七夕と用水路
小学校と中学校の間を抜けて田んぼが見える道路に出ると一気に
足取りが重くなった。6歳のわたしは、ずるずると、色紙を切って作った
飾りやら短冊がついた笹を引きずっていた。
こんなはずではなかった。このままでは家には帰れない。
わたしは、田んぼの横を流れる用水路に笹を投げ捨て、笹が沈むのを
確かめてから家に向かって歩き出した。
その日の学校の工作の時間には、七夕の笹の飾りを作ることになっていた。
学校からは、各自笹を一本持ってくるようにという連絡が家に来ていた。
わたしの家は家族全員クリスチャンで、七夕の飾りを作るなんて、
とんでもないことだった。七夕は、偶像礼拝の一種なのだ。短冊にお願い
ごとを書いて星に願いをかけるなど、神さまに対する罪だ。
星を創られたのは神さまなのに、創った方を拝まず創られた物を拝んで
どうする。それを偶像礼拝というのだ。
「クリスチャンなので、七夕の飾りは作らないと言いなさい。」
工作の時間は何もしないようにと親に言われて、学校には手ぶらで臨んだ
のだった。わたしだって、短冊に願い事を書くのは、タダの習慣みたいな
もので、みんな本気で星に願いを書いているわけではなく、日本人は
そういった叙情的な雰囲気に浸るのが好きなだけであると知っていたので、
神さまを知らないみんなが楽しく短冊を作ることをバカにしたりはしない。
だけど、本当の神さまは、ただ一人しかおられないし、人間は本当はその
神さまだけを敬い、その神さまにだけ祈るべきなのだ。
だから、わたしは、七夕の飾りなんか作らない。6歳でも、ちゃんと考えて
いるのだった。いよいよ工作の時間がやってきた。
担任の先生が工作の指導を始めた。「みなさん。持ってきた笹を出して
ください。」先生は、子供たちの笹をチェックしだした。わたしの席に来たとき
わたしが笹を持っていないのに気が付き、「あれ!?笹は、忘れたの!?」
と、言い出したので、「あのね。わたしはクリスチャンだから、本当の神さま
しか拝まないの。だから七夕は偶像だから作りません。」と、6歳なりに
精一杯に説明したのだが、先生はいきなりわたしのほっぺたをおもいきり
つねりあげて、「作りなさい!!笹は予備のを用意していますから!!」と、
怒りをこらえながら言い放ったのだった。
これ以上、逆らったらもっとつねられる!と、思ったわたしはいくじなく
机の横に置かれた予備の笹と、これまた先生が用意した色紙やら短冊
用の和紙やらを前にして工作に取り掛かってしまったのであった。
色紙を切って、輪にしたものをどんどん長くしていって、先生が教える通りに
和紙の端っこを指でしごいてこよりにしていった。
意外と楽しんでる自分に気が付いて神さまに申し訳なく思ったりもした。
和紙の短冊には、ちょっとだけ残っている意地で、何も書かなかった。
先生もちらっとそれを見たようだが、何も言わなかった。笹に飾りを取り
付けるとなかなか良い感じのモノができあがった。だけど、その笹は6歳の
小さなクリスチャンが、ほっぺたをつねられた痛みに負けたという証拠でも
あった。笹を捨てるまでは、心が鉛のように重かったのを覚えている。
笹を用水路に沈めて、何事も無かったかのように家に帰った。
母親が、「どうだった?ちゃんと先生にクリスチャンだから、七夕の飾りは
作りませんって言えた?」と聞いてきた。聞かれなければ、黙っていようと
思っていたのだが、親にウソをつくなという教育を受けていたので本当の
事を言ってしまった。ちゃんと先生に説明したけれど、ほっぺたをつねられた
こと。予備の笹を与えられたこと。仕方が無いので、みんなと一緒に飾りを
作ってしまったこと。笹は用水路に捨ててきたことを全部正直に話した。
てっきり親に怒られると思ったが、親たちは先生に対して怒っていたようで
わたしは怒られなかった。日本人は、ただ一人の神さまを信じるという事が
無いから、クリスチャンの神さまを大切にする気持ちが分からないんだ!と
親が怒っているのをぼんやり聞いていた。
学校で七夕の飾りを作らせられたのは、それが最後だった。
良くわからないが多分、親が学校に文句を言ってくれたのか、たまたまその
学校が、そういった宗教的行事をしなくなったかである。
もうずいぶん前の話なのに、七夕の時期になるとこの時の事を思い出す。
神さまを信じていない人にほっぺたをつねられた痛みと、いいなりになって
しまった悔しさで教室で声を出さずに泣いたことを。わたしは、以外にも
弱い人なんだなと知った日でもあった。本当の神さまだけを大切にした
かった。6歳の女の子の完全なる敗北の日だった。
ずるずると笹を引きずりながら歩いた日の、明るい日の光やほおに当たる
風や用水路の水の色まで、今でも強烈に心の中に残っている。