雑誌「正論」8月号を読んでいる。 | 日本のお姉さん

雑誌「正論」8月号を読んでいる。

雑誌「正論」7月号を買って読んで見ると、読み応え十分でためになる記事

が詰まっていた。これが680円だなんて、お買い得だ。すっかり気に入って

6月号も取り寄せた。7月号に戦争中、田舎に疎開して虐められたという話

が連載されていたので、8月号も買った。

戦争のことを知っている人が書いているので面白い。

面白いというと不謹慎だが、戦争の前の日本と今の日本は雰囲気が全然

違うんだそうだ。昔の日本は、ちゃんと外国に意見が言えたんだって。

田舎に疎開したら、近所の子供に毎日崖に突き落とされて、

「上がって来い!」とはやし立てられ、必死で這い上がっていくと、全員に

おしっこをかけられたのだそうだ。

この人の思い出話が面白いので、今後も雑誌「正論」を買って読むつもり。

「正論」の中に、日本が中国の戦争に巻き込まれていく前に、中国人が

南京の日本人を襲った事件のことが書いてあった。

中国人に囲まれた時、日本大使館は、本国の命令で武器を全部捨てた。

戦う意志が無いと示したら、それは逆効果を産んでしまった。

中国人は調子に乗って襲ってきたのだ。日本人の家はすべて破壊され、

荷物を強奪され人も殺されたそうだ。その時にイギリス軍が助けに来て

くれたり、日本の海軍が飛び込んできてくれたから、なんとか殺された

日本人は2人ですんだのだけれど、武器は本国の命令で使えなかったの

だそうだ。

その事件以来、日本人は中国人に対してすごく不信感を覚え、日本政府に

対しても不満を表現したのだそうだ。

中国人たちは、日本人を襲うのは意外と簡単だと気が付いたようで、その後

通州事件(中国兵による、日本人への略奪陵辱暴行殺人事件)が起こる。


暴動に走る中国人相手に、武器を放棄するなんて日本らしいと思った。

昔から日本は平和主義でいたのだ。平和主義で、相手を信用し

武器を放棄すれば襲われないと考えたのだ。


中国人は、狩猟民族だし、いろんな血が混ざったできた人種だ。昔の農耕

民族で米を食べていた漢人とは違う民族なのだ。


中国人留学生が起こした事件を見るだけでも、日本人とは犯罪の質が違う。

ヤクザでも、子供と大人を生きたまま手錠でつないで海に沈めることはしない。

ヤクザでもというと、ヤクザに失礼だろうか。

中国人は、残酷なことを平気でやれる民族なのだ。

中国人全員がそうだとはいわない。そういう狩猟民族系の血が中国人に

流れているということだ。ついこの間の文化大革命の時だって、知識人を

殺してみんなで料理して食べていたのだ。人肉を食べた人々は、共産党員

として地位が上がったそうだ。公開処刑も平気だし、たくさんの人が見にいく

催し物なのだ。子供の肉も料理して食べるし、変な宗教を信じる人は、

こっそり捕まえて施設に集め、腎臓や肝臓移植用にキープし、生きたまま

内臓や角膜を抜いて、そのまま殺して焼却炉で燃やす人々なのだ。
留学生として日本に来て、さんざん世話になった保証人の家だって、

他人に脅されたら簡単に教えるし、一緒に泥棒に入って殺したりできる

人々なのだ。農耕民族で、長い間海に守られてきた島国の日本人とは

違うのだ。


南京で、日本大使館が中国人に対して武器を捨ててみせ、無抵抗で略奪を

許したことだけでは、日本は中国兵と戦おうとはしなかったが、その後に

起こった通州事件では、約300人の日本人が中国兵に殺された時からは

日本人も怒った。殺された200人以上が女性と子供だったからだ。

それも見ていられないほどの方法で殺されたのだそうだ。

手足を縛られたうえで頭を切られたり、縛られた上でめった突きに刺されたり

通常の殺されかたではなかったそうだ。女性と子供はすべて輪姦されたうえ、

殺された。どの女性の死体も棒を股間に突っ込まれて殺されていたそうだ。


余談:

衣服をはぎとられ中国軍に虐殺された日本人女性の遺体を日本側が
検死して いる写真が、 中国の教科書には、七三一部隊が中国人
女性を生きたまま細菌で生体実験 し、殺した写真として掲載されて
いる。
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通州事件というのは、蘆溝橋事件から三週間後の7月29日に、
北京の近くの通州で起きた中国兵による大規模な日本人虐殺事件で、
二百数十名の日本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だ。

日本軍は死力を尽して戦ったものの、それ以上は何も出来なかった。その間に殷汝耕氏は拉致されるは、日本の子女達は虐殺されるは・・・・で、大変なことになってしまったわけだ。

女という女は全部裸にされて辱しめを受け、その上、局所を切り取られたり、箒を押し込まれたりしていたそうだ。そのほか鼻に牛のように針金を通された子供や、目玉をくり抜かれた人など、見るも無修な情況だったようだ。 中国兵には時々、そういう猟奇的な殺人が集団的に見られるようだね。日本の兵隊はそういう殺し方はまずしない。一刀両断バサッと斬るとか、銃剣で一突きで殺すとか、ホラ、テレビで見る昔の戦争のやり方さ。そのへんが国民性の違いかも知れないがね。とに角ひどい殺され方をしたわけさ。


日本の世論は轟々として悪逆無道の中国討つべしという声が高かった。しかし、それでも日本はまだ不拡大方針を変えなかった。そこへ今度は、上海で大山海軍中尉らが虐殺されるという事件が8月9日に起き、それをきっかけとして8月13日、遂に上海事変が勃発した。中国は全国総動員令を下して日本と全面的に戦う姿勢を示し、日本もやむを得ずこれに呼応して戦うことになったのだよ。

当時蒋介石政権の首都は南京にあった。だから南京さえ落せば、戦争は終ると考えていた日本人も随分居たと思うね。しかし蒋介石の国民政府は、南京が陥落する前に主だった人達は皆南京を放棄し、首都を重慶に移して徹底抗戦を唱えた。
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/12.HTM



和12(1937)年7月29日、北京の東方は、冀東(きとう)防共自治政府の首都・通州で「大虐殺」がなされました。いわゆる「通州事件」と呼ばれるものです。「南京大虐殺」が大々的に取り上げられるのとは反対に、何故か、意図的に年表からも削除されている事が多く、教科書にも全く取り上げられる事の無い、この「通州事件」について、今回は書いてみたいと思います。

「通州事件」 ── 又の名を「通州大虐殺」とも呼ばれるこの事件は、「廬溝橋事件」の3週間後、起こりました。当時、通州には、「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子や朝鮮人(当時は日本国籍だった)を含む日本人居留民、天津特務機関長・細木繁中佐ら軍人等200余人が住んでいました。通州には、日本軍の守備隊も駐屯していたのですが、たまたま、主力が南苑攻撃の為、町を離れ、僅か110名の留守部隊しか残っていなかった所へ、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。

州を襲撃した支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させ、余勢を駆って、何とあろう事か、日本人居留民をも「標的」にしたのです。支那保安隊は、日本人居留民を通州城内に全員集め、城門を閉めた上で(要は城外へ逃げられない様にして)、日本人居留民の住宅一軒々々に火を放ち、女性には暴行を加えた上で局部に丸太を突き刺す等して殺害、子供は両手・両足を切断し、男性には首に縄を巻き付けた上で引き回す等、「残虐」の限りを尽くしたのです。前回のコラム『83.「日本軍国主義」の象徴 ── 「南京大虐殺」等あり得ない!!』 で指摘した「屠城」。正にその「屠城」が現実のものとして、支那保安隊によって繰り広げられた訳です。

「廬溝橋事件」は、日本軍と支那・国民党軍と言う軍隊同士による軍事衝突でした。しかし、「通州事件」は、支那保安隊による日本人居留民 ── 「民間人」への殺戮行為でした。これは、明らかに国際法違反です。しかも、その殺害方法が、正に「屠城」そのものであり、残虐極まりないものであった事も重要です。支那は現在も、ありもしなかった「南京大虐殺」を持ち出しますが、こと「通州事件」については、自らの過ちであるにも関わらず、謝罪も補償も一向にする気がありません。支那が「正しい歴史認識」と言うのであるならば、虚構の「南京大虐殺」を主張する前に、まず「通州事件」における日本人居留民虐殺について明確に謝罪すべきです。

して、もう一つ、言いたい事があります。「廬溝橋事件」発生後、日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍との間に停戦協定が成立していました。要は、日本としては支那とこれ以上、事を構えたくはない。日本は支那との全面戦争は欲していない。だからこそ、事態をなるべく穏便に済ませたいと思っていたのです。しかし、支那は日本側のそんな期待を裏切って、「通州事件」を起こしました。当然ながら、日本の世論は「支那を撃つべし!!」と激怒沸騰しました。この時も日本軍は隠忍自重し、本格的な戦端を開こうとはしませんでした。やはり、支那との全面戦争を欲していなかったからです。しかし支那は、8月13日、上海租界の日本人居留民を警備・保護する目的で駐屯していた日本海軍陸戦隊に対して、国民党正規軍10個師団(20万人)もの大兵力を配置して、攻撃してきたのです(第二次上海事変)。海軍陸戦隊は、警備を主任務とする小規模軍隊です。その海軍陸戦隊が国民党正規軍(本格的な戦闘をする軍隊)10個師団を相手に、到底持ち堪(こた)える訳がありません。「帝國臣民ヲ保護スヘシ」として、上海租界の日本人居留民「保護」を任務としていた海軍陸戦隊は、遂に陸軍に対して派兵を要請。8月15日、蒋介石 が「対日抗戦総動員令」を発令した同日、日本海軍機が南京を空爆し、遂に8年もの長期に及ぶ全面戦争 ── 「支那事変」(日華事変・日中戦争)へと発展していったのです。

し、「廬溝橋事件」後の停戦協定が守られていたなら支那側は幾度と無く協定違反を繰り返した)、「通州事件」が起きなかったならあの事件で日本の世論を硬化させた、そして、「第二次上海事変」による攻撃が無かったなら(全面戦争に発展する切っ掛けを作った、日本と支那の全面戦争は起きなかったのかも知れません。昔から、日本には「喧嘩両成敗」と言う言葉があります。喧嘩をした同士双方に非があるのだと言う意味です。そう言う意味では、蒋介石 (第二次上海事変で先制攻撃毛沢東 廬溝橋事件で日本軍に発砲による「挑発」が、「支那事変」を招いた共言え、闇雲に「日本軍国主義」を糾弾して止まない支那にも「支那事変」における「戦争責任」があると言う事です。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/tsushu.html


ウソつきで残虐なことを平気でする人々には近づかない方がいい。

ちゃんと武器を用意して襲われないようにしたほうがいい。

日本人も中国人も性格は変わっていないようだから、お互い気をつけたほうが

いい。

あんまり日本人は、南京で日本人が中国兵に囲まれて略奪された

事件を知らないし、通州事件も知らない。中国人も知らないようだ。

わたしも通州事件は知っていたが、南京で囲まれ略奪された事件
知らなかった。まだまだ、知らない事がいっぱいあるんだよね。
ちゃんと勉強しないとね。
雑誌「正論」8月号↓
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/seiron.html