ドミニカ共和国で苦労した日本人の移民たち
1950年代に中米のドミニカ共和国に移住した人たちが劣悪な環境での
生活を強いられたとして国家賠償を求めたドミニカ移民訴訟で、原告団は
13日、政府の救済策を受け入れ控訴を取り下げる方針をほぼ固めた。
原告団の母体になった移民団体「ドミニカ日系人協会」と政府側が、
救済策の見舞金を修正することなどで基本的に合意した。
近く日本の弁護団と現地の原告が話し合い、最終的な対応を決める。
救済案は原告以外の移民も対象で、ドミニカ移民問題は全面解決に
向かう見通しとなった。 関係者によると、合意した案は
(1)移民政策への「遺憾の意」を表す首相談話を出し、21日に首相が
移民代表と面会するのを受けて控訴を取り下げる
(2)原告170人を含む全移民約1300人にドミニカ共和国への移住
期間に応じて50万~200万円の見舞金を支給する――ことが柱。
見舞金の支給額について、当初の政府案では、原告ではないドミニカ
在住者の団体「日本ドミニカ友の会」の会員には150万円とする一方で、
原告のうち日本に集団帰国した人は100万円にとどめた。
日系人協会を中心に「訴訟を闘った原告の方が少ないのは納得できない」
と政府案に難色を示す声が現地で高まり、集団帰国した原告への
見舞金を増額する修正案を政府側が内諾した。
原告の一人は「今月29日の移民50周年記念式典の前に解決したい
という思いで話し合った結果だ」と話している。
東京地裁は先月7日、原告の賠償請求権が民法の規定で消滅したと
して請求を棄却しながら、国の法的義務違反を認定。
原告は控訴する一方、小泉純一郎首相が救済策の検討を指示し、
原告団や移民団体と政府側との協議が続いていた。【高倉友彰】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060713-00000062-mai-soci
ドミニカに行けば土地がもらえると日本政府が宣伝したのだが
実際に日本人の移民が行ってみると、ドミニカ政府は日本人の移民に
水が出ないやせた荒地しかくれなかった。
しかもその土地は国境近くの危険ない地域で、日本人は指定された地域
から自由に外に出られず、街に買い物に行くのにもいちいち申請して
許可証をもらってから行くという、まさに奴隷のような生活を強いられた。
水の出る土地は有料だったので、日本人は借金して土地を買うしか
なかった。当時の金の価値と今の金の価値は、借りた方に悪く働き、
ほんのちょっと借りただけなのに、今の金では恐ろしい額になる。
(うろ覚えなので、詳しく書けないが、レートの関係で、借りた金の額が
桁外れに増えているんだそうだ。)借金はいつまでたっても返せない。
日系の移民はいつまでたっても貧乏から抜け出せない。
日本政府に話が違うじゃないかと文句を言ってもずっと知らん振りを
された。日本に帰る金があった人は、さっさと帰ったが、そんな金も
無い人は、どんどん借金がふくらみ貧乏になっていった。
そんなドミニカの日系移民は、日本政府から騙されたのだから
日本政府からおわびの言葉が聞きたいのだという。
当時の日本政府の役員は、まともに調べもせずに、簡単な調査で
「タダで土地がもらえる。」と言って移民を募ってしまった。
実際には水が出る土地はタダではなかった。
そのために多くの日本人が、ずっと苦労しつづけた。
今でもドミニカにいる日系移民たちは、貧乏で借金が返せないでいる人
ばかりなのだ。
1世はほとんど死んでしまった。3世の中には日本に出稼ぎに来る者も
いたが、家族もいないさびしい日本でストレスを重ね、結局は病気になって
ドミニカに帰っていく者もいる。
東京地裁は先月7日、原告の賠償請求権が民法の規定で消滅したと
して請求を棄却しながら、国の法的義務違反を認定。
請求権が消滅したドミニカ日系移民に、人間の血の通った処置を取るよう
指示した小泉首相は立派だったと思う。