隊を一部レバノン領に侵攻させるとともに、レバノン

 全土に猛烈な爆撃を加え始めた。

 オルメルト・イスラエル首相は来訪した小泉首相が自制を求めても取り

合わず、「これは単なるテロ攻撃ではない。主権国家による戦争行為と

いうべきだ」と、レバノン政府全体の責任を追及。


ガザで兵士拉致への報復として、パレスチナ自治政府とガザのインフラ

全体を標的にしたように、レバノンでも各地の道路や橋梁、発電所さ
らには空港、港湾までも破壊し、陸海空でレバノンを封鎖下に置いた。

●空前の観光ブームを迎えていたレバノン国内はパニックに陥った。

 避暑に来ていたサウジなど湾岸諸国の観光客は、13日に大挙して

 陸続きのシリアへ脱出。

●しかし間もなくシリア領に通じる道路も爆撃で通行不能になり、16日現在、

 フランスや米国は自国民を海路キプロス経由で脱出させようとしている。

 逃げ場のないレバノン人の場合は悲惨だ。

●15日には南部のマルワヒーン村からティール市に向かって脱出を図る

 村人たちのバスが爆撃を受け、23名が殺された。
 「開戦」後のわずか4日間で、レバノン側の死者は100名を超した。

 そのほとんど が非武装の民間人である。もはや虐殺というべきであろう。
 
イスラエルの攻撃の重点対象は、シーア派集住地域である南部やベカー

 高原、そしてダーヒヤ(ベイルート南郊外)。

 特に、関連施設が集中し、ヒズボッラーの心臓部とも言えるダーヒヤは

 集中的な爆撃を受け、ナスラッラー議長の執務室やシューラ委員会

 (ヒズボッラーの最高意思決定機関)事務所も破壊された。

●一方のヒズボッラーは、連日100発近いカチューシャ・ロケットをイスラエル

領内に撃ち込んでいる。その一部はハイファ市タイベリアス市など、国境

からかなり離れた重要都市にも着弾した

●またベイルートを砲撃した戦艦を炎上させ4名を殺害するなど戦果も挙げた。

 16日にはナスラッラー議長みずからテレビ演説を行い、
 「戦いはまだ始まったばかりだ。ヒズボッラーの戦闘能力は無傷で

 残っている」と徹底抗戦を呼びかけている。

見えない危機収拾のシナリオ

 ヒズボッラーの読みが外れたのは、イスラエル政治における軍の影響力

 増大を見落としたからだ。イスラエル軍の中には、「怒りの葡萄」作戦以来、

 ヒズボッラーに対する政府の弱腰な姿勢への反発が脈々と根付いていた。

「怒りの葡萄」作戦とは、ヒズボッラーのカチューシャ・ロケット攻撃を根絶

する名目でイスラエルが1996年に行ったレバノン南部大空襲を指す。

空襲に怯まず、ゲリラは神出鬼没してカチューシャ・ロケットの雨を

イスラエル領内に降らせ続け、イスラエルの世論は作戦の効果に疑問を

持ち始めた。そんな中カナ村で国連の避難シェルターが誤爆され、

民間人100名近くが殺される悲劇が起きる。

イスラエル政府は国内外の圧力に屈して、双方の民間人を標的にしない

という「4月合意」を受け入れ、ようやく停戦にこぎつけた。

合意によってイスラエルは「テロ組織」ヒズボッラーを事実上、交渉の

パートナーとして認知させられたわけだ。
 
 この後2000年にイスラエル軍撤退、2004年には捕虜交換が実現する。

いずれのケースでも軍内部では強い反対があった。

しかし2000年の首相はバラク、2004年はシャロン、いずれもイスラエル

軍の英雄だから、軍の不満を抑えることが出来た。

 今は違う。首相のオルメルトも、国防相のペレツも文民であり、

軍出身ではない。
少々の犠牲を払ってもハマースやヒズボッラーを徹底的に潰してしまい

たい軍にとっては、願ってもない好機なのだ。

それに、ガザとレバノンで相次いで兵士を拉致された失点も挽回せねば

 ならない。 

 ヒズボッラーとしては、多くの犠牲を払って確保したイスラエル兵捕虜を、

何の見返りもなく解放するわけにはいかない。

ここでイスラエルの軍事圧力に屈して、捕虜交換を達成せずにイスラエル

兵を解放することは無条件降伏に等しい。

 一方のイスラエルにとっては、ミサイル攻撃停止と並んで、捕虜解放は

停戦の最低条件だ。

「テロリスト」との交渉には一切応じない、という原則をここで折り曲げて
は、ガザ危機勃発以来の政策の誤りを認めるようなものだ。

 つまり、ヒズボッラー、イスラエル双方ともに、捕虜の問題に関しては

まったく妥協や譲歩の余地が無いのである。


この状況では、仲介者が誰であっても、停戦交渉をまとめるのは至難の

業だ。
  
 1996年のレバノンには、故ラフィーク・ハリーリ首相という類稀な

世界的コネクションを持つ人物が居た。

ハリーリがサウジ王室やシラク・フランス大統領との太いパイプを総動員し、

米国のクリントン政権をも動かして、停戦を成立させた。

 10年後の今、ハリーリ首相はもう居ない。

そして1996年には無かった捕虜問題が加わり、状況を複雑にしている。

当面、危機打開のシナリオは見えない。

鍵を握るシリア

 ヒズボッラーはイスラエルの反応を読み誤ったかもしれないが、

イスラエル側にも読み違いはある。

射程の長いミサイルなど新兵器をヒズボッラーが次々と繰り出し、
ハイファのような重要都市までが攻撃にさらされることは、イスラエル軍に

とっても想定外だったであろう

5日間の徹底的な空爆にも関わらず、捕虜解放は実現しないしミサイル

攻撃も止まない。小規模とは言え国内での反戦運動も始まっている。こん
な展開を、イスラエル軍は予測出来ていたかどうか。

 ナスラッラーはテレビ演説で「戦いは始まったばかりだ」と言うが、

その通りであろう。

消耗戦、持久戦こそゲリラ戦の真骨頂。長引けば長引くほど、

イスラエルにとって状況は不利になる。

 今後の展開を予測する上で鍵になるのは、シリアだ。

これまでのところ、イスラエルはシリアへの直接攻撃は控え、攻撃対象を

レバノン国内に限定している。

だがイスラエルがハマースやヒズボッラーの「黒幕」としてシリアを標的に

加えた場合、「イスラエルは想像を超える高い犠牲を払う」とイラン首脳は

公言している。シリアの「中立」が続くか、それともイスラエルが三正面作戦に

踏み切るか。もしイスラエルが後者を選んだ場合、紛争は一気に

第五次中東戦争へと発展しかねない。

安武塔馬(やすたけとうま)
レバノン在住。日本NGOのパレスチナ現地駐在員、テルアビブと

ベイルートで日本大使館専門調査員を歴任。

現在は中東情報ウェブサイト「ベイルート通信」編集人と
してレバノン、パレスチナ情勢を中心に日本語で情報を発信。
<http://www.geocities.jp/beirutreport/ >

著作に『間近で見たオスロ合意』『アラファトのパレスチナ』

(上記ウェブサイトで公開中)がある。
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イスラエルがガザを空けても、レバノン領内を拠点に活動するヒズボッラー 

は、イスラエルをそっとしておいてくれない。

ヒズボッラーの連中は、生まれた時からゲリラみたいなもので、他に

仕事は無いわけだし、イスラエルと戦うのが生きがいなのだ。

そう簡単に イスラエルをフリーにはしてくれない。

問題が起こらなければ、作るまでだ。

イスラエルに自粛を求めた小泉首相は、アラブ諸国にはかっこよく見えた

だろうが、アメリカやヨーロッパにはひんしゅくものだ。

だって、ヒズボッラーから始めた事件だもの。

調停できない事件に首を突っ込んではまずい。

小泉首相は、行かなければよかったと思う。

日本だったら、たった二人拉致されても、助けにも行かなかっただろう。

日本は国民が拉致されても平気な国だから。


イスラエルが国民が拉致されたら、助けに行くのは天晴れに見える。


日本は、200人拉致されても北朝鮮に攻撃しないもの。

日本人の命の価値は、日本政府にとっては、安いのだ。 

だから、ちょっとうらやましくなる。拉致された二名をほおって置けば

さらにヒズボッラーに調子に乗られて、新たな犠牲者が増えただけだろう。

ヒズボッラーの思惑どうりになったわけだ。日本は、ヒズボッラーに

イスラエルを刺激しないように事件が起こる前に言いに行くべきだった。

言いに行っても聞いてくれる相手ではないが、平和な時にこそ平和を

維持するように働きかけるべきなのだ。

でも、そういうことをするとアラブ諸国は日本に対して怒りを感じると思う。

「アメリカの犬!」とか、言うだろう。だから、今回日本の首相がイスラエルと

ヒズボッラーに意見を言いに行ったのは、アラブ諸国に見せるための

パフォーマンスだったのかな。先に手を出したのはヒズボッラーなんだから

イスラエルに手を出すなというのは、拉致された兵士はあきらめろという

ことでしょう?日本はアラブの味方だということでしょう?


うまく、この戦争が収まるといいけど。