刺激の多い国で自分探し? | 日本のお姉さん

刺激の多い国で自分探し?

トニタカの西方見聞録             2006/07/12
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 ダイジェスト版 ~ 集団自殺に困惑する中東人たち ~
     
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 日本で若者による集団自殺が報道で取り上げられている。イン
 ターネットで知り合い、見も知らず人々が、同じ目的で実行す
 る直前に会い、車の中で遂行する行為。悲しいことと同情する
 一方、1万キロ離れた中東や南アジアではプロパガンダや宗教
 対立から、聖戦や組織のために腰に爆弾を抱えて自爆する若者
 がいる。彼らから見る日本の集団自殺は目的も達成感も理解で
 きない謎のサブジェクトらしい。

 「就職ができないとか、ただなんとなく人生がつまらないから
 ・・・といって自殺する日本人のその心は一体、何なのか、俺
 は心境を知りたい」ヨルダン人のアブ・ユーセフさん(32)
 は言った。

 現地の新聞コラムや衛星のニュースを見たりして日本人の集団
 自殺につながる彼らのメンタリティーに疑問を抱いている。中
 東の新聞各社でも論評などで「経済大国日本が生んだ心の貧し
 さ」などと題して批評しているが、宗教も政治も関わりがない
 メンタリティー的なものであるため、中東人もよく理解してい
 ない模様だ。

 物が有り余る日本ではクリティカルな考えを持つ人間が半分を
 下回る。所詮社会はこうなんだと決め付け、人生にやけっぱち
 になる人も少なくない。夢も持たず、あっけらかんと死の選択
 をする彼らは、中東人の頭をさらに混乱にさせているらしい。

 「やることやってもいなく、ただなんとなく死を選び、人の迷
 惑も考えていない。確かに自殺は達成できても、周りの人にと
 ってはえらい迷惑な行為だ」彼は付け足した。

 彼らの疑問は自殺の概念の違いだけでなく、日本の若者に対す
る疑問もある。

 「よく夏になると、ぼろぼろの服で旅をしている日本人をイン
 ドやパキスタンで見かける。ずっと中国人労働者だと思ってい
 たので、日本人と聞いた時は驚いた。旅の目的を聞いたら自分
 を探す旅と答えられた。自分を探す旅などいうなら、とっとと
 国に帰って、死に物狂いで仕事に取り組んでみろっって言いたいよ」
 インド人のガルージ・ピニパラさん(41)は言った。

 自殺を志願する日本人は、それなりに言葉に出して表すことが
 できない理由が心にあるかもしれない。しかし、人間的な観点
 から見ると、中東人が言うように必死に何か取り組めば、生き
 る価値観が出てくるかもしれない。気持ちしだいで生き方や見
 方がポジティブにもネガティブにも振り分けられることは言う
 までもないからだ。

 あなたは生きる価値観をお持ちでしょうか。


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日本で自分が何を求めているのかを探せない人は外国でも探せない

だろう。ただ外国では、ここで頑張らねば死ぬ!という状況に陥る場合が

多いので、「死に物狂いで頑張る自分」を見出すことはできるかもしれない。

(実際に死ぬ場合もあるが。)

日本では、そんなに必死にならなくても生きていけるから、緊張感が

なくなる。生きているという感覚もぼんやりしてくるんだろう。


そういう意味で、刺激的な国に行けば、生きているという実感がわいてくる

ものなのかもしれない。ただ、インド人にとっては、インドの毎日が日常

なので、なぜ日本人が自分探しに来るのかワケが分からないのだろう。


クリスチャンのわたしに言わせれば、神さまから離れてしまった人間が

生きる価値を見出せないでいるのは当然と言えば当然。

神さまを信じないで生きることは、すでに人間としての生きる目的を失って

いるということなのだ。金や名誉や愛のために生きてみたとしても、

それらが人間にもたらせる幸せ感は、永遠ではない。


神さまに創られた人間は、神さまに信頼し、神さまと語り合い、神さまに

愛されて、毎日を生きるようにできているのだ。


神さまの栄光を現すために、神さまを礼拝するために人間は生きているのだ。

礼拝とは、犬がその主人を喜んで嬉しそうにジャンプしているような時に、

「あの犬は礼拝している。」と言う風に使う言葉らしい。


毎日、神さまに生かされていることを感謝し、罪を赦されたことを感謝し、

神さまを喜んでいることが礼拝なのだ。あなたを創られた神さまにとっては

あなたは世界でひとりだけの大切な人間だ。


その神さまに罪を赦され、愛されていることを日々実感しながら生きるのは

結構刺激的な日々だ。神さまは人の祈りを聞いてくださり、実生活の中で

具体的な答えを見せてくださる生きている方(かた)だから。