秦の時代にもいたペルシャの人夫
【北京29日傍示文昭】29日付の中国各紙によると、陝西省西安郊外にある秦(紀元前221―同206年)の始皇帝陵の副葬墓から出土した約2200年前の人骨が、ペルシャ系とみられる20代の男性のものであることが分かった。古代中国と古代ギリシャ・ローマとの間に開かれた陸上交通路「シルクロード」ができる前に、中央アジア以西の民族が中国中部まで入っていた事実が明らかになったのは初めて。専門家は「従来の学説より約1世紀早く、東西交流史を塗り替える発見」と指摘している。
■2200年前のDNAを鑑定
28日、中国・西北大の考古学者らが明らかにした。発表によると、副葬坑は2003年、等身大の兵士像などで有名な「兵馬俑(へいばよう)博物館」から約500メートル離れた場所で見つかった。陵墓建設に従事した労働者を埋葬した墓とみられ、約50人の遺骨を発掘。一部をDNA鑑定した結果、一体はペルシャ人かクルド人と同じ遺伝子を持つ男性であることが分かった。
これまで、古代中国と中央アジア以西の民族の接触は、秦の後の漢代以降に始まったとみられていた。研究者は「西方から強制的に連れてこられて陵墓建設に従事させられていた可能性もある」と指摘している。
陝西省考古研究所の段清波研究員は「シルクロードができる前に、すでに東西交流が行われていた可能性もあり、東西文化の交流史に大きな意義がある発見だ」と話している。
=2006/06/30付 西日本新聞朝刊=
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060630-00000006-nnp-int
墓を作った人夫は、墓の秘密を守るため墓の出来上がりと同時に
普通は殺される。それとも始皇帝が死んだ時に、殺されて埋葬され
たのかな。始皇帝は、秦の兵士を殺して埋めていない。等身大の兵士
像を作らせて、像を埋めている。だから兵士は大切にされていたのだ。
つまり、殺されて埋められた50人は墓の秘密を守るために殺された
タダの墓堀り人夫だと思うがどうだろう。こんなニュースはロマンが
あって好きだ。